「伝統」とは何か?について
「伝統」とは何か?について
「こうのとりのゆりかご」(通称「赤ちゃんポスト」)・男女夫婦別姓・民法732・733条(女性の再婚待機期間)などの争論で、しばしば保守系の人々が指摘する『家父長制度』の伝統について違和感を感じているのですが、
いわゆる長子(長男)相続の慣習は日本の歴史的には明治以後の産物です。(儒教基盤があった時代でも、社会的に見れば長子相続は稀と言えます)
それ以前は、「家」護持のためには、養子縁組(他所の血族を入れる)が日常茶飯事でしたし、財産相続に関しては、女性相続・分割相続など現状維持(=家の護持)を優先とした家族制度が圧倒的に歴史的に長いと言えます。
皇室典範見直し論争でも話題になった”血縁”家族制度の伝統などにも通じることですが、
所謂、明治以後に入ってきた慣習も『伝統』とは言えますが、
それ以前に存在して今も原型を維持している「伝統」は、伝統として無視していいものでしょうか?
安倍元総理などの言及する伝統は、前者であって、後者の伝統などは意に介していないとしか思えません。
(柳田國男の日本の”家族”観などを引きあいに出すことも可能です)
現在の保守系の指摘する伝統は、150年前に形成されたカルト(「流行」の意味のcult)であり、ネイティブで長い慣習としての影響力をもった「伝統」を不当に貶めているように思えてなりません。
これは、明治維新後の”文明開化”という【文化大革命】的行為による弊害とも言えますが、
私には、伝統の濃淡・連続性・影響力・現代政治との適合性からして、いわゆる保守系の指摘する”伝統”を認めることが、多元主義・自由主義に相反するとしか思えません。
逆に、古い伝統ならば、比較的に現代社会に馴染みえると思いますが、みなさんはどう思いますでしょうか?
ちなみに、『規模・性質は異なるが、廃仏毀釈は、文化大革命と同質だ』と指摘する言説を、根本的に否定する方法があれば、教えてください。