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生活保護などない時代に病気や怪我で働けない人ってどうなってたのですか?
生活保護などない時代に 病気や怪我で働けない人ってどうなってたのですか? 家族や親戚が養えない場合は やはり餓死か自殺かしかなかったのですか? 多分そうだと思いますけど一応聞いてみたくて質問しました。 よろしくお願いします。
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No.6の回答者の方がおっしゃるように 奈良時代に聖武天皇の皇后であった光明皇后が 悲田院(貧しい人に施しをするための施設) 施薬院(医療施設)を設置しています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%98%8E%E7%9A%87%E5%90%8E こういった慈善事業が行われた背景には 当時の信仰が関係していました。 当時ハンセン病を患った人は非人宿(寺社に隷属する人々が住んでいた町。主に坂につくられた。) に捨てられることが多かったようです。 ハンセン病患者は文殊菩薩の生まれ変わりだと考えられて 多くのお布施を集めたといいます。 光明皇后が全身膿だらけの老人の背中を洗ったという伝説がありますが (ハンセン病患者でしょうか) 実は阿閦如来だったという伝説などは そういった信仰を背景にして生み出されたものでしょう。 余談ですが、鎌倉時代の町のようすを知る資料として 一遍聖絵があります。 http://www.emuseum.jp/cgi/pkihon.cgi?SyoID=1&ID=w052&SubID=s000 小さいのでわかりにくいかと思いますが(拡大して見て下さい) 左端中央に下駄を手にはいている人が描かれています。 (立ち上がることができないので、こうして歩いているようです。) また車のついた家にのって移動する人なども描かれているようです。 (やはり歩けないためにそうしているようです。) 上記サイトから他の画像を開いて注意深く観察しますと、 広場に粗末な小屋を作って生活する人の姿もあります。 >餓死か自殺かしかなかったのですか? 詳しいことはわかりませんが、そういうこともあったのではないかと 私は思います。 昔は食いぶちを減らすために生まれたばかりの子供を殺したり 姥捨て山に老人を捨てたり という残酷なことがあったと聞いた記憶がありますので。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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有力者やお金持ち、あるいは宗教施設や宗教家、そして近隣のお互いの相互の助け合いなどです。 昔は行路死亡人(いわゆる行き倒れ)とかことばがありましたが。 検索すればでてきますよ。しん恤救済事業、恤救規則とかいうのもありました。 日本社会福祉史ではなく、日本社会事業史や慈善救済事業を読むと出てきます。 日本社会事業大学の図書館(公開)にはたくさんの関連資料があります。画像や図版もあるはずです。(私立ですが、この大学の関連団体:厚生省、メソニック協会、共同募金会、社会福祉協議会など。つまり公共的な機関だということです)
お礼
行路死亡人早速調べてみました。 興味深いのでもっと調べてみます。 ありがとうございます。
- nene-k
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どのくらいの人数の人を助ける事ができたのかは疑問ですが、仏教国で慈愛の精神が尊ばれた日本では、近代まで、まったく福祉施設がなかったわけではないです。 奈良時代に始まる「悲田院」と「施薬院」は京の都にも設置されていましたし、鎌倉時代には不治の病の人の最後を看取る「北山十八間戸」が忍性というお坊さんによって建てられています(この建物は現在も奈良に残っています)。 参考↓ http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2007/04/post_2c6f.html ご存知かも知れませんが、江戸時代には「小石川養生所」というのもありました。 ただ、それだけの施設で全員がまかなえない事は明らかですが、先の回答者さんがおっしゃられていたように、家族や親戚、あるいは、もっと大きな団体で助け合っていたと思います。 中世に発達した惣村などでは、村の掟として、誕生・成人・結婚・病気・葬式・法事・火事・出立・家の普請・水害の10項目を重要なつき合いとして定めていて、これらのつき合いには、村人総出で助け合う事になってました。 ただし、村の規約を破ったり、裏切り行為をした家族は、上記の付き合いのうち、葬式と火事以外の手助けをしてもらえず、のけものにされます・・・これが「村八分=むらはちぶ」です。 10項目のうち8項目は知らん顔されるという意味ですが、言い換えれば、村八分にされなければ、それだけの手助けをしてくれたって事ですから、やはり、現在よりも、はるかに密接な近所づきあいをしていたと思われます。 今では、町内会も有名無実のところが多いですが・・・。
