noname002さん。
私信みたくなってしまうのですけど、ちょっと気になったので。
怒らないでね、と先に言っておきます。
「強過ぎる関心」という観点で言えば、少し種類は違うわけですが、遠くからの眼では、あなた自身もやはり「強過ぎる関心」がある人なのではないかなと思えてしまうのですが、どうでしょう。
揶揄しているわけではないのです。「拘り」と言うことはいいこともあるわけですし。ただ、少し勿体ないなという話です。
以下の話は、私自身のかつての話で、あなたはまた別かもしれません。
昔の私は、論争を好む、そういう印象を持たれていた人間でした。決して好んでいたわけではないのですが、論理的に考えておかしなことにはつい口を挟んでしまい、やりあってしまうことが多かったです。
まぁ、口では負けないほうですし(笑)、9:1みたくなっても、数を頼むような輩相手だとなおさら燃える(笑)。話の筋はこうでなくてはおかしい、土台がおかしな話を進めるわけには行かないという、まことに正義感に満ちておりまして(笑)。でもね、ある時から、変わっていったのです。
論争に負けたから?→イエイエ。面倒くさくなったから?長いものには巻かれろと?→そこまでヒヨってません。
ところで、相当な論争になる時って、案外、場外乱闘になってませんか? 本当はリングの上でやりたいのですが、どういうわけか、すぐ、リングから飛び出して、場外乱闘が始まってしまうのです。(これにはこれの訳があるのです。リングの中はルールの世界、リング外はなんでもありですから、戦いとしてはえげつなくもなるけど、本音勝負。確かに余程見ごたえがある。 笑)
私としては、早くリングに戻りたいのに、延々とかかってしまって、しかも、リング外でロジック無視で多数派を形成されてしまう。いくら論理的整合性でポイントをとっても蟷螂の斧。
勿論、そういう無茶苦茶をする連中のすることですから、後日になればわかるのです。あまり良い決め事ではなかったと。
思うに、良いこと悪いこと、どうすべきか。こういうことって本来おのずから決まってる部分ってあります。普遍でも良いです、王道でも良いです。後になって振り返ってみれば、ほとんどが、その範囲です。
ところが、メンバーが悪いのか、隠された事情があったのか、そう進まないときがある。こういうときに揉め事って多い。そして、往々にして多勢に無勢でした。いくら正統性を言っても突破できない、場外乱闘しか出来ない。
結果がどうなろうと、場外乱闘にならないように気をつける、これを考えるようになりました。が、スルーも出来ない、見すごす訳には行かない。さりとて、乱闘は嫌です。結局身に付けたのが、「ほどほどの物言い」です。
場合によっては、チクリ一刺しもありですし、ユーモアやぼやきですますこともありです。「嫌味に思われない皮肉の言い方」かもしれません。「わかってんのよ」とちょっと意味深なウインクだけで済ます、ということかな。
本筋以外で精力を使い果たすなんて、馬鹿なことはしない。そのためには、相手が仕掛けてきても、わかってますよ、だまされませんのサインだけでかわす。これが身に付くようになってからは、「戦いすんで日が暮れて、骨折り損のくたびれもうけ」が激減しました。
あなたは、なんでも真っ向からがっぷり四つ組んでしまう。がっぷり四つ組まないといけない話ですか?四つ相撲は体力勝負になってしまいますよ。。。体力もないのに頑張るんですもの、そりゃ、欝にもなりますって。じゃあどうすればいい。みすみす不戦敗は嫌だ。
私がその当時、新たなスキルを身につけるためにはじめたのは、川柳です。3年ほど一生懸命しました。雑誌や新聞にせっせと投稿していました。ユーモア、ウイット、わさび、からし、こういうものも身に付けると、普段の人間関係も好調になりますよ。
二十歳ソコソコの若い人が言うとサマになりませんが、ヒトトシいった知性ある人は、こういうものを身につけるべきです。
何でもかんでも真っ向勝負、四つ相撲ばかりは「野暮」です。
ちょっと考えてみませんか。
お礼
御心配をかけてしまったような、申し訳ございません。 怒るなんて、とんでもない、有難く思っております。 せんだって、回答者さまとは別の質問スレで、回答者として ご一緒しましたが、たぶん、あそこでの私の対応ぶりも、あわせて御覧いただいていたと思います。その質問に関連しても、いまだ不可解なことが続いているのです… 私も、親との問題が大きい生育歴を背負ってきています。親との共依存と言うべきか、ことに親側からの依存の問題が重く、その影響を いまだに引きずっている面があるのを自分でも気づいてはおります。私が辛うじて自分自身の最低限の利益を考慮して線引きなどしようとしたりすると、冷たいなどと非常に責められることがありました。また、それをはねつけることができない理由が、私自身の身体的な問題などにもありました。 川柳は私も若い頃から大好きです。人情の機微を鋭く つきながらもカラッとしていて、おなかの底から笑えます。 でも、世のなかには笑うに笑えないものも確かにあります。それが、たとえば川柳精神などを気取っていたとしても、気取っているのを知っていたら私は笑う気になれないのです。黙って避けたくなるのですが、その気取りを見透かされたと思う者に絡みつかれ、挑発されることが多かったということがあります。 見透かされたと思うならサッサと よせばいいだろうと、こちらは思うのですが、売られたケンカを つい買ってしまう、それも、まわりに良からぬ影響をジワジワ浸透させてしまいかねないという危惧感があると、もう いけません。実は、うちの親や身内に、非常に計算高い企みを無意識のうちにやってしまう、それを完遂するだけのエネルギッシュなタイプが多いというのがありまして、彼らは また大変ケンカっ早い。私は、どうやら企みや計算高さというのは興味もないまま似ないで、ケンカっ早いところだけ似てしまったのかもしれません(苦笑) 最近つくづく、ネットで出会う人を単純に尊敬したり憧れてみたり、好意や親しみを持ってしまうことの恐ろしさを感じています。これが、これまでで一番大きく、ネットから学んだという実感です。 とは言っても、回答者さまのようなかたと出会うと、つい緩んでしまいますね(苦笑) 今回も、たいへん参考になりました。
