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教育
私たちが「当たり前」だと思っている、近代社会・近代教育と呼ばれるものの特徴(例えば「『子ども』の発見」って?) とはどのような特徴がありますか。
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- ao-golden
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例えば、「発達」という概念です。 年齢とともに、能力が上がっていく、人格が成長していく、というような右肩上がりのイメージです。 でも、実際には、人はその状況に応じて絶えず変わってく存在です。 他にも「成長している大人/未熟な子ども」という二分法で考えようとすることや、教育目標を子どもに教育方法によって子どもの中に育てようとすること、そのことによって子どもは育つはずだという思い込みです。
- Ama430
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大昔は、「自給自足」でした。 生産力が上がり、他人のものも生産して、「貨幣」を仲立ちにして生産の分業が広まっても、長い間、家族や近隣の家族(親族)の全員が生産に従事するスタイルが続きます。 そこでは、かなり年齢の若い者=子どもであっても、能力に応じた仕事の分担がありました。 しかし、さらに生産力が向上し、産業革命が起きると、労働は工場に出かけていってするものになり、しかも、「大人の男性」だけが集中して行うスタイルに変化します。 産業革命の初期には子どもも過酷な労働を強いられたのですが、次第に子どもは労働から解放され、ヒマになります。 一方、資本主義が成長して、生産力の向上が企業間競争の至上命題になると、労働者の質を向上させる試みが考えられるようになります。 その最大の手段が「行政による全国的な子どもの教育システム」つまり、学校教育だったわけです。 大昔は、貴族や限られた裕福な家庭だけが、主に家庭教師による教養習得を特権的に行っていました。 貧富の差に関わらず全部の子どもを対象にしたところが、大きくそれまでと異なっていたのだと思います。 公教育は、最初、資本家の要請からスタートしましたが、やがて、人権思想の広がりを背景にして、「国家に対する義務としての教育」から「子ども自身が豊かな大人に成長する権利に応じるための教育」へと見直されて行きます。 このあたりで、子どもを「小さな大人」にするのでなく、子ども自身の学びの欲求を大切にして育てるという潮流が生まれます。 これが「子どもの発見」と呼ばれるものです。