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十字架を手に持った仏様の石造

住んでいる近くの神社にある石造の事です。 写真から下の部分がコンクリートで固められていますので、 元々はもっと長い石造だったことが分かります。 小さい頃気付かなかったのですが、数年前に気付きました。 仏様が右手に十字架の様な物を持った石造があるんです。 十字架と言えばキリスト教ですが、仏様が持つなんてちょっと不思議です。 自分が住んでいる60戸程の小さな集落で、その集落は300年程の歴史しかないまだ新しい集落です。 開拓者が仏教徒だが、隠れキリシタンとの意思表示のためにこの石造を作ったのか? 集落に住んでいる地元の歴史を知っているお爺さん達に聞いても分かる人はもういません。 何か手がかりになるような事でもいいので知っている方がいれば教えてください。

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noname#82952
noname#82952
回答No.2

NO.1です。 腕がたくさんあるのが気になって調べたのですが http://www.butsuzo.co.jp/images/ten/benzaiten_03.jpg ↑ コレに似てませんか。 八臂弁財天です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%89%8D%E5%A4%A9 光背の上の二つの●は星? http://harimaya.com/kamon/column/hosi.html

sigenobu120
質問者

補足

色々なご意見ありがとうございます。感謝しております。 自分なりに整理してみると地理的環境や過去のこの集落の歴史からみておそらく八臂弁財天で間違いないと思います。 この集落は誕生してから水害に悩まされていました。 八臂弁財天を調べてみると”元来、インドの河神であることから、日本でも水辺、島、池など水に深い関係のある場所に祀られることが多い。”とありますので先祖は神に祈る思いで水害を免れようと石造を造ったのだと思います。 自分の集落の詳細が記載されているページがありますので紹介します。 http://www.pref.akita.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1148602523559&SiteID=0

その他の回答 (3)

回答No.4

 面白いですね。残念ながら、素人には分かりませんが、十字架と光輪(後ろの丸)に見えますね。ちなみに地理的にはどの辺ですか?差し支えなければ・・・・。うちの近所には、キリストの墓と言われる十字架もあります。観光化されてますが、諸説あるようです。  参考にならないかもしれませんが、以上

参考URL:
http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/crist.htm
  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

>十字架と言えばキリスト教ですが、仏様が持つなんてちょっと不思議です。 初期のキリスト教聖職者は、信者が十字架を崇拝する行為に対して、「それは異教徒のシンボルマークじゃないか」と批判していたそうです。 キリスト教が十字架崇拝をする前は、十字架のマークは異教徒のシンボルだった。 その異教徒の宗教儀式をしていた建物を、後に起ったキリスト教が使用した。 だから、キリスト教の建物のとっぺんにある十字架はいろいろ種類がある。 いずれにせよ、キリスト教が起る前から十字架は宗教のシンボルマークとして利用されており、複数の宗教のシンボルマークでもあったわけですが、結局キリスト教に習合されたことで、異教は消えてキリスト教だけが残ったかのようになったのではないかと思えます。 西アジアでもキリスト教じゃない宗教が、十字架をシンボルマークとして使っていたらしいです。 で、このマークは何なのかというと、太陽が12月25日あたりになると、サザンクロスにかかるため、太陽が処刑され、また蘇るってことで、その復活の象徴として使用されていたこともあるでしょうが、もう一つの十字架の形の意味は、男根。 男性の生殖器。 元から○が二つしかない石造でしたら、この○は睾丸ではないかと。 この石造の周りは○で囲まれていますが、太陽のことなわけで、太陽の周りに二つの星があったかなぁ?と考えましたが、思いつきません。 しいていえば、ウガリッド地方の神話のシャヘル。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%98%E3%83%AB 明けの明星、宵の明星。 太陽が昇る時と沈む時に見える星らしいです。 で、300年ほど前にその集落に人が住み着いたそうですが、日本列島はちょっと複雑で、前は統一されていたわけではなく、大和朝廷に服従しなかった集団は蝦夷とか呼ばれており、どんどん北に追いやられていったらしいです。 北に追いやられることになった人々が残した石造かもしれない。 キリスト教じゃなくて、太陽信仰をしていたグループが、大陸よりそこの住んでいたんじゃないか と。 たがいくつもある千手観音とかありますが、そのたくさんの手は太陽光線を表しているのだと思えます。 ということで、この石造は、太陽崇拝をしていたグループのものだったのではないか と。 急な襲撃で、持って逃げられなかったとか、もしかしたら、大和朝廷に討伐されてしまった人達の遺品かもしれません。

noname#82952
noname#82952
回答No.1

うわっ、面白い石像ですね! かつてマリア観音というものがあったそうです。 キリシタンに対する弾圧から逃れる為に、菩薩像に似せたマリア像などを造って偽装したとのこと。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%A6%B3%E9%9F%B3 もっと古い時代(応神天皇代)には渡来人の秦氏が日本に景教(ネストリウス派キリスト教)を持ち込んだという説もあり 京都の広隆寺は別名を太秦寺といいましたが 大秦寺とは景教の漢語訳、 また広隆寺近くに大酒(大避/避はしんにょうではなく門構え。すいません、漢字が出ないので)神社というのがありますが 大避とはダビデの漢語訳、 近くに「いすら井」という井戸があるのは「イスラエル」のことだろうと 佐伯好郎氏が唱えておられます。 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/jud.html が、300年程度の歴史ということであれば マリア観音の可能性のほうがたかいかな?

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