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明治憲法は合法的に変えた?
戦後、明治憲法というか大日本帝国憲法から今の憲法になりました。 今の憲法の改正は改正条項が細かく規定されていて、変えようとするとそれにのっとってやると思います。 明治憲法から今の憲法に変える時は、明治憲法に改正規定がありそれにのっとったのでしょうか? それとも明治憲法を廃止する国会議決でもして、全く別のものを作ったという事なんですか?
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大日本帝国憲法の改正手続きに従って合法的に変えられています。 これまでの旧大日本帝国憲法は天皇統帥権の問題等もあり、軍部の独裁、特高警察などによる人権抑圧などを引起し、大東和共栄圏の夢を追って満州中国他への侵略などを図っていました。石油禁輸などのせいもあり平和的に解決する努力は無視され米国との戦争等に突入していったわけです。 これらの点から敗戦後日本国内でも多くの人が憲法改正、新憲法制定に向かって努力され、その中にはGHQの指令もあったでしょうが、多くの素案作成や議論の下に現在の日本国憲法の制定に繋がっていったのであり、これからも長く政治等の基礎としうる憲法だと考えられるのではないでしょうか。 次の国立公文書館の資料等を参照下さい。 (今回サーチして見つかりましたが、憲法制定等の動きについて詳しいようです) http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/saiken/index.html?skip=1 再建日本の出発 -1945年5月 日本国憲法の施行ー http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/saiken/shousai.html 新憲法の制定 http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/saiken/shousai/4.html 憲法原本 その他 http://www.aozora.gr.jp/cards/001528/card825.html 大日本帝国憲法 http://www.aozora.gr.jp/cards/001528/card474.html 日本国憲法 http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html あたらしい憲法のはなし 文部省 http://homepage2.nifty.com/kumando/index.html 明治・その時代を考えてみよう Wikipedia 大日本帝国憲法, 日本国憲法
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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現行日本国憲法は、通常、制定ということばでそのプロセスを表現されており、大日本帝国憲法の改正という手続きを外見的にとっていることを知っていたり、論じたりする方はあまり多くはないし、そういう場面もこれまた、それほど多くはないということはご質問者のご認識の通りですね。 手続きとしては外見的にはそういうプロセスを経るという小賢しい、あるいは根拠付けをし、混乱なく継続させる賢明な手法をとってはおりますね。 問題は改正にしろ、制定ならばなおさら、外国軍隊の占領下、統治主権制限された状況下でその行為が有効であるかどうかは相当疑問でしょう。 ただ日本人という心性と当時の過去反省でそれをしてきたし、また、そういう思潮で両院での忌憚ない議論の応酬があったから、民意をつくしたということは否定できないと存じます。 それにしても、GHQの相当の指導、そことの綿密なすり合わせの中での議事と制定過程の進行であったという事実は否めません。 これは事実にすぎず、規範事項ではないですね。それに憲法制定(改正)という行為はどこの場合も一定の勢力を克服しての政治的行為であらざるを得ないということは通則ですね。 しかしそれにしても欽定憲法から民定憲法という主権の帰属者の変更を同じ憲法でできるか。正に自己否定ですね。 そのた国是や思想、政治や統治の理念と原則が変更しておりますが、これをしも改正といえるか。 天皇の立場の存続という国民感情と背離しないためには、こうするしかなかったのでしょう。 改正行為とせよとはGHQは要求はしていなかったと存じます。ただ権力・権原(権限でもあるが)は否定していたでしょう。 私は改正の外見を採った制定行為であったと、いう認識が正しいと存じます。
- hekiyu
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手続き上は、明治憲法の改正手続きでやられています。 だが、それは占領下でなされた改正です。 銃を突きつけられて、やらされた改正です。 つまり、国民主権違反です。 政治の在り方を決める最高決定権を、この場合の国民主権と いいますが、当時、占領下で、最高決定権は 占領軍にあったのですから、この改正は 国民主権に反しています。 しかも、法理論的には、改正の限界を超えています。 改正、というのは改正前後の同一性を前提として いますが、現行憲法と明治憲法の間には同一性は 存在しません。
手続き上は明治憲法の改定にはなっています。だから、現憲法を見るときには明治憲法を一緒に見なくてはいけないですし、その改正にかかわる文書も憲法と一緒に見なくてはいけないのです。 ただ当時はGHQによってかなり強い報道規制がなされていましたし(マスコミに対する検閲もあった) 国会での審議中にGHQは国会の親時計を止めたこともあったので、国民の自由な意思によって作られたものとは言い難い部分もありますけどね。 あと憲法学者には「憲法の重要な部分(9条など)は改正できない」とか言う人がいますが、あなたの大好きな憲法はどういう過程で成立しているのか言いたくなりますね。 まあ、そういう人のために「八月革命説」というのが用意されているわけですが。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%88%E9%9D%A9%E5%91%BD%E8%AA%AC
- 2011年 2月変更(@wwbc)
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明治憲法の改憲規定である旧第73条とその第2項に基づいて、その手続きに沿って新憲法に変えてます。 また、新憲法の冒頭には、旧憲法の手続きに従って改憲した旨を天皇が記し、その名前とその印があります。 よって、この線では改憲は合法的であり、とやかく言うべき部分はないです。 また、新憲法は旧憲法との対比において作成され、特に第1章の「天皇の章」の前半は完全対比して改憲され、国の根本を定めています。 具体的には、 明治憲法を新憲法に改憲する勅命を天皇が帝国議会に出し、帝国議会の2院が旧第73条の規定に従って憲法改正を審議し、それぞれ議決し、議決された新憲法を天皇が公布しました。 その前に、広く国民に新憲法草案を示し、憲法改正を念頭に総選挙を実施しました。この部分で一応、国民の意志も憲法改正には反映されているという建前を取っています。 ■大日本帝國憲法 第73条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ 2. 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス ●日本国憲法 上諭 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。 天皇の名 天皇の印 追記 占領下での憲法改正であったため、日本側関係者は独立国の体を維持するべく若干の工夫が日本国憲法には見られ、特には問題視される憲法9条や憲法前文の平和不戦思想については、どうとでもなるよう、秀逸なテクニックにより日本の軍事的防衛思想が保護されています。 新憲法は平和憲法ではありますが、不戦憲法というのは誤りです。