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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本人の自然信仰は科学的か?)

日本人の自然信仰は科学的か?

このQ&Aのポイント
  • 日本には一神教とは別の自然信仰があるとの主張があり、天皇家の努力、各地で行われる植樹祭からみれば、確かにあるのはわかる。
  • 日本の森林保有面積は先進国では、トップクラスであることも事実だあるが、ただ急な斜面があって開発できないだけだったとおもう。
  • 日本人が桜がすきなのはわかるが、桜ばかり植えることは生態系といかに関係を及ぼすかについての議論もなく進められていく。

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  • HANANOKEIJ
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回答No.3

日本の独立のために死んでいった幕末の青年たちを思い出しています。 今、彼らが生きていたら、なんと思うでしょうか? 日本の対米従属は、世界的には、異常です。 学問が、その名前に恥じないような、国民の安全に奉仕するものになるとき、少しは、解決の方向を示すことができるかもしれません。 諫早湾の干拓事業にしても、開発とか、自然を人間の欲望のままに支配する考え方は、もう古いと思います。 現在、砂漠になっている広大な土地も、昔は、現在と同じくらい小麦がとれていました。灌漑によって、地下水をくみあげて、砂漠にしたのは人間の農業生産でした。アジア、日本の稲作は、数千年続いているけれど、土地が疲弊してこなかった。生物の多様なつながりで、土壌は豊かなままでした。最近、とき、こうのとり、つるの飛来地で水田に水をはって、有機農業に取り組む地域がふえています。先日、朝日新聞で、アジアに広がるアイガモ農法の記事がでていました。 自然を管理、制御するのではなく、生産と消費をこそ管理、制御するべきではないでしょうか。マネーを投機してもうけるカジノ資本主義には、規制が必要です。 21世紀に日本国憲法第9条が、世界の標準になり、核兵器の廃絶の先頭に、日本の青年、少年少女がたつ夢をみています。 日本人の自然信仰とは、稲作農業の労働の産物ではないでしょうか?決して自然を支配したり、収奪したりしない、いただいたものと土に返すもの、その掟を忘れたときから、退廃がはじまったのでしょう。

noname#94392
質問者

お礼

ありがとうございます。 >自然を管理、制御するのではなく、生産と消費をこそ管理、制御するべきではないでしょうか。マネーを投機してもうけるカジノ資本主義には、規制が必要です。  同感です。管理、制御を科学的に単に行うのではなく、拝金主義的な考え方から見直しながら、見直しすべきですね。  今月23日主要8カ国(G8)環境相会合で生態系の保全に取り組むことを盛り込んだ「生物多様性憲章」を策定することで合意したことが日経新聞で報道されていました。 >斉藤鉄夫環境相が日本の里山のように、人間が関与して生態系の持続性を高める効果を訴え、憲章に明記されることが固まった。  自然と人間の関係を良好にするために、世界が連携していくべきですね。まあ 政府も一応の政策の原則を世界に示しているようです。  、訴えた通りにちゃんと実現してほしいものです。自分の身の回りからも少しずつ、なにかしらしていきたいものです。

その他の回答 (2)

  • HANANOKEIJ
  • ベストアンサー率32% (578/1805)
回答No.2

先住民族、先住民は、古代社会の名残を残しており、誇り高い人々です。その人たちの生き方が、自然を略奪しない、自然と平和共存して生きている。アイヌ、アメリカインディアン、インディオなどです。 科学は、ものごとを分割して、分析します。それがよくないとは思いませんが、全体を見ることも必要です。 自然信仰に近い考え方に、自然農法があります。春秋社から福岡正信さんの本が出版されています。図書館でさがして、読んでください。 http://www.shunjusha.co.jp/ http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-97019-5/ q1241xさんのお住まいの都道府県の農業、林業、水産業が自然のめぐみとともに繁栄することが日本の未来にとって重要です。 http://www.ruralnet.or.jp/zensyu/syoku.htm 古代から、その土地に生育していた樹木をさがして、その土地に適した植林をすること。世界中の貧困と飢餓を救うために、荒地や砂漠に植物の種をまくこと。発展途上国にお金をあげるのではなくて、私たちが食べた果物、野菜の種を送ること。 宗教も、本来の姿にもどって、人々の苦痛、苦悩、貧困、飢餓を救うために動き始めています。 植物と動物の暗黙の約束、それは、植物の果実を食べること、そのお礼に種子を遠くにばらまくこと。そんなことを科学者は教えてくれますか?インディアンのおじいさんなら、子どもや孫に教えてくれます。 科学、自然科学、社会科学、哲学を否定するものではありません。しかし、地球が直面する課題に応えられる考えのひとつに、ながく生きてきた人類の知恵に耳を傾けても損はないと思います。

noname#94392
質問者

お礼

ありがとうございます。福岡正信さんの本は過去に読んで感心しました。強欲な自然からの収穫を考えなければ、農薬など使わなくていいと思いました。  狭い日本なのに、土地の活用がもう少し合理的であっていいのではないかと思います。  それに、工業製品で輸出して沢山のお金をもうけましたが、稼いだ金のやり場がなくアメリカの国債を買わざるを得なくなり、かつ農業製品を外国から買わざるを得なくなり、自分の国の農林業を崩壊させ、事故米まで買わざるを得なくなったというのはいただけません。  日本文化の多くを支える、田舎、地方を崩壊させないためにも、単なる自然信仰では乗り切れないように思います。  もう少し合理的、科学的(生態学的社会学的)な考え方に基づいた自然管理が必要です。伊勢神宮の遷宮と森の維持、技術の継承など優れた考え方があるのですが、いかんせん多くの地域ではその合理性が失われて、商業主義にお任せになるところが多い感じです。

  • Willyt
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回答No.1

信仰と科学は全く相容れないもので、それが故にマルクス・エンゲルスは実証を伴わない信仰を否定したのです。信仰は鰯の頭も信心からで、科学は実証できないものは否定します。ですから日本の自然信仰が科学的かどうかを問うのは全く意味がないのです。それはキリスト教も佛教もイスラム教も全く同じです。

noname#94392
質問者

補足

自然信仰はあってもいいのですが、もう漠然と思っていてもいても自然が破壊されている現状を是正するときは、科学的な分析、対策が必要になっているとおもって質問しました。  一般的な信仰と科学が相容れないという観点からでは、うまくいかないと思っています。

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