こんにちは。
調べても見付からなかったようですね。
自分の名前といいますのは誰の脳内でも極めて特別な意味を持っています。ところが、特にそれを学習する過程を研究したというのは私もまだ目にしたことがないです。
我々の脳内では言語を習得する機能というのはありますが、名前を学習するための特別な機能というものは恐らくないと考えます。ですから、この機能がないのであるならば、そのような研究は見付からないかも知れませんね。
これは取り敢えず言語学習と同じで良いと思います。
まず質問者さんの仰るように、赤ちゃんが自分の名前を判別できるようになるのは二歳ごろからです。それまでを「感覚的運動知能期」といい、赤ちゃんは視聴覚入力に対して直感的な反応や運動を繰り返しているだけです。これを続けることにより、やがてその見聞きの主体が自分であることを見付け出します。ですから、このようにして脳内に自分というものが成立しませんと、名前を呼ばれてもそれを自分と結び付ることができないわけです。そしてこれ以降を「概念知能期」といい、これを過ぎますと二度と感覚的運動知能期に戻ることはできず、我々は生涯に渡って「自分と外界」というロジックに縛られて生きてゆくことになります。
それ以前でも母親の呼び掛けに対して微笑むといった条件反応が学習されることはあるかも知れませんが、やはり概念知能を獲得しませんと、赤ちゃんの脳がそれを主体的に処理していることにはならないわけです。
名前や名字といった言葉の概念を扱うためにはその意味を理解しなければなりませんので、これは概ね4~5歳ということになると思います。この頃になりますと言語中枢の発達強化はほぼ完了しますので、母国語は日本語となり、それまでに何か外国語を習得していませんとバイリンガルにはならないと考えられています。
このようなバイリンガルや、あるいは絶対音感などといいますのは、一定の年齢を過ぎますと習得できなくなります。これを「学習臨界期」といいます。
心理学で、雑踏の中でも自分の名前だけは聞き分けられるという研究報告があります。確か「カクテル・パーティー効果」とか言ったと思います。
名前といいますのは誰の脳内でも特別な位置を占めています。ですが、これを学習するための専用の中枢機能というのは特に見付かっていませんし、学習臨界期もありません。恐らく、脳内では他の言語記憶と同様に保管されているものと考えます。このため、何故これほどまではっきりとしたパーティー効果が万人に現れるのかというのをきちんと説明するのは難しいと思います。
ただ、このような心理効果をみますと、名前というのは正に人を縛るものであるように思えます。我々は二歳を過ぎたときから外界との関係に雁字搦めにされ、生涯に渡って主体という立場から退くことが許されません。果たして、パーティーの会場で自分の名前を無視することの方がよほど困難ですね。
お礼
なるほど。 カテゴリ理解についての研究から考える事も出来るんですね。 とても参考になりました。 ありがとうございました。