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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:キリスト教について)

キリスト教の歴史と江戸時代の禁止令

このQ&Aのポイント
  • 江戸時代においてキリスト教は厳しく取り締まられていたが、なぜそうなったのか疑問に思う。
  • 戦国時代から江戸時代にかけて、キリスト教は禁止され、キリシタン大名が存在した。
  • 現代ではキリスト教は普通に存在するが、かつてはひどい宗教と見做されていた理由は何だったのか研究したい。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

キリスト教が禁止された要因は、宗教的に問題があったのではなく、そのころのスペイン、ポルトガルがまず宗教を定着させたのちにその宗教を利用し占領するということをしていたからです。 東南アジアの国々がそのように占領されています。 確か、このことを敵対する国家から、聞かされて慌てて禁止したのだと思います。 決して宗教に内容によるものではありません。 ただ、仏教も所詮政治的に国内に入ってきた宗教です。 政治と宗教は、現在でも深くつながっています。

noname#134250
質問者

お礼

回答有難うございます。 えっと・・・、最初は単に理由だったんですがその理由が深すぎると言うか自分にとって他の方のご回答を読ませて頂いてる内にだんだん頭が混乱してきたんで分からなくなってきました。 途中から歴史の本を読んだりはしましたが、今一ぱっとこーへんと言う感じに成ってきたのでこのご回答が解り易かったのでお礼させていただきます。 他の方には大変失礼と分かっていますが 「占領を目的とする宗教活動」と受け止めて起きます。 誠に有難うございました。

その他の回答 (7)

  • nani-21
  • ベストアンサー率35% (34/95)
回答No.8

(豊臣秀吉もキリスト教を保護しています☆) ポルトガル商人によって日本人が海外に奴隷として売られた事など、被害を受けた様ですが しかし日本人も、自国民や朝鮮人を奴隷として売り渡すことをしております。 奴隷売買は、当時の世界でキリスト教やイスラームや日本宗教や儒教関係なく行われてきました。  ですが! 仏教や神道を信じる大名 によるキリシタンへの迫害もあったことから これを強調することは公平ではなぃとの批判があり、 公に教えなぃ歴史も様々にあるのでしょう。 何処の国も自分の国が可愛ぃものですからね☆ 神田千里氏の著書『島原の乱』では、 仏教や神道を重んじる(伝統的)戦国大名・キリスト教を重んじたキリシタン大名 は、 < 実際は共通した発想に立っている> と述べている。 -抜粋- 異なる信教であれば、互ぃに受け入れ難ぃ(といぅか受け入れられなぃ)ものなので、 現代でもとても繊細な問題です。 (今はそういうのも無く、いたって普通にどこかに教会があります) ・・ につぃて、 説明がつくであろぅポイントとしては これ↓ グロティウス「戦争と平和の法」 により 国際関係のあり方を、神法ではなく自然法を万民法の原理と策定した功は大きく、 これは ヨーロッパ30年(宗教の戦ぃ)の反省からくるもの とも言われる。 に加え、 仏教の「五戒」 ・ キリスト教の「十戒」 を現代に当てはめて考えてみると、 仏教徒:初期の頃は、酒を飲みませんでした。 また 日本ではかつて、僧侶は肉も食さなかった。 (肉食をしよぅと思えば、殺生をしなければならなかったから。) しかし現代では、公然と酒を飲むし・肉も食します☆ キリスト教徒も上に同じく 時代に沿って様々な変化が見られます☆ 今でも徐々に 〔 これまで認められなかった規律 〕 を覆す動きもあります。 日本文化にも影響しているユダヤ教にも これと同じ様な時代の変化がある。 人間は賢ぃ動物なので、 それぞれの信教での 「戒」 に対する解釈が 生きる流れとともに柔軟に変化しているのでしょう。 平和を望み・生きていく上での必要性と 幸せを望むよぅになった変化と言えます。 〔 尊重 〕 を覚え・実践してきた結果です。 歴史は変えられなぃし、信教心は自由なので 改宗する必要はありませんが、 変化した現代を受け継ぃだ我々も尊重を覚えましょう。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.7

