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アインシュタインの相対性理論について
相対性理論について。 私は、相対性理論は完全に間違っていると思いますが、皆さんはどう思いますか。 相対性理論は次の二つの前提の上に気づかれた理論です。 1.光の速さは、光源の運動に関係ない。 2.光の速さは、どのような運動をしている観測者から見ても、一定である。 私は、上の1.は正しいが、2.は間違っていると思います。 運動している物体の速度は、観測者の運動速度によって異なるということは、力学の常識です。 それが、光の場合だけ、そうでないという理由がありません。 皆さんは、どう思いますか。
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- my3027
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早速回答?ありがとうございます。 >>私は、この一定速度cというのは絶対空間に対して一定なのだと思っていましたが、違いますか。 というご質問にお答えしたつもりですので、絶対空間とは基準となる静止座標系に属する空間と理解し、回転、膨張する宇宙でどこに絶対静止座標系があるのでしょうかという回答をさせて頂きました。 >我々が認識している、あるいは存在していると考えている宇宙内の全ての領域が絶対空間だと思います。 回答頂いた空間は、「物質の入れ物」として存在する空間のイメージで、当初のご質問の一定速度cの基準としての絶対空間の意義と違うものと思います。速度を測るには基準座標が必要です。その基準座標が絶対空間であれば、それは宇宙には存在しません。従って、全ての現象は相対座標で仮の座標基準としか原理的に出来ないのではというのが回答の主旨です。
- my3027
- ベストアンサー率33% (495/1499)
カメレスですが#8です。 >私は、この一定速度cというのは絶対空間に対して一定なのだと思っていましたが、違いますか。 絶対空間(絶対静止座標)て全宇宙のどこに存在するんですか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 私の考えでは、我々が認識している、あるいは存在していると考えている宇宙内の全ての領域が絶対空間だと思います。
- daazdaaz
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ぜひ、アインシュタインの著書「物理学はいかに創られたか」を読んでみてください。 日本語に翻訳されたものが出版されてます。 全く難しい本ではなく、物理学の歴史をひもとくかたちで、uwaeburakuさんの感じる常識的な認識から、相対性理論までの発展についてわかりやすくかかれています。
お礼
ありがとうございます。 ぜひ読んでみたいと思います。
職業上、相対論が不要なら、理解せずとも困ることはありません。ただ、自分の日常感覚と合わないから拒否するか、新しい世界として受け入れてみるか、よく考える必要があるでしょう。 ガリレイの相対性原理は、発案当初は斬新でしたし、長い間不動の地位にありました。ただ、電磁気学と相容れないことが問題でした。電磁気学がガリレイの相対性原理に合わせるべきか、ガリレイの相対性原理が電磁気学に歩み寄るかは問題となり、後者が正しいとされて懇意地に至っています。もしガリレイの相対性原理、ガリレイ変換が正しければ、電子機器などは正常動作しなくなるでしょう。もちろん、仕組みを理解していなくてもカーナビもコンピューターも動作しますので、何を信じていても問題はありませんが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ガリレイの相対性原理が電磁気学と相容れないということは知りませんでした。 改めて勉強したいと思います。 恐らく、その上で又質問したくなるだろうと思いますので、その時はよろしくお願いします。
- gooknight
- ベストアンサー率40% (2/5)
僕も高校の時、力学(ガリレイ変換)が身にしみついていて、アインシュタイ ンの間違いを暴いてやると思いました。光の話(上の1,2)はよくても、時 間が遅れるというやつは許せなかったんですね。 大学で電磁気のマックスウェル方程式の美しさを学んだ私は、同時期に特殊相 対論を理解し、あっている間違っている以前に、なんて美しく、なんて大胆な 理論なのか!と感動しました。 >皆さんは、どう思いますか。 cozycube1 さんの言葉は、uwaeburakuさんには届かないだろうなぁ、と私は思 いました。
