奈良時代には都が何度も変わったようですが ・・・
奈良時代なんですが、例えば恭仁京とか難波京とか、あるいは紫香楽宮とか、たくさんの都(?)がありますよね。
これがよく理解できないのですが、例えば平安京と言えば今の京都の場所やイメージを思い浮かべれば、近からず遠からずといった感じかなと思うのですが、奈良時代なんて何度も都があっちに行ったり、こっちに来たりしたようなイメージがあります。
質問
1. そう考えると、奈良時代という 「一括り」 で良いのかなと思うのですが ・・・ なぜ都の地名をとって、○○時代という風に分類しないのでしょうか? 例えば藤原時代とか紫香楽時代とか ・・・
2. あの狭い地域で何度も都が移動しているのですが、例えば新しい都に移った場合、前の都の状態はどうなっていたのでしょうか?
例えば、誰も住んでいない 「廃墟の町」 になったのでしょうか?
そうでないとすれば、新しい都と直前の都の関係はどうなっていたのでしょうか?