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何故中尊寺は残ったのか?
奥州藤原氏を滅亡したのにもかかわらず、その先祖の墓がある中尊寺が鎌倉側の侵攻時に破壊されなかったのはなぜでしょうか。 日本には中国とは異なり、敵の墓を徹底的に破壊する習慣がなかったのか、失くすには惜しいほど素晴らしいと思ったのか、それとも、宗教上の理由なのか、お教えいただければ幸いです。
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これは私の勝手な考えですが・・・ 日本には怨霊信仰というものが存在していました。 怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことで 天災や疫病の流行、世の中の乱れなどは怨霊のしわざであるとかんがえられました。 菅原道真は怨霊になった人物として有名です。 (怨霊になったと人々に畏れられたという意味です。) 道真は藤原時平の讒言によって大宰府に流罪となり、その数年後に失意のうちに死亡しました。 その後清涼殿で旱魃対策会議を開いているところに落雷があり多くの死傷者がでました。 そしてそれは菅原道真の怨霊のしわざとされました。 この事件によって怨霊信仰が生じたとするのが定説のようです。 (私は奈良時代にすでに怨霊信仰はあったと考えていますが) この菅原道真を祀るのが京都北野天満宮です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8E%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE によれば、 ※藤原師輔(時平の甥であるが、父の忠平が菅原氏と縁戚であったと言われる)が自分の屋敷の建物を寄贈して、壮大な社殿に作り直した。 ※中世になっても菅原氏・藤原氏のみならず足利将軍家などからも崇敬を受けた。 とあります。 北野天満宮はなぜ藤原氏に崇敬されたのでしょうか。 それは菅原道真を不幸においやったのが藤原氏だからでしょう。 身に覚えがないのであれば、道真の怨霊を畏れる必要はないはずですが 藤原氏には十分に身に覚えがあった。 だからこそ、道真を神として崇め、「祟らないでほしい」と祈ったのではないでしょうか。 これと同じことが中尊寺にもいえると思います。 鎌倉側は奥州藤原氏の怨霊の祟りを畏れたのではないでしょうか。 そのため中尊寺を残し、神(仏)として崇めるために 中尊寺を残したのではないかと私は思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B0%8A%E5%AF%BA に ※文治5年(1189年)、奥州藤原氏は滅亡するが、中尊寺は源頼朝の庇護を得て存続した とあります。 中尊寺が源頼朝の庇護を受けたということは、奥州藤原氏を滅ぼした 源頼朝が奥州藤原氏の怨霊を畏れた結果なのではないかと私は思います。
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- moritan2
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回答者様のみならずNo.4様にもコメントをいただき有難うございます。 北条政子の夢の話のURLを張っておきます。 北条氏は多くのライバルを滅ぼしましたが、これは御家人同士の権力争いの結果だと思います。奥州藤原氏は源義経の首を送ってまで恭順の意思を示したのに滅ぼされてしまいました。
No.1です。返事をありがとうございます。 >そもそも奥州藤原氏を滅亡させた源頼朝が自ら怨霊を静めるための寺院を建てるべきなのに、既存のものをうまく「流用」した感じですかねえ。 現代は個人主義的な考え方が主流になっていますが、 かつての日本では家や氏族を重んじる考え方が主流だったと考えられます。 そのため、源頼朝は奥州合戦で首をとった泰衡のみならず その先祖の霊をも畏れた結果、中尊寺を残したと考えられるのではないでしょうか。 No.2の方の回答はたいへん参考になりました。 この場を借りてお礼を申し上げます。
- moritan2
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No.2です。訂正です 誤 北条政子が夢の中で北条氏の亡霊が 正 北条政子が夢の中で奥州藤原氏の亡霊が
- moritan2
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奥州藤原氏はむりやり言いがかりをつけられて滅亡させられました。それに対して何らかの後ろめたさがあったのだと思います。北条政子が夢の中で北条氏の亡霊が中尊寺が荒れ果てているのを恨んでいるというのを聞いて修復させたという話が残っていたと思います。 当時の人は罪なくして滅ぼされた人のたたりを恐れたということです。そのための鎮魂の寺として残されました。
お礼
早々の詳しい回答をいただき、有難うございました。 北条正子の夢の話は知りませんでした。 仮に「罪滅ぼし」だとすると、北条氏が滅ぼした多くの御家人を鎮魂するために建てた寺院が鎌倉に多く見られるかもしれませんね。
お礼
早々の詳しい回答をいただき、有難うございました。 そもそも奥州藤原氏を滅亡させた源頼朝が自ら怨霊を静めるための寺院を建てるべきなのに、既存のものをうまく「流用」した感じですかねえ。 勉強になりました。