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ギリシャとトルコの国境について
エーゲ海の大部分をギリシャが占領していて、トルコは本土から目と鼻の先にある島までギリシャの領土になっています。なぜこんなにもエーゲ海においてギリシャの取り分が大きいのか教えてください。
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ギリシャのエーゲ海の取り分が大きいのではなく、「トルコ人がギリシャ人からエーゲ海東岸を奪ったまま現在に至っている」というほうが正確な認識に近いです。 古来、ギリシャ社会というのは海洋世界で、ギリシャ人の活動拠点はエーゲ海でした。ギリシャ人というのは、ギリシャ語を使い、海洋貿易をし、都市に居住し、石で家を作り、魚を食べ、神々を、後には正教を信じ・・・という文化生活を営んだ人々のことです。それはバルカン半島の生活スタイルではなく、エーゲ海沿岸の生活スタイルでした。現代の感覚でギリシャ人を名づけるなら、エーゲ人といったほうが把握しやすいでしょう。また、ギリシャという地名はエーゲ海沿岸を指すほうが、あのバルカン半島の一部を指すよりも正確に近いと思います。 たとえば、神話時代のトロイは現在のトルコ領、エーゲ海の東側にあります。 エフェソス、ミレトス、ハリカルナッソスといった、古代の名だたる大ポリスのいくつかは東側です。 中世では東ローマ帝国(ビザンチン帝国)が現代のバルカン半島南部とトルコ西側を領土にしていましたが、ローマ帝国の名は政体の系譜と国名のみで、事実上はギリシャ人の国でした。早期に公用語もギリシャ語になっています。 トルコ人は大陸系の民族で、トルコ語を話し、中央アジアで牧畜を営みイスラムを信じ、乳製品を食べ、ズボンを履いて馬に乗り、日干し煉瓦の家に・・・、というスタイルで生きていました。インドや中国西域に近い旧ソ連のトルクメニスタンは、トルコ人の土地という意味です。 大雑把にいえば、近世になって、彼らがオスマン・トルコ帝国を築いてヨーロッパに進出し、バルカン半島を領有しました。 現代のトルコ共和国の領土は、近代になってからその領土を縮小継承したものです。 その過程で、トルコ人がオスマン時代に領有した地域のうち、 ブルガリアやエジプトのように独立したり他国領になった地域もありますが、エーゲ海東岸はトルコ領にとどまったのです。 第一次大戦終了時、事情は複雑を極め、ギリシャとトルコの戦争に発展。トルコ革命や宗旨や英仏露など他国の思惑もからみ、さらにややこしくなっていましたが、トルコ側が戦勝したという理由で現在の国境が画定しました。 その際、数十万の大量の住民がエーゲ海東岸から、エーゲ海の島々や西岸に移住。 以上のことは当時、国際的に合法的であり、確定事項として認識されており、よほど国境が変更されるようなことはないと思いますが、エーゲ海が生活の道具としてギリシャ的様式にあっていることも事実です。 この2国は現在もかなり仲が悪いのですが、EU加入などで将来的に円満に解決されるかもしれません。
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- 風車の 弥七(@t87300)
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第一次世界大戦後トルコの本土までギリシャ領だった時代があります。 沿岸部の島すべてがギリシャ領でした。 ケマル・パシャと言うトルコの英雄が、それをなんとか現在の国境線まで押し返したのです。 沿岸部の一部の島もトルコ領になりました。 ギリシャって意外と覇権主義なんですよ。 今は「マケドニア」の名前で隣国マケドニアと争っています。