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楽天的な人とそうでない人

楽天的な人とそうでない人の気持ちの動き方の違いは もともと生まれ持ったものもありますが それだけではないと思います。 どちらかと言えば経験で変わってくる部分が多いかと思いますが、 どういった要因から作られていくものなのですか? 楽天家な人でも、そうでなくなったり または逆になることはありますか?

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noname#77941
noname#77941
回答No.6

No.3です。 他の方の回答を読んでいてふと思ったのですが、幼児や若い世代で楽天的な人はまだ大きな挫折を知ず、自分の限界を知らないから、言ってみれば怖いもの知らずなところがあって、勢いで楽天的でいられる面が大きいのではないかと思いました。 成長すると、様々な壁にぶち当たります。 すると、失敗経験も刷り込みされていきます。 人は学習する生き物だから、どうしても苦手なものは回避したくなるものです。 それでも考え方が柔軟な人であれば、危機に陥ってもそのときの状況や自分の資質や他人のことも上手く分析して、今は堪え忍ぶときなのか、それとも準備期間なのか、諦めるべきなのか、行動に無理はないのか、誰かに協力を仰ぐ方が良いのかなど数パターン考えて、苦境の中にあっても自分が一番上手く力を出せる状況を作り出せるのではないかと思います。 突き進むだけではなくて、ときおり立ち止まって状況を判断したり、軌道修正できる人が楽天家なのではないかと思いました。 なるようになると言うのが確かに楽天家の条件ではあるけれど、どんなに苦境に追い込まれても、答えはこれしかないなどと、黒か白しかないような狭い視野ではなくて、少ない材料から美味しい料理を作る料理家のようにアイディアというかひらめきを持った人が、結果的に楽天的な人になれるのではないかと思いました。 自分は不利だ不幸だと嘆いてみたところで、何も良いことなんかありません。嫌な経験だって回避だけではなくて、何か工夫して上手く乗り越えられる方法を見いだせたのなら失敗ではありません。 苦手ばかりだと逃げてばかりです。すると、自分は無能のように思えたり、そんな気持ちに追いやった社会や個人を恨んだりしてしまいます。 そういう粘着質なところ、諦めの悪いところがあると悲観的な人になってしまうんだと思います。 粘着質だとある程度の能力があれば、成功したときは大きな成功を収めることも多いでしょう。 でも、いざ失敗したときの嘆きもまた大きいものがあり、一気に悲観的な人になることも多いのではないかと思います。 楽天家は、頑張り時や諦め時のバランスの良い人なのではないかと思います。つまり、頑張りすぎてへとへとになるよりも人生を楽しんだり、頑張ってみたところで先がないことはスッパリ諦めることが出来る人なのではないかということです。 その様な人の中には捨てる神あれば拾う神ありと言う信条もあるのではないかと思います。 それは諦めが必要なときは諦めて、新たなひらめきや可能性を追求する姿に通じることだと思います。 本当の楽天家になるのには、執着心や見栄は邪魔なのではないでしょうか。 人生を楽しむためには、人からの評価を気にしすぎたり、完璧に拘るあまり失敗を恐れるようになってしまうようでは本末転倒なのではないかと思います。 幼児が楽天的なのも、映画監督のような創作に携わる人や研究家が生き生きして見えるのもみんなが冒険家だからじゃないでしょうか。 楽天家は冒険家な面も持っているのではないでしょうか。 でも、そんな冒険家も遭難した気分になれば、悲観的な人になってしまうでしょうね。 だけれど冒険家は情熱が消えないので、また旅に出て楽天家に戻るのでしょう。

noname#201721
質問者

お礼

結果的に楽天的な人になれる人と 悲観的な人になってしまう性格・考え方などよくわかりました。 どちらがいいともいえないという感じも受けました。 もともとある気質だけでなく、 生きてきた過程によるものでのだいぶ影響されるようですね。 ありがとうございました。

その他の回答 (9)

回答No.10

是は心の持ち方、或いは世の中の見方、或いは考え方によると思います。簡単に言うならば、人間には心が二つ在ります。一つは肯定している自分です、是は右脳に存在している意識です、ただ無意識や潜在意識を働かせているために、自我意識には認識できにくいです。 もう一つは否定する自分です。直ぐに壁を作ってしまいそうな自我意識です。この二つの意識のどちらが強く出てくるかで、違ったものになります。一人の人間であってもその時々の気分でも違ってきます。 肯定する自分に任せておくならば、肯定的に失敗をしてもまたチャレンジしようとする、積極的で、楽天的になります。 否定している自分を強く出すときが、否定的な人間になります。何をやってもうまくゆかないと考えがちになるようです。 この事は誰も教えてくれません。又教えようがないとも言えます。

