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大正時代の銭湯(東京の)の内装について
岡本綺堂という昔の作家が「ゆず湯」という短編小説を書いています。大正時代の東京の銭湯が舞台と思われるのですが、その中に「着物をぬいで風呂場へゆくと、流しの板は白く乾いていて」という記述があります。 これは、洗い場は「木製」であったということでしょうか。ならば当然 浴槽も木製、という認識でよろしいのでしょうか。 そもそも浴室に現在のようなタイルが使われるようになったのは いつ頃からなのでしょう?東京の銭湯の歴史に詳しい方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。
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>そもそも浴室に現在のようなタイルが使われるようになったのは いつ頃からなのでしょう? 浴室がタイル張りになったのは大正10年あたりから。それ以前は板張り。浴槽も木製。 浴室と脱衣所の間にも仕切りは無く「今も残る古風な銭湯」にあるようなガラス戸もありませんでした(当時、ガラスは非常に高価だった) 草津温泉の白旗の湯は、現在も木造で、浴槽は木製、洗い場は板張り、浴室と脱衣所の間に仕切りが無く、大正10年以前の銭湯と同じような造りになっています(二階は無いので、昔の湯屋とは違いますが) 昔の湯屋(銭湯)には、男湯から昇降できる休憩所が二階にあって、白粉を付けた若い女性が一人か二人居て、何かイケナイコトをしていたようですし、明治の頃には「男女入込み」と言って、混浴が普通でした。
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- f272
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http://1010.or.jp/history/06.php 東京では大正12年(1923)の関東大震災以後、(タイルが)特に急速に普及してゆきました。
お礼
東京は大正期に大震災を受けていたということ、迂闊にも失念していました。それによる影響は大きいですよね。 詳しい説明のサイトを教えてくださり、ありがとうございます。 英語も併記されていてたいへん助かります(実は銭湯文化の詳細についてはオーストラリア人の知人に尋ねられることもあるので)。
お礼
丁寧な ご回答、いたみいります。 書かれている白旗の湯は、いつか是非行ってみたいものです。 明治のころは混浴だった・・・ということだけはどこかで聞いた覚えがありますが、それ以外の情報は知らないことばかりで 教えていただき たいへん参考になりました。ありがとうございます。