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三竦みはの読み
10までは大和言葉読みが好ましいとの 数字の読み方の原則から読めば 「みすくみ」のはずである。 ところが、「広辞苑」には「さんすくみ」で見出しとなっている。 上記の原則を無視できる特別な根拠がありますか。 広辞苑には中国の古典がこの言葉の生まれたきっかけとしてあげてありますが、「三」の読み方にはその文献は無関係のようです。
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日本国語大辞典には「さんすくみ」はありましたが、「みすくみ」の見出しはありませんでした。「さんすくみ」の用例としては「書言字考節用集」から「三竦縮 サンスクミ」とあり、江戸時代にはこう読まれていたと思われます。 恐らく、「三者(さんしゃ)」が「竦む(すくむ)」から「さんすくみ」と単純に言っただけではないでしょうか。「三(さん)」が音読みという意識もあったかどうか。よくある「重箱読み」の一つではないでしょうか。 原則があってそれに合わせて言葉が生まれるのではなく、言葉が生まれて、それを整理して原則が生まれる。ラングの言語学はあっても、パロールの言語学はありませんから、「どうして?」と考えても「そう読んじゃったから」としか言いようがないのではないでしょうか。 ちなみに、他の「三(音)+訓読み」がないかと見てみましたら、 「三井戸(さんいど 三個の井戸茶碗)」「三下がり(さんさがり 三味線の調弦法)」「三下(さんした 下っ端)」「三助(さんすけ 奉公人)」「三棚(さんたな 三つの棚)」「三次(さんつぎ 五十三次の略)」「三泣車(さんなきぐるま 荷車の一種)」「三婆(さんばばあ 歌舞伎の三つの老母役)」「三姫(さんひめ 歌舞伎の三つの姫君役)」「三廻り(さんまわり 同心の役名)」「三盛(さんもり 能で曲名に盛の字のつく三曲)」「三匁(さんもんめ 金額)」「三焼野(さんやきの 新吉原のこと)」「三櫓(さんやぐら 江戸三座のこと)」などがありました。これだけあると、もう例外というよりは「江戸時代はこういう読み方の方が普通」と思った方がよいのでは? 囲碁将棋の「三手」もそうですね。
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- OKAT
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>10までは大和言葉読みが好ましいとの数字の読み方の原則 そのような原則はありません。それに当てはまるのは「つ」という接尾語が付く場合だけでしょう。(しかし十つはありません) それ以外はむしろ漢字音が多く使われます。人数を数える場合、ひとり・ふたり・(みたり)・よたり or よったり・まで来て、さて後は?と考えてしまいます。 いち・に・さん・し・ご・ろく・しち・はち・く・じゅう という呉音による数え方が随分早くから使われていたわけです。助数詞によっては、たとえば「尋(ひろ)=人が両手を広げた長さを基準した単位)などでは、「ひとひろ・ふたひろ・みひろ・よひろ・いつひろ・むひろ・ななひろ・やひろ・ここのひろ・とひろ」と数えるし「重」だと「ひとえ・ふたえ・みえ・…ななえ・やえ・ここのえ」(4~6を除いて)数えることは可能。 ほとんどは「音」によるもので間に合わせてきました。 ただ、日本人が好きでない音が「4」と「7」で、4を「よん」という変な音を作り出し、7は「なな」と呼んで済ましています。 むしろ、日本語の問題としてかちらの方が問題でしょう。
- kwan1234
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石が三つかたまってある→三つ石 橋が四つ近くにある→四つ橋 ということでしょう。 今回の場合「すくみ」の状態が三つあるということに重点が置かれるものなら「みすくみ」または「みつすくみ」ということになるのでしょうが、重点はそうではなく三者がそれぞれにすくむような状態にあるということで、「さんすくみ」だと考えてはいかがでしょうか? 新潮国語辞典第二版が「さんすくみ」です。(たぶん「みすくみ」を載せる辞典はないでしょう)。
- 中京区 桑原町(@l4330)
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三宝(さんぽう) 仏教における3つの宝物(仏・法・僧) 三途(さんず) 死者が悪行のために生まれる三つの場所。火途(地獄道)・血途(畜生道)・刀途(餓鬼道) 三社(さんしゃ) 伊勢神宮・石清水八幡宮・賀茂神社 原則破りは結構ありますね
補足
応答に感謝します。 現実には原則は壊れており、 熟語での十までの数字の読みは混在している現実がある ということですね。 しかし、熟語での原則がありますよね。 おんよみにするとの。 ですからお挙げになった言葉はすべて熟語なので 「さん」になったと説明できますね。 つまり数字の読みの原則よりも熟語での読みの原則のほうが上位に来るということですね。 そこで分析すると、 語根部分の「すくみ」は動詞「竦む」の名詞化した言葉である点で、 お挙げになったもともと名詞だけしか存在せぬ3例とは質的な違いが有ります。 であるから、やはり 数字の読み方の原則のほうに従わせるほうが良いとの結論を得ました。 ときに他の大辞典ではどうなっておりますかね。