回答No.9

No.2です。 少し極端な論かも知れませんが、 私たちが生きて行くという事自体が、楽観的思考の上に成り立っています。 悲観的思考を突き詰めた場合、 私たちは生きている意味を失ってしまいますし、 悲観的に不安ばかりを増幅していると、気が狂ってしまうでしょう。 つまり、私たちは、ほぼ全員が楽観的思考をベースに生きていると 言えるのではないかと思われます。 次の瞬間に世界が崩壊すると恐れている人は、どの程度いるのでしょうか、 楽観悲観メーターのようなものを想定し、中点を0とすると、 (現在進行形で自殺を企ている以外の)ほとんどの人達は、 楽観側に分布されることになります。問題はどの程度0点から離れているか、 どれだけ、楽観的に生きているかということになります。 楽観的と悲観的が相補的との考えもありますが、私はそうは思いません、 物事のマイナス面に目をそむけた楽観的思考は、 単に「臭いものに蓋」的な思考であり、ちまたでよく言われる 胡散臭い「プラス思考」だと思われます。そして、上手く行かないことで 悲観的になるのではなく、上手く行かないことを検証し、 上手く行くように修正し、上手く行く方法を採る、 もちろん、叶わないこと願い続けるのではなく、やるだけやったら スパッと切り替えられる、回答のNo.6様言われる“バランス感覚”は、 楽観性ゆえに得られるものだと考えます。  ※逆に、ひとつの成就にだけに固執することは、   他の可能性を排除することになり、悲観的な作業になるかと思われます。 本当の楽観性とは、物事の最大の良い面や状態と最悪の状態を想定し把握した上で 「どれだけ夢見ることができるか?」という、“夢見る力”だと考えます。 一方、悲観とは、無力感であり、敗北感です。 無力感や敗北感は、諦めた結果において生じる、自分に対する判断、 自分に対する過小評価、自分が駄目だという判断そして、自己憐憫です。 自己憐憫は、エネルギーを蓄えるために、たまには必要ですが、 あまりに過ぎると、他人から煙たがられます、 他人からエネルギーを奪って行くからです。

回答No.8

 回答番号:No.5のものです:  1. 補足のお願い    1)“楽天的”って、“optimistic”の訳語でしょうか?    2)その反対語って、“pessimistic”であり、“悲観的”なのでしょうか?    3)訳語の“楽天的”と“悲観的”という言葉は適切なものでありましょうか?    2. 私の補足    神と悪魔の話があります。善と悪のことも同じですが。    どちらも前者があるからこそ、後者も存在しているかのものではなのではありませんでしょうか?    “pessimistic”とか“悲観的”というものは、“楽天的”とか“optimistic”を持っていなくては     ありえないのではないかと存じまして。   

noname#201721
質問者

補足

楽天的とそうでない人という言葉を選んだのは 表現が難しかったからです。 うまく表現できないのでわかりにくかったらすいません。 一つの物事を見て考えるときに、 直感的に思いつく気持ちや考えについて。 ここでは、1がマイナス思考で3に近づくに従って楽天的な思考とさせてもらいます。 1の意見が出る人 2の意見が出る人 3の意見が出る人 1・2・3の意見があり、その中から選択できる人 この違いです。 たとえば、リンゴが置いてありそれについて思いついたこと (1)世の中にはリンゴが食べれない人もいるのに 皮を剥くのすら面倒なわたしはダメなやつ。 (2)さっき120円で買ってきたリンゴが置いてある。 (3)大好きなリンゴ。いい色してるし食べたらおいしいだろうな。 もちろんそのときの気分によって変わってくるともいえますが、 どの割合が多いか、どの考えが癖づいているかによって 人間として変わってくると思うのです。

回答No.7

>楽天家な人でも、そうでなくなったりまたは逆になることはありますか? 成長してからの楽天的と悲観的は、補完関係にあると思います。 まず単なる楽天的行動は、失敗をもたらします。 失敗に対して、悲観的思考を巡らせて具体的行動をなすことで、 はじめて楽天的感情が発生します。 いうなれば、悲観的思考を土台にして楽天的感情が成り立っているわけで、 将来の失敗を予想し備えができているから安心していられる ということになるのではないでしょうか。

noname#201721
質問者

お礼

ひとつ失敗して、解決方法を試みて解決したことにより このあたりで大丈夫と自信がつくということでしょうか。 失敗が重なった場合や、自分だけで解決しきれない場合など どうしても楽天的な考えができなくなりそうですね。 ありがとうございました。

回答No.5

 私は誤解しておりました。  普通楽天的というと、なにか考えもすることなく、明日は明日の風さ、と無計画だけの人のように思っておりました。  でもこの四人さまのご回答ではそういうようなものではないということをはっきりさせることができました。  しっかりした経験と判断力、その上で、未来や世界のことにしっかりと信頼をすることのできる資質と態度が楽天的というのですね。  私たちの集団の会長(Sri Daya Mata Self-realization)から、信念のメッセージを頂いております。  啓蒙してくださった、お礼にご参考になればいいなと存じます。 As together we cross the threshold of 2009, let us go forward with optimistic enthusiasm, knowing that the year ahead holds new opportunities to advance our well being and fulfillment through spiritual progress.