お礼
ありがとうございます。 私は、そもそも光の話からしておかしいと思うのです。 勿論時間そのものが遅れるなどということがあるはずがないと思います。 時計が遅れるというのなら別ですけど。
ここは勉強して分からないことを質問する場所であり、丸投げは禁止されていますし、実際、そういう質問は削除されています。 窪田登司氏で納得するようなら、全く相対論を理解できていません。窪田登司氏は全く相対論を理解してませんから。窪田登司氏が攻撃してるのは、氏が理解したと称する何かわけの分からないものです。 議論したいなら、最低限のことは理解してからでないと、何も進展しません。言うに事欠いて、ローレンツ変換が難しい理論と感じるなら、不勉強もはなはだしいといえます。
お礼
ご指摘ありがとうございます。 私も、窪田登司氏の説明は一部間違っていると思います。 しかし、「アインシュタインの特殊相対性理論は間違いである」という主張は正しいと思います。 私も、ローレンツ変換は一応知っています。 しかし、ローレンツ変換を持ち出さなくても、特殊相対性理論が間違いであることは分かります。 なぜなら「特殊相対性理論」は「ガリレイの相対性原理」に反しているからです。 「ガリレイの相対性原理」は非常に単純で明快なものであり、ほとんど疑問の余地がない。即ち、万人が受け入れられる「原理」であると思います。 それに反して、「光速度不変の原理」は、ちょっと疑わしいものであり、万人が受け入れられる「原理」とはいえないと思います。 しかし、「特殊相対性理論」では、「ガリレイの相対性原理」を否定して「光速度不変の原理」を採用しています。 これはどう考えても、「顛倒」であり間違いだと思います。 しかし、アインシュタインは「新しい物理学を打ち立てる」という意図があったらしく、この「顛倒」の理論を正当化するために、いろいろなトリックや仕掛けを作ったのだと思います。 それが「ローレンツ変換」の採用であり、光時計や同時性の相対化であったり、その他の彼独自の論理だと思います。 実際、「特殊相対性理論」論文にはおかしな論理や、こじ付けが多く見られます。 アインシュタインの名声や「相対性理論」に対する世間の評価などの一切の雑音を排して、冷静になって考えればこの理論の「時間も空間も相対的なものである」という結論はおかしいと感ずるはずです。 私は、「時間」とは、その実体はなく、ただ事象の変化を記述するために必要なので、人間が考えたもので、それはそのほかのものとは関係なく一定の速さで進むものと考えられているものである。 又、空間は虚無ではなく電磁波を伝播する媒質となっている。 したがって、電磁波はこの「絶対空間」を一定速度で伝播する。ゆえに光速度は、観測者の運動速度によって違った値に観測される、と思います。したがって光も「ガリレイの相対性原理」に従うと考えます。 この点についてのあなたのお考えはいかがですか
補足
ご指摘ありがとうございます。 私も、窪田登司氏の説明は一部間違っていると思います。 しかし、「アインシュタインの特殊相対性理論は間違いである」という主張は正しいと思います。 私も、ローレンツ変換は一応知っています。 しかし、ローレンツ変換を持ち出さなくても、特殊相対性理論が間違いであることは分かります。 なぜなら「特殊相対性理論」は「ガリレイの相対性原理」に反しているからです。 「ガリレイの相対性原理」は非常に単純で明快なものであり、ほとんど疑問の余地がない。即ち、万人が受け入れられる「原理」であると思います。 それに反して、「光速度不変の原理」は、ちょっと疑わしいものであり、万人が受け入れられる「原理」とはいえないと思います。 しかし、「特殊相対性理論」では、「ガリレイの相対性原理」を否定して「光速度不変の原理」を採用しています。 これはどう考えても、「顛倒」であり間違いだと思います。 しかし、アインシュタインは「新しい物理学を打ち立てる」という意図があったらしく、この「顛倒」の理論を正当化するために、いろいろなトリックや仕掛けを作ったのだと思います。 それが「ローレンツ変換」の採用であり、光時計や同時性の相対化であったり、その他の彼独自の論理だと思います。 実際、「特殊相対性理論」論文にはおかしな論理や、こじ付けが多く見られます。 アインシュタインの名声や「相対性理論」に対する世間の評価などの一切の雑音を排して、冷静になって考えればこの理論の「時間も空間も相対的なものである」という結論はおかしいと感ずるはずです。 私は、「時間」とは、その実体はなく、ただ事象の変化を記述するために必要なので、人間が考えたもので、それはそのほかのものとは関係なく一定の速さで進むものと考えられているものである。 又、空間は虚無ではなく電磁波を伝播する媒質となっている。 したがって、電磁波はこの「絶対空間」を一定速度で伝播する。ゆえに光速度は、観測者の運動速度によって違った値に観測される、と思います。したがって光も「ガリレイの相対性原理」に従うと考えます。 この点についてのあなたのお考えはいかがですか。