日本にまずやってきたキリスト教は、カソリックでありました。当時のカソリックは他の方の回答にもあるように「この地を神に捧げる」というキリスト教圏外の人間から見ると誠に迷惑な価値観を持っていました。まだ神の領域の及ばない野蛮な地に新しい教えを広めるところの何がいけないという価値観がキリスト教徒の基本的な価値観としてあります。 あのフランシスコ・ザビエルを始めたとしたイエズス会は厳格なカソリックであり、日本で布教を始めますがこれが大変に苦戦します。 理由は、彼らが「一神教」だからです。どうも我々日本人は一神教にどうしてもなじめないんですね。洗礼は受けていないが心はキリシタンな私もどうも「神様はひとりだけであとは全部ニセモノ」というのがなじめません。神社で拝んで何が悪いの、野球の神様、サッカーの神様、受験の神様、それぞれに神様がいて何がいけないの、と思ってしまいます。 苦心惨憺、彼らも神(デウス)を「大日如来」と訳してようやく日本人の理解を得るようになりました。その後九州などを中心にキリスト教は教徒を増やしていきますが、最終的には領土的野心を持つカソリックすなわちスペインやポルトガルと秀吉や家康というような日本の権力者との折り合いがつかなくなるのはそりゃもう必然というわけです。 そして秀吉や家康はプロテスタントであるオランダらと接近していきます。プロテスタントとは、カソリックに反対して生まれた教えです。そもそもプロテストとは「抵抗する」という意味で、プロテスタントはカソリックを否定するところから始まりました。家康はプロテスタントであるイギリス人の三浦按針(ウィリアム・アダムス)をそばに置きましたから、カソリックには悪いイメージを持っていたと思います。 そしてどこかしらカソリックの影響を受けていた日本のキリシタンはキリスト教禁止令で弾圧されることになります。 別に見放されたんじゃないんです。時の権力者によって禁止されたのです。 もちろん仏教にも戦国大名の弾圧の手は伸びています。その筆頭がなんといっても一向宗こと浄土宗。特に織田信長とは石山本願寺を中心に十年戦争の長きに渡っており、伊勢長島の一向宗は女子供を問わず数万人が各地の城砦ごと焼き殺されています。 江戸時代になって、家康は寺院諸法度をかけます。これをもって以降は日本における仏教はいわゆる「葬式仏教」への道を進むことになります。 寺院諸法度により、各地の宗派は布教活動そのものを禁止されます。その代わりとして、決められた範囲のところを「檀家」として囲い込むことを認められます。江戸時代以降今でも基本的に自分がどこの宗派を信じるなんて自由はありません。そこの地域に生まれたら、もう檀家になっている寺の宗派以外は禁止なんです。「なんだか浄土真宗は念仏唱えているだけで助かるらしいから楽でいいなあ。ウチは曹洞宗で息苦しいから浄土真宗にしたい」なんてのはNGです(一応、今は檀家は変えられるシステムですが実際問題田舎じゃそんなことは無理なところがほとんどでしょう)。 寺院つうところは、仏教でもキリスト教でも誰が生まれた誰が死んだというのを扱っていますから戸籍係でもあるんですね。ということは身分証をもらおうと思ったら自分のお寺に行ってもらうしかないのです。今でいうところの戸籍謄本は檀家である寺にあります。 だから何かと金を取られる。やれ三回忌だ七回忌だ十三回忌だと面倒くさいでしょ。上手いシステムを考えた奴がいたもんです。これやらないと寺から嫌がらせで身分証を出してもらえなくなったりするからやらないといけないのです。 だから、明治時代になると天皇家を中心とした神道を国家宗教として普及させる狙いもあり、金儲け仏教への反発で「廃仏毀釈運動」というのが起きます。日本版文化大革命ですね。岡倉天心がいなかったら本当に日本の文化大革命になった可能性もあります。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.6

 取り合えず最初にキリスト教追放令を出した豊臣秀吉は、九州征伐の途上で    ●宣教師やキリシタン大名によって、無数の神社や寺が焼かれていた    ●ポルトガル商人によって行われていた日本人奴隷の貿易が行われていた  事に激怒した事が原因だと言われています。  その後、当時の布教責任者(イエズス会)であるガスパール・コエリョを召喚して奴隷貿易を止めて、奴隷となった日本人を帰国させるよう命令した所      「奴隷をポルトガル商人に売る日本人が悪い!!」  と開き直った事が火に油を注ぎ、伴天連追放令に繋がったようです。  コエリョは、伴天連追放令に対抗しようとしてキリシタン大名へ、秀吉に反抗すれば武器・弾薬の支援を行うとの約束までしています。  (天下人に逆らう事を恐れた大名たちが要請に従わなかったのですが)  ただ秀吉も貿易の利益が惜しく、当初は宣教師を見ない振り(先述したイエズス会はそれ以上の怒りを買うのを恐れて大人しくしなっていた)をしていたのですが、新しく来たフランシスコ会やドミニコ会がそれまでの方針を無視して活発な宣教を民衆に対して、あろう事か秀吉のお膝元でやってしまった為、取り返しの付かない怒りを…。  (1597年に長崎で26人のカトリック信徒を処刑するなどの弾圧を行うように…。)  サン・フェリペ号事件(1596年)でスペイン人航海士が「キリスト教布教はスペインによる領土拡大の手段である」と発言したことも一因ではあるとは思いますが…。