noname#201721
質問者

お礼

わたしも、無計画な人=楽天的だとひとまとめにしていました。

回答No.4

良いことも悪いこともそこに存在することを許せる人は楽天的な考え方を 持てると思います。 良いことだけの存在しか許せずに悪いことの存在を許せない人は悪いことを 排除することにエネルギーを使い果たし悲観的になりやすいような気がします。 考え方が変わればどちらにも転がることが出来るはずです。

noname#201721
質問者

お礼

現実を見たうえで、 いい思考の選択肢を選び続けることが 楽天的となるのでしょうか。 ありがとうございました。

noname#77941
noname#77941
回答No.3

元々が楽天的な人って一言で言えば、子供のように自分や周りの人達の可能性を信じている人のことではないかと思います。 それが顕著な人は、自分に万能感すら持っていることでしょう。 ずっとこのまま悪いことは続かずに、悪いことの後は必ず良い事がやってくると信じていて、自分も周囲の人達も良い方に変われると信じているのだと思います。 そして心が若くて柔軟なのでしょう。 頑張ったら頑張った分だけ努力が実を結んできたから、ちょっとやそっとじゃ、へこたれない粘り強さも持ち合わせている場合も多いと思います。 無邪気で、自分にも他人にも期待を持って生きているんだと思います。 それがそうでなくなってしまうのは、矢継ぎ早に挫折体験を味わってしまったという苦い思い出が尾を引いてしまったからではないでしょうか。何とかいつものように立て直そうとしたものの、自分の全能力値を越えるような予測も出来ない試練が次々襲ってきたので混乱し、今まで信じてきたもの全てが不確かで脆いものであり、自分は無力で周囲も思うようには頼れないのだと孤立感に苛まれると、これまでの根気強さが逆に作用して、酷い場合は不幸なことや不運なことに確信を持ってしまうんだと思います。 ――こうまでになってしまうと楽天的でなくなるどころか、悲壮感を持った人、悲観的な人になってしまうと思います。 >楽天家な人でも、そうでなくなったり または逆になることはありますか? これが“悲壮感を持った人や悲観的な人”を意味するのなら、つい先ほど挙げた例がそうだと思います。 または、悲壮感を持った人が楽天家になることはあるのか?という意味なのだとしたら、大逆転劇を経験したり、心から信頼できる人に出会えて心の支えとなるような大きな安堵感を得ることができれば、余裕や安心感からその様な人、“楽天家”になることは充分あり得ると思います。 でも、この場合は支えがあってこそ成り立つのであって、当人はまだ不安定だと思います。 生涯、楽天家で通せるとは言い切れ無いと思います。 自分の身の丈を知り多くは求めなくなったり、小さな幸せで満足できるようになるなど人間的に落ち着いてくると持続的に楽天家でいられると思います。実際、ここまで来ると楽天家と言うよりもむしろ世の中を“達観”していると言えると思います。 社会的に認められたという実感がない人ほど、悲観的になりやすいのだと思います。それは逆に言えば社会的地位にこだわりがあったにも拘わらず、自己評価が低い人だとも言えます。 社会的地位に拘らず、自己評価を下げることなどない人が、楽天家と言えるのではないでしょうか。

noname#201721
質問者

お礼

わたしは漠然とした意見で何の説明もできませんが、 nonameさんと同じように感じています。 きちんと言語化していただいて、ありがたく思っております。 ありがとうございました。

回答No.2

こんにちは、 エリクソンの発達理論によれば人生の最初、「乳児期」に 基本的な信頼感や不信感を形成します。 もちろん、基本的な持って生まれた性質もありますが、 楽天的というのは、言い換えれば、他者を含めた世界への信頼感です。 乳児期に「世界に受け止められている」という実感を感じられた子ども達は、 好奇心旺盛で楽天的な考えをもって成長して行きます。 この乳児期の経験を学習し、後の成長期に、 自分なりの試みをして、その結果を受け止めて、 楽天性や悲観性をさらに強化したり、抑制したりします。 楽観的な人間が大人になって、そのときの状況など を頭で捉えて悲観的に成ることはあるかと思いますが・・・ 反対の状況・・・基本的に悲観的な性質の人間が楽観的に行動することは よほど他人に乗せられた時とか、特殊な状況ではないかと思われます。 > 楽天家な人でも、そうでなくなったり > または逆になることはありますか? 普通の人間は、悲観的、楽観的の両面を持ち合わせているので どちらの志向へも比較的簡単に変わります。

noname#201721
質問者

お礼

外の世界への信頼がなかったり 絶望的な環境の人でも 楽天的な人がいるように私は思いました。 絶望かどうかは本人の受け方ですが・・・ ありがとうございました。

noname#194289
noname#194289
回答No.1

自分ではどうにもできないものとできるものとをきちんと区別できる人は楽天的な傾向があると思います。相当運の悪いことが重なっても両者の区別がつけられる人は楽天的であり続けると思います。逆に両者を区別しないというか何でも自分でどうにかできると思っている人の中には悲観的な人がいると思います。原則として経験を積むにつれて楽天的になるだろうと思います。

noname#201721
質問者

お礼

自分ではどうにもできないものとできるものの区別ができる人 なるほど。 きちんと思考が整頓できる人は、 楽天的に考えられるようになるということですね。 ありがとうございました。