- isa-98
- ベストアンサー率23% (205/859)
光速Cの光源に徒歩で歩くとC+徒歩速度なので 相対性理論は間違っている。 >皆さんは、どう思いますか。 あまりに幼稚な理論構築ですよね。 これでは議論は到底無理です。 これを、「新幹線」「光行差」に置き換えても幼稚は幼稚です。 また、自明や常識までわざわざ説明する事はありません。 >議論したい 2ちゃんねるは自分の為に行かない方が良いです。 頭脳、性格、存在の必要性のその全てまで否定される恐れがあります。 この辺でごねてる方が愉快だと考えます。 またはヤフー掲示板はトピックスなので「ここは使える」と思います。 >狐につままれたような気持ち それは素晴らしい心がけだと考えます。 理想的な考査です。 見習いたいぐらいです。 哲学のカテで、 >狐につままれたようになるとは思いますが (質問者はこう言う馬鹿だと断定して理論構築) >こう言う人がいますが(必要が無い人間を引き合いに出す) 定義が曖昧で、理想の理論構築や哲学から「完璧に逸脱している」 人間も多いのです。 哲学者が一生をかけて得た結論は3秒で得る。 ~は~だから~だ。 物理学者に論議を挑んでいます。 だそうだ。 真理(アンサー)は一つです。 頑張ってください。
- ichiro-hot
- ベストアンサー率59% (82/138)
●#9です。 >>「アインシュタインの特殊相対性理論は完全に間違っている」 という考えを持っています。そしてこれはほとんど確信に近いものです。 >>結局、私は論争をしたいわけです。 もし、こんな論争ができるようなサイトあったら、誰か教えていただけませんか。 ●『議論したい』・・・十分承知しています。正直な人のようですね。 私は今50代です。 5歳ぐらいの子供のころ、昭和30年ぐらいなのでしょうか、こんな光景を思い出します。今でも良く覚えていて、ことあるごとに思い出してしまいます。 夜な夜な、一人のおじさんがわが家にやってきます。そして必ず次のように切り出します。 「わしは民主主義がわかっとらんといわれるが・・・・」 それは決まって我が家の食事時。5歳の子供にもおじさんはその話がしたくって来たんじゃないんだってわかりました。そうすれば長話になって、酒が出て、場合によっては食事にもありつけたのです。民主主義を口にすればそうできたという戦後10年ぐらいの時期というものを、そのような記憶と一緒に振り返るのです。やっと手にした自由というものを、そうやってスポイルしていってしまったのでは? このサイトでも時折『相対論とは・・・』といった表面的な議論に終わっているものを見かけることが有ります。50年もたっても人のありようって変わらないのかな・・・ すでに多くの人が、相対性理論が『古典力学』『電磁気学』の根本的な矛盾を解決する理論として提唱されてきたものであることを述べています。例えばローレンツ力について作用反作用の法則が成り立たなく見えるのはなぜかなど、それは相対性理論の真偽にまつわる具体的な内容に踏み込んだ議論であり、私もその議論の行くへに興味をもってみています。そのようなのが本当の議論なんですよ。 アインシュタインの論文を読むとほぼ1900年前後の物理学の状況を正確に把握していたことがわかります。アインシュタインの議論を理解するには古典力学の最高の到達点、電磁気学の1890~1900年当時の到達点、光量子論やブラウン運動の理論も含めれば熱力学・統計力学も含めて、20Cはじめの新しい物理学の芽生えという状況すら正確に理解しなければ議論のしようが有りません。100年前の時点ですらそうなのです。本当に不十分な点が有るとすれば量子力学とのかかわりということになるでしょう。 アインシュタインの仕事を今に当てはめれば、素粒子理論での超弦理論やホーキングの宇宙論ということになるのでしょうか・・・その矛盾点を指摘して、新たな理論を作り上げたというのに等しい仕事です。