  • izuhara
  • ベストアンサー率31% (97/310)
回答No.5

神田千里『宗教で読む戦国時代』 (講談社選書メチエ 2010年) この本がまさにご質問に回答を与えてくれるかと。 なぜ、戦国時代に普及したキリスト教が秀吉・徳川幕府に禁止されることになったのか、当時の宗教意識をもとに明らかにされています。 大変読みやすい内容ですので是非ご参照ください。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.4

>>けんど何故昔はキリスト教はそんなにひどい宗教とされてたんでしょうか?  忠誠心の問題があったと思います。改宗されていない日本人は、藩主、将軍、天子様,と言う方向付けだったのでしょう。  ところが改宗者はローマの「法皇」に忠誠を尽くし、日本の伝統組織と異なる方向に向いている,異質の集団が出来始めた、これも鎖国の原因かと思います。

noname#125540
noname#125540
回答No.3

諸説あるようです。 布教の次に領土を取られる恐れがあると考えられたからとか、キリシタンの民衆が集まって力を増し、幕府に刃向かうと困るからとか、キリシタン大名が力を付けると困るとか・・・・ 宗教そのものというより、それに付随した力を防ごうと思ったんじゃないでしょうか? なお、オランダはプロテスタントで(本国にはカトリック教徒もいましたが少数派)、布教活動しようとしなかったから出島で取引を許された、と言われてます。 http://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/shakai/eidojidai/06_1edo_kirisutoii.htm イエスの言葉自体は、非キリスト教徒の日本人が読んでもいい言葉があるし、お釈迦様と重なる部分もあると思うんですけどね。利用するのは人間ですから・・・・・・。マザーテレサみたいな人ばかりだったらいいんですけどねえ。 それとNo.1さんがおっしゃっているように仏教も政治と密接に結びついており、渡来当時は仏教派と神道派との争いがありましたね、そういえば。

noname#202494
noname#202494
回答No.2

司馬遼太郎さんといのうえひさしさんの対談を読んでいて、 遠藤周作さんがキリスト教徒だというお話をしていました。 ”その遠藤周作さんをして、もしもキリスト教を禁教にしていなければ 日本はスペインの植民地にされてしまっていたがな、といわしめた。。。。”と いう箇所があって面白くおもいました。 確かに、フランシスコザビエルは(詳しく日記が残っているのですが)日本の 南方の島(種子島?)に上陸した時に、その足元の土にキスをして、その 土地を神とスペイン国王に捧げています。。そんな勝手に捧げられたって。。 東南アジアの国々はタイと日本を除いて皆、西欧諸国の植民地になっています。 アフリカも、南北アメリカも、同じです。 この十字架を振りかざして布教にやってきた人たちを西洋では”Conquestador” と呼んでいます。スペイン語で”征服者”ということですね。イエズス会の神父さん が最右翼でした。(織田信長や豊臣秀吉は彼らと仲良しでした。) 私は貴方の嫌いなキリスト教徒で、ここのサイトで見る限り日本人が100万人 いたとしたら、99万9999人はキリスト教が嫌いですね。 キリスト教の教義そのものは”弱く貧しい人たちのために隣人への愛を広める” 宗教なのですが、いかんせん、その歴史は弾圧と、迫害と、権力争いに満ちた ものでした。権力主義の嫌いな日本の人たちに嫌われるのはまあ、当たり前です。 しかし、人間の身勝手さ、醜さを学ぶにはキリスト教の歴史を学ぶのが一番です。 あ、忘れました。徳川幕府がキリスト教を禁教としたのは、一神教であったため、 神の前には万人は平等という思想がいれられなかったからでした。