補足
>遠くからの眼では、あなた自身もやはり「強過ぎる関心」がある人なのではないかなと思えてしまうのですが、どうでしょう。 はい、私自身も関心を強く持ってしまっていることはあります。それは自分が当事者であったり直接に関わった経緯がある場合です。この場合に、とくに疑問はないのです。人間の自然な感情としてアタリマエといえばアタリマエのことですので。 疑問は、直接の関係者でもなく、もちろん何ら利害関係もない者の「強過ぎる関心」について、です。 以下の お話は、まるで私の これまでの経緯を御存じなのだろうかと思ったほどに身につまされる内容です。ただ、本来の私は論争というものを好みません。同時に、納得しないことで支配されることも好みません。自分なりの意見を表明する必要があればハッキリと表現はします。あと、言っても、べつだんのことはないと判断した場合。基本的には、それだけです。 リアルの日常生活で或いはネットであっても、かなりの関わりがあった人などは、私が基本的には、むしろ平和主義的性分だということを分かっていると思います。 >ところが、メンバーが悪いのか、隠された事情があったのか、そう進まないときがある。こういうときに揉め事って多い。そして、往々にして多勢に無勢でした。いくら正統性を言っても突破できない、場外乱闘しか出来ない。 驚きました。そのとおりなんです。ただ、私は「隠された事情」について、自分から先行圧力のようなものをかけたわけではなく、先方が私の痛くもない腹を探りに探ってきたものですから、そこから争いが起きてきたということがありました。とにかく疑心暗鬼のカタマリみたいな人がいるのです。 一例を挙げると、「コトバが、ただ、そこにあるだけ」こう言い放った人物が、では私がアッケラカンと言った他愛もない発言に対しては、決して「コトバが、ただ、そこにあるだけ」とは見做しません。フシギでしょうがなかったのですが、どうやらギブ アンド テイク精神、取引精神とでも言うのか、自分が した発言には必ず見合った見返りというものがあって然るべき、だからこそ逆に自分側が要求されるハメには陥らないために、のら~りくらりで、といった感覚で考えるタイプのようでした。要するに計算高いのでしょうか。 私はまた、こういう計算高さが身についていないし、むしろ軽蔑してる(笑 たとえば、私は好きな人に好きだとアッサリ言ったとします。だからといって、それに対して同値の お返しがあるべきとは思いませんので、あれば、もちろん嬉しい、でも、なくてもいいのです。表現しただけで殆ど気が済んでいるのですから。表現できないほうが、よほど苦しいですからね。 >結果がどうなろうと、場外乱闘にならないように気をつける、これを考えるようになりました。が、スルーも出来ない、見すごす訳には行かない。さりとて、乱闘は嫌です。結局身に付けたのが、「ほどほどの物言い」です。 「場外乱闘」は、むしろ相手方が好み、私は、それを阻止しようとして、かえって「場外乱闘」になってしまっていたかと思います。 リング外で下品な挑発を執拗に し続ける相手を、どうにかしてリングに連れ戻そうとして、わざわざ場外へ相手の首根っこを とっつかまえようとして手こずり、そのまま「場外乱闘」の結果に終わってしまったりしてるんです。あほらしいことですが。それだけの関わりや経緯が相手とのあいだにあったということです私の場合は。全く第三者の立場であれば、こういうことはありません。 近ごろ私をめぐって起きていた問題も、最初のアッケラカンが気に食わないか、先方にとってはマズイことらしいと気づいたために「ほどほどの物言い」に切り替えたにも関わらず、その発言の本当のところを知りたい知りたいと言って執拗に付きまとい、絡むのをやめなかった者とのあいだで起きています。 前に戻ることも先に進むこともできない、こういうのって言わばダブルバインドですから、正直、神経が まいりそうになりました。これを「実験」と称してやっていた連中もいるのですよ。ネットサイトの危険性の一端を垣間見たように思います。 私でも、いつも「真っ向から四つに取り組む」わけではないです。それどころか、むしろリアルの日常では少いです。身近の者らには、そのために よく叱られてしまうほどですが、本来マメではなく、いいかげんでズボラで済ませたい性分です。 ただ、ここは必要があると判断したら違ってきます。価値観の問題とかも関わる、たとえば、こうした学問カテゴリーでの相談なども、その一例です。そもそも、こういう場で、親身に こたえてあげようとすること自体、もう すでに並々ならぬ関心ですよね?そのこと自体は私は、この ご時世に結構なことではないかと思うくらいなのです。今回の疑問は、そのことではないのです。