この100年の間にどれだけの理論展開があったと思いますか?先は、はるか、はるか、かなた、ですね。 前に指摘したとおり、アインシュタインの論文の最初の2ページあたりの数式も使わずにわかりやすい文章とともに書かれていることについてすら、自分の主張のたった2行程度の中に、内容の根本にかかわる誤った記述をいくつも行っているような状態。これでは生産的な議論にはなりません。『わからない』⇒『間違っている』という筋書きしか私には受け取れませんでしたね。ある意味、理解するための膨大な努力の放棄は楽でしょう。それは『向上心の無さ』と映りました。 あの50年前の『おっちゃん』を思い出すのです。戦後の自由を手にした大切な時期に、その自由を「ただ酒」を飲むために使ったのです・・・。 勉強をすることが何の支障も無く思う存分できるときに、理解のための土台作りのための努力を放棄しちゃもったいないでしょう。このすばらしいサイトや本当に優秀な回答を寄せてくださる回答者の方々にも、あまりにも『粗末』な扱いとしか受け取れません。 自分たちは、いま、ごくごく普通のことのように、だけどものすごく大切な道具を手にしているのです。 『ただ酒』をせびるのと同じことを繰り返すのですかね? 50年前のセピア色のノスタルジアが、この今という時にネット社会の中でも繰り返されているのを見るのは残念なことです。 そういえば・・・あのイチローが、WBC優勝記者会見時に『向上心』を口にしてましたね。それがとても印象的でした。
お礼
大変貴重なご指摘ありがとうございます。 これから改めて勉強したいと思います。 しかし、一応私現在の考えをお聞きください。 >『わからない』⇒『間違っている』という筋書きしか私には受け取れませんでしたね。 実は、私がアインシュタインの相対性理論に興味を持ち始めたのは今から約30年前ですが、特殊相対性理論について勉強したところ、一応分かったつもりになるのですが、しかしどうしても納得はできませんでした。 理屈は一応分かるのですが、その後「本当にこの通りだろうか?」という疑問が出てきてならないのです。「狐につままれたような気持ち」になると言ったらいいでしょうか。とにかく、すっきりしないのです。 どうしてそんな気持ちになるのか、自分でも分かりませんでした。 しかしある時、窪田登司著『アインシュタインの相対性理論は間違っていた』を読んで、納得がいきました。 私は、この本の内容は一部間違っていると思います。 しかし、「アインシュタインの特殊相対性理論は間違っている」という主張は、正しいと思います。 私はそれまでは、相対性理論は正しいとばかり思っており、それを露ほども疑うことをしなかったので、分かったつもりでも納得がいかなかったわけです。 しかし、間違っているかもしれないと思ってよく検討してみるとその理由が分かります。 理論が正しいことを証明することは難しいけれど、その理論が当てはまらない現象が一つでも見つかれば、その理論は間違いであるといえると思います。 私が、特殊相対性理論は間違っていると考える根拠は二つあります。 一つは、「ガリレイの相対性原理」です。 この原理は全く疑問の余地のない簡単で明瞭なものであり、これこそ「原理」と呼ぶにふさわしいと思います。 このような明らかな原理に反する理論は間違いだと判断すべきだと思います。 特殊相対性理論の「光速度不変の原理」は、この「ガリレイの相対性原理」に反しています。そして、なぜ光の場合には「ガリレイの相対性原理」が当てはまらないかという説明が全然なされていません。 もう一つは「光行差」です。 もし、「光速度不変の原理」が成り立つならば、「光行差」の現象はあり得ないと思いますが、どうですか。 この点について、お考えをお聞かせ願います。
補足
更にichiro-hotさんへ。 >『わからない』⇒『間違っている』という筋書きしか私には受け取れませんでしたね。ある意味、理解するための膨大な努力の放棄は楽でしょう。それは『向上心の無さ』と映りました。 私は、『わからない』から『間違っている』と思ったのではありません。 実は、私がアインシュタインの相対性理論に興味を持ち始めたのは今から約30年前ですが、特殊相対性理論の入門書や解説書を読み、勉強したところ、一応分かったつもりになったのですが、しかしどうしても納得はできませんでした。 理屈は一応分かるのですが、その後「本当にこの通りだろうか?」という疑問が出てきてならないのです。「狐につままれたような気持ち」になると言ったらいいでしょうか。とにかく、すっきりしないのです。 