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公孫度と黄巾の乱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%AD%AB%E6%B0%8F_(%E9%81%BC%E6%9D%B1) 上記によれば、 後漢の地方官だった公孫度が黄巾の乱の混乱に乗じて遼東地方に半独立政権を樹立したとのことですが 具体的には、公孫度は黄巾の乱とどのように関っているのでしょうか? 中国の歴史はまるで知らないので わかりやすく、おねがいします。
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回答No.1
詳しい展開はしらんけど、普通に解釈すれば、 黄巾の乱への対応のために 中央政府の権限が弱まったので、 地方まで軍事力が及ばなくなったので 独立状態いなったということです。まんまでしょう。 他の地域でも、同様の展開というか、 後漢末、三国志の時代には、州の牧や太守が独立して 群雄割拠となるわけで、その一連の流れは 直接的に同盟したり協力して関わるというよりも、 すべて一連の因果関係があるという意味です。
お礼
回答ありがとうございます。 私の質問は >具体的には、公孫度は黄巾の乱とどのように関っているのでしょうか? ということです。 >詳しい展開はしらんけど その詳しい展開を知りたい、と言っているわけです。