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フロンティア消滅後のアメリカの海外進出ルート
間近に迫る受験のため、世界史を必死でやっています。 参考書を読んでいて、ちょっと疑問に思うことがありました。(受験には直接関係はなさそうなのですが……) 『アメリカでは1890年代にフロンティアの消滅が唱えられた。 世界最大の工業国となったアメリカは、より巨大な市場を求めて海外進出に乗り出す。究極の狙いは中国だった』と書いてあり、ここまでは納得できました。 その横に『後に手に入れた"グアム・フィリピン"、独立を支援した"キューバ・パナマ(=パナマ運河)"などを中国への足がかりとした』と書いてあるのですが……。 なぜアメリカは中継を有するルート(しかもわざわざパナマ運河を通るような)を使おうとしたのでしょうか? アメリカ西海岸から太平洋を突っ切る、というのが出来ない理由があるのでしょうか?
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- postmark-t
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他の方の補足になりますが,対中貿易はアメリカでは早くも18世紀末から行われていました. 太平洋横断の困難さなどにより,実益はあまり大したものではない程度の規模でしたが, 「北米大陸はヨーロッパと中国の商業仲介者となるべく運命付けられている」 「日中が共に友好的な目でアメリカを見ているのは,貿易や交流への期待のみならず,アメリカはヨーロッパの侵略とは対極をなすものだからだ」 といった根拠薄弱な幻想を,アメリカ人は抱くに至りました. しかしアメリカの海運業は太平洋ではその後も振るわず,第1次大戦を契機に北米航路は日英の海運業者が支配することになります. (この経緯は, http://mltr.ganriki.net/faq15e.html#14742 にまとめました) そこでアメリカ人は航空機に目を向けるようになった一方,満州鉄道にも関心を示し,ハリマン提案などが行われますが,上述のような幻想も手伝って,中国権益を巡って次第に日本と対立するようになります. その対立の結末は良くご存知の通りです. アメリカの太平洋進出については, 『西へ! アメリカ人の太平洋開拓史』(John Curtis Perry 著,PHP研究所,1998.11.4) http://www.bk1.co.jp/product/01589969/p-jokai28866/ という本に詳しく述べられておりますので,一読なされてはいかがでしょうか?
- tanuki4u
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アメリカの造船所は東海岸です。 むろん経済の中心地も東海岸。 ということで、市場に出す物産は東海岸とミッシュシュッピー川を経由してメキシコ湾に出ます。 西海岸から突っ切るには、西海岸にアメリカ本土の物資を「鉄道」で運ばないとなりません。が、鉄道の方がコストがかかります。 さらにおまけ 東海岸から、キューバ パナマ ハワイ グアム フィリピン・・・とびとびやなぁ。 19世紀の後半には帆船から汽船に主力が移動します。で、帆船は風任せなのでいいのですが、汽船は途中で「石炭と水」を補給しないと万事休す。動かなくなります。そのために途中途中で、補給基地が必要なりマス。そのためにとびとびに基地が必要となるのです。 補給基地が不満足で、ふらふらになってバルト海から日本海に来たために負けたのが1905年のロシアバルチック艦隊です。 で、ロシアのような失敗をアメリカはしません!と証明したのがルーズベルト大統領の グレート ホワイト フリート で、その経路を見ると、「ゲットしたモノを活用してますよ」 となります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88
- assenly
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>アメリカ西海岸から太平洋を突っ切る 途中休憩なしで太平洋を渡るのですか?不可能です。今でも困難です。 さあ、勉強に戻って!