お礼
いつの時代もご近所との信頼関係は大切ですね。 ありがとうございます。
- astute_2wd
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縄文時代の遺跡を調べたところ、 生まれつき奇形や、歩くことも困難になるほどの重症(骨が砕けた状態でくっついていたため、骨折後も長期間生きていたことが分る) を負った大人の人間の骨が多数見つかりました。 自力ではとても生きていけないはずの人が成人まで生存していたということは やはり周りの人間が面倒を見ていたのでしょう。 人間は歴史のあけぼのから皆で助け合って生きていたのです。
お礼
想像しただけでも辛そうな状況なのにがんばって生き抜いたんですね。 頭が上がりません。 ありがとうございます。
- k16399638
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欧州ではまず、キリスト教会が慈善事業の中心でした。教会に財産などを寄進することで、信仰心を示したい人、社会的地位を高めたい人、などが大勢いたので、修道院、教会などは常に莫大な財産をもっていたからです。 イスラムの世界では、施しはよいこととされており、犠牲祭などでつぶした獣の肉を、貧しい人に分け与える習慣がありました(今でもあります)。 社会のアウトローにならないかぎり、とりあえずすがるところは、絶無ではありませんでした。治療法、やり方が現代のにくらべてどれほど効果的か、はまた別の話ですが。
お礼
宗教によっても違いがあるのですか。 ありがとうございます。
- BONUSU
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昔は現代と違い親族や地域の結びつきがずっと強かったはずです。 普段から困った人を人を助けることが当たり前ですから、 逆のときは助けてもらえます。 つまり助け合いですね。 助け合わなければ生きていけなかった時代背景があったわけですけどね。 逆にわが道を行く人は 助けてもらえませんから餓死だってあったでしょうね。 現代人がその当時に生きてたらみんな「村八分」でしょうねぇ…
お礼
今との時代の違いを改めて思い知りました。 ご回答ありがとうございます。
- iamhappy
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>多分そうだと思いますけど そうですかね? 餓死も多かったでしょうが昔の人は現代人などよりよほどしぶとかったんじゃないでしょうか? 法律によって近くの野草さえも取れば泥棒扱いで裁かれてしまう現代人と違って、昔の人はお腹が空けばその辺の草なども平気で自分や子供にも食べさせたでしょうし、山や海に行けばお金を払わなくても食べ物も手に入ったでしょうし。 まあ、働けない訳ですから生活は苦しいし餓死する人は多かったのは確かですが、自殺するようなヒマ人は少なかったのではないでしょうか? 現代人と昔の人とでは法律に対する依存度が根本的に違ったように思います。昔の人はおそらく法律に頼って生きてなどいなかったのでしょう。生活保護というルールはなくても他の手段で生きようと努力していたはずです。
お礼
昔の人はすごいですね。今は生活保護があるから甘えられるという気持ちが沸いてしまうのでしょうか? ご回答ありがとうございます。
戦争時代に生きていた祖父のお話ですが、 今で言う小学生くらいの年齢で両親を失った祖父は 毎日山菜を採ったり、野菜をそこら辺に植えたりして 自給自足で生活していたそうです。 ウサギや鳩をハントしたりもしていたそうです。 飲み水は井戸や湧き水を利用していたし、 電気なんて無くても別に不便はしなかったみたいですね。 火はどうしていたかわかりませんが、 きっと昔ながらの方法で火を起こしていたのだと思います。 実際に起こす瞬間を見せてもらったこともあります。 あと、言い方が悪いかもしれませんが、 大人の食料をかっぱらたりもしていたそうです。 戦争時代ですから、徴兵された人たちに捧げるお酒なんかが集められたりしていたそうです。 それを少し拝借したり…。 「昔は雑草食べて生きてたもんな。でも雑草も立派な食材なんだぞ」 と笑って話してくれました。 昔の人たちは収入源が無くても生きていける方法を持ち合わせていたようですね。 祖父の兄弟に病弱で、結局20代の時に病状悪化で死亡した人がいたみたいですが、 「昔はまず薬が無かったしなぁ、うまいもん食って治らなかったら諦める」 と、サバサバした態度で言っていました。 怪我や病気が原因で、餓死や自殺なんて話は祖父の人生経験から聞いたことがありません。 病気や怪我が悪化して亡くなるというケースは沢山聞きました。 少しは参考になりましたでしょうか?
お礼
すごいおじいさまですね! やはり現代人は甘ったれていますね。 不景気とはいえ甘えることが可能な豊かな時代だからしょうがないですが。 大変参考になりました。質問してよかったです。 ありがとうございます。
お礼
手に下駄をはいている人、確認できました。 sitifukujiさんは物知りですね。尊敬します。 どうもありがとうございした。