どうしてそんな気持ちになるのか、自分でも分かりませんでした。 しかしある時、窪田登司氏の書いた『アインシュタインの相対性理論は間違っていた』という本を読んで、納得がいきました。 私は、この本の内容は一部間違っていると思います。 しかし、「アインシュタインの特殊相対性理論は間違っている」という主張は、正しいと思います。 私はそれまでは、相対性理論は正しいとばかり思っており、それを露ほども疑うことをしなかったので、一応分かったつもりでも納得がいかなかったわけです。 しかし、間違っているかもしれないと思って、よく検討してみると 確かに間違っていることが分かります。 どんな頭の良い学者でも、頭から「正しい」と信じてかかれば、その理論の誤りには気づかないでしょう。 したがって、私は、分からなくて質問しているのではありません。 もっとも、ローレンツ変換とかその他の難しい理論はよく分かりません。 しかし、理論が正しいことを証明することは難しいけれど、その理論が当てはまらない現象が一つでも見つかれば、その理論は間違いであるといえると思います。 私が、特殊相対性理論は間違っていると考える根拠は二つあります。 一つは、「ガリレイの相対性原理」です。 この原理は全く疑問の余地のない、簡単で明瞭なものであり、これこそ「原理」と呼ぶにふさわしいと思います。 このような明らかな原理に反する理論は間違いだと判断するのが正常な人間の考え方だと思いますが、そうではないでしょうか。 特殊相対性理論の「光速度不変の原理」は、この「ガリレイの相対性原理」に反しています。そして、なぜ光の場合には「ガリレイの相対性原理」が当てはまらないかという説明が全然なされていません。 もう一つは「光行差」です。 もし、「光速度不変の原理」が成り立つならば、「光行差」の現象はあり得ないと思いますが、どうですか。 この点について、お考えをお聞かせ願います。
ローレンツ変換も知らない。光行差こそが特殊相対論の正しい証拠であることも知らない。そういうこと勉強もせずに丸投げで訊いてくる。それだけ不勉強で、よく相対論の是非が問えるものですね。 ローレンツ変換は、電磁気学の基礎方程式であるマックスウェルの方程式がガリレイ変換で不変でないので、電磁気学が不変であるようにガリレイ変換を書き直したものです。ちなみに、マックスウェルの方程式をガリレイ変換で不変に書き直したのがヘルツの方程式。最終的にヘルツの方程式が却下され、ローレンツ変換が正しいことが分かったのです。 光が音のように媒質を伝わってくると考えられ、その媒質として名づけられたのがエーテル。地下で光速度を検証して不変であったのはエーテルを引きずっているからと考えられて、地表でも実験が行われ、やはり光速度は不変でした。エーテルがあると考える限り、地球がエーテルを引きずっていて、観測者がエーテルに対して動いていないと考えるよりほかはありませんでした。これを否定するのが光行差です。エーテルを仮定する限り、光行差があるのはエーテルを引きずっていないと考えるほかよりないからです。したがってエーテル説は矛盾を生じ、アインシュタインの理論が正しいことの証拠のひとつとなったのです。
お礼
全く勉強不足で申し訳ありません。 しかし、このサイトでは知らないことを教えて貰えるのだと思いますが、違いますか。 とにかく、もっと勉強します。 そして、又改めて質問したいと思いますので、よろしくお願いします。
補足
全く勉強不足で申し訳ありません。 しかし、このサイトは知らないことを教えていただくために、使ってはいけないわけではないと、認識していますが、違いますか。 とにかく、もっと勉強します。 そして、又改めて質問したいと思いますので、よろしくお願いします。
お礼、ありがとうございます。 簡単な話ですよ。ガリレイ変換は近似で、正確なのがローレンツ変換だからです。ガリレイ変換はマイケルソン&モーレーの実験を説明できません。ガリレイ変換で電磁気学のマックスウェルの方程式を書き直した、ヘルツの方程式が提案されましたが、実験結果にあわず却下されました。ローレンツ変換が正しかったのです。
補足
ローレンツ変換について詳しく教えていただけませんか。
お礼
ありがとうございます。 ご質問の趣旨が、やっと分かりました。 私は、その点で違った考えを持っているわけです。 即ち、基準となる絶対空間がこの宇宙に存在するだろうと思っているわけです。 なぜそのように考えるかという理由は、ここでは簡単には説明できませんので、よく準備をして(図を使います)又の機会に説明させていただきますので、よろしくお願いします。