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卑怯な手を使って出世したものの、無残な最期を迎えた歴史上の人物、有名人を教えてください。
卑怯な手を使ったり人を蹴落としたりして出世したものの、無残な最期を迎えた歴史上の人物、有名人を教えてください。 反対に、実力はそれほどないが、人から愛されたために幸福な人生を終えた人物を教えてください。
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- bgm38489
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その人のやったことが、卑怯であったかどうかは、各論によりいろいろ別れる。むしろ、その時代はそれが普通だったのかもしれないが… 有名なところでは、斉藤道三。油屋から身を起こし、美濃の守護土岐頼芸(ときよりよし)に取り入って、妻ミヨシノを奪い、やがては頼芸を追放して、美濃の国を自分のものとした。ミヨシノには子供(後の義龍)ができ、道三は自分の子供として育てるが、頼芸から奪ったとき、既に身ごもっていた。そのことを家来から聞かされた義龍は、父に反旗を翻し、道三は殺される。 これだけ聞けば、大悪人だが、司馬遼太郎の国取物語を読めば、ファンになる。もっとも、最近の学説は違うようだが。
- GitSassy
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悪いほうは、『煬帝』。隋の第二代皇帝ですね。 兄を謀殺し、もしかしたら実父にも毒を飲ませたかも、、、。皇帝即位後に実力のある一族を次々と粛清。豪奢な宮廷生活をおくり無謀な執政がたたって隋の国は財政破綻に。最後は身分の低い兵士に反乱を起こされて誅殺。 良いほうは、『劉備玄徳』。 武官としても文官としても、同時代の英雄と比べるとはっきりいって非常な小粒。しかし人間的魅力で部下に恵まれ、関羽・張飛・孔明のほかにも、超雲・馬超・ホウトクなど綺羅星のごとく俊才が集まる。貧農の出から蜀漢の皇帝に即位。最後は義兄弟ふたりを失うものの、ちゃんと畳の上で病死。子供はすぐ没落するので、もしかしたら、生き様がかなり似通っているご先祖様の『高祖劉邦』のほうが適当かもしれません。こちらは子孫が長期政権をきずく。
- wangwinf
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ここで「東條英機」と言ってみる。 陸軍大臣のとき、クーデター(陸軍は五一五、二二六と二回クーデターをしていた)をちらつかせて総理大臣の近衛文麿の足をひっぱる 戦争を続行させたいがために軍部大臣現役武官制(陸軍大臣がそろわなければ内閣は総辞職しなければならない)を盾に取り、日中戦争の和平を崩壊させる 自分を批判した将官を降格させて戦死の可能性が高い前線に送る 自分の気に食わない記事を書いた新聞記者を高齢であるにも関わらず懲罰的に兵隊に召集 政敵を憲兵や特高を使って次々と逮捕させる 結局戦争犯罪人として、最期は処刑されています。
デュ・バリー夫人のフォローをしておきますと、 「ベルばら」のマンガとは違って、実際は性格は悪くなかったという説が残っております。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%A4%AB%E4%BA%BA ベルばら原作者の池田理代子さんもとんぼの本『フランス革命の女たち』で、そのように紹介しています。 >実力はそれほどないが、人から愛されたために幸福な人生を終えた人物 こういう人もたくさんいそうですが、 実力がないと歴史の表舞台に残りにくいので、例を挙げるのが難しいのかもしれません。 No.7さんがおっしゃるように平和な時代の王様というのもありますね。 家系図で名前は残りますが、印象が薄いのかも?? 実力は普通で悪くない人なのに、先王たちの散財や時代の流れの影響で悲惨な最期だったと言われることがあるのは、ルイ16世。
怪僧ラスプーチンはいかがです。 ついこの前、巨根の歴史的人物の回答にホルマリン漬けの一物の写真が載っていました。多分無残な死に方をしたから、あのような形を後世に残したんでしょう。
弓削道鏡って卑怯な人ではなかったと私は思います。 道鏡は一説によれば志貴皇子の子だとされています。 志貴皇子は天智天皇の子でしたが 天智天皇の子である大友皇子と、天智天皇の弟である大海人皇子の闘い(壬申の乱)において、大友皇子側につき 大海人皇子が勝って即位しました(天武天皇)。 乱後は政治的に不幸でしたが 称徳女帝崩御後、志貴皇子の第6子で白壁王が光仁天皇として即位しています。 道鏡が志貴皇子の子であったとすれば、出家していたとはいえ 彼にも皇位継承権があったのでは? また女帝の称徳天皇といい関係だったとされますが 当時の日本には鑑真が戒律をもたらしたばかりで 戒律では僧侶が女性と関係を持つことは禁じられていました。 道鏡が女帝と関係を持ったのであれば鑑真が許すはずがない、と唐招提寺の僧侶の方がおっしゃっていました。 また、「逆説の日本史」の井沢元彦氏をはじめ 多くの研究家が道鏡と称徳女帝の関係を否定しています。 道鏡の出身地である大阪府八尾市の人々は「道鏡を知る会」などを立ち上げて、道鏡は悪人ではない、と主張しておられます。 http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html http://www.kawachi.zaq.ne.jp/ishii/doukyou.htm 正史は為政者(藤原氏など)によって記されたものなので ここに記されていることは必ずしも事実ではない、 と私は思っています。
ムッソリーニはファシスト独裁を打ち立てますが、敗戦して自国民に自動車の後ろに足をロープでくくられ、引きずりまわされました。むごたらしい写真が残されています。 近藤勇のその部類に入りりますかね。斬首された首が塩漬けにされ、さらに京都で街頭に晒されています。 したの質問に該当する方は平和な時代の王様たちがたくさんいますので挙げるほどでもありません。 質問者はなにを期待して、このような質問をされているのですか? 因果応報は世の常です。仏教的な世界を夢見ておられるのですか? いいですね。
- drakichi70
- ベストアンサー率19% (23/116)
斉藤道三。 司馬遼太郎氏の「国取り物語」によると、 徒手空拳(京都のしがない油商人)から身を起こし、斜陽の美濃の守護土岐氏に取り入り、権謀術数の限りを尽くして美濃一国を乗っ取る。 最期は長男義龍(前主君土岐氏の子と言う説もある。)にも家臣にも背かれて、討ち死。 その義龍は東西の強敵織田・浅井を寄せ付けず、剛勇振りを見せたが、急死後の嫡子龍興は暗愚で、隣国の織田氏によって滅ぼされる。 因果応報ですね。
- k16399638
- ベストアンサー率33% (342/1035)
ゲンリフ・ヤゴーダ スターリン時代、政敵を秘密裏に殺害し内務人民委員部のヘッドとなり、ソ連大粛清の引き金を引いた。が、結局自分が後任のエジョフに逮捕され、粛清される。 もう、見事なほどにご質問の通りなキャラです。
三国志の董卓なんてどうですか? ごたごたに乗じてちゃっかり皇帝を保護して実権を握る(卑怯)、 最後は腹心に裏切られ殺害される(無残)、 まさに当てはまってると思います
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