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心愛づ(3)
上記の標目で二つのご質問とご回答があります。 http://okwave.jp/qa4768042.html http://okwave.jp/qa3533534.html です。 ここで、“心愛づ”とは“片思い”の意味のある“片恋”であるとのご回答もあります。 うらなる心に思うのでありますから、そういうことにもなりましょう。 つまり端的にはっきりと“片思い”や“片恋”という意味の単語だという理解でよろしいのでしょうか? そうすると、このご回答以外のご解説やご回答は無知だった私たちの理解と同じだったということになると存じますが。
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そこまで限定するのは、いささか勇み足に感じられます。 少し調べてみた限りでは、古典作品においても「心愛づ」の用例は少ないようなのではっきりしたことは言えませんが、接頭語としての「うら」のニュアンスの捉え方としては、「心の中でひそかに」というよりは「心の内になんとなく、しみじみと」の方が合っているようです。 いろいろ深くお調べのようなので、すでにご覧になっているかもしれませんが、『日本国語大辞典』「うら(心)」の項の解説で必要十分に思いますので、少し長くなりますが以下に引用しておきます。 二 〔語素〕形容詞およびその語幹、動詞の上に付いて「心の中で」「心から」「心の底からしみじみと」の意を添える。 語誌 (1) 上代において同じく「心」の意をもつ「うら」と「した」のちがいは、「うら」が、意識して隠すつもりはなくても表面にはあらわれず隠れている心であるのに対し、「した」は、表面にあらわすまいとしてこらえ隠している心であるという。 (2) 語素としての「うら」の結合範囲は、中古以後ほとんど形容詞に限られ、「うら」の意味も弱まって「おのずと心のうちにそのような感情がわいてくる」意となる。その結果「ものがなしい」などの「もの」と類似した意味にとれるが、「もの」は情意、状態の対象を漠然と示して外的であるのに対し、「うら」は内面的である。 ですから、何も片恋とは限らず、夫や妻を「心愛づ」こともあるでしょうし、庭先の梅の香を「心愛づ」こともあるでしょう。 「心恋ふ」「心恋ひす」なども同様だと思われますが、「愛づ」と「恋ふ」のニュアンスの違い(「愛づ」は、恋するというよりは賞賛する、愛玩する、などのニュアンスが中心)を考えると、敢えて片恋のニュアンスに近い表現というのならば、「心愛づ」よりもむしろ「心恋ふ」あるいは「下恋ひす」などかなという気がします。
お礼
ありがとう御座います。 このご回答を賜り、実に膝を打って納得できる思いです。 《ニュアンスの捉え方としては、「心の中でひそかに」というよりは「心の内になんとなく、しみじみと」の方が合っているようです。》 そして《「もの」は情意、状態の対象を漠然と示して外的であるのに対し、「うら」は内面的である。》というご説明も『そうか』と、納得しております。 《片恋は、「心愛づ」よりもむしろ「心恋ふ」あるいは「下恋ひす」》。これが“した”という接頭語の例ですね。 まことにありがとう御座いました。
補足
早速にお教えを頂き、心より(“うら”ではなくじぶんという意識と意志を以って)感謝申し上げます。 “「した」”というのも関連の語としてあったのですか。 私は、国語や文学のことは実はほとんど知らないくせに、日本の心性や民族性、民俗に関心がある単なる趣味者であります。 決して深くは勉強していなく、自治体の高齢者講座での話しから関心を持ち始めただけの古希過ぎ老人です。 ありがとう御座いました。