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「ルネッサンス」って?
ごく初歩的な質問ですいません。 よく美術関係で「ルネッサンス」って聞きますが、どう言うものか教えてください。よろしくお願いします。
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ルネサンス:自分なりに調べてみました。 文芸復興という意味ですね。当時腐った芸術や化学なんかを もう1度復興させようとして北イタリアが発端になって出発しました。 社会や世界史の授業で聞いたことがあるかもしれません。 美術の教科書や、世界史の図説で有名な絵などもあるので、 下のサイトなどを参考にしていただいて、 自分なりに興味を広げていただければと思います。 ⇒ ルネサンス【(仏) Renaissance】 〔「ルネッサンス」とも〕14~16 世紀,イタリアから西ヨーロッパに拡大した人間性解放をめざす文化革新運動。個性・合理性・現世的欲求を求める近代的価値の創造が,古代ギリシャ・ローマ文化の復興という形式をとったので,「ルネサンス(再生)」の語で表現された。西欧近代化の思想的源流となる。文芸復興。 (yahoo、gooの検索より。大辞林かな。) 他にもいくつか面白そうなサイトが見つかりました。 参考にしてみてください。 日経イタリア2001年オフィシャルサイト http://www.love-italy.net/nikkei/event/event02.shtml ルネサンスの概念 http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/rinascimento.html
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- kequ
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ルネサンスについて学んでいる者ですが、はっきり言って滅茶苦茶難しい質問です。 例えば十人のルネサンス研究者がいたら、十人ともそれぞれ定義が異なり、 さらには「ルネサンス」の存在さえ否定する学者もいる程で、 未だに充分には固定していない概念なのです。 これは「ルネサンス美術」も同じです。 なぜ定義が難しいかと云いますと、ルネサンスというのは、 中世と近代の過渡期に位置付けられる時代でして、 近代的な社会の萌芽が見られる反面、他方では、未だ中世的な面を色濃く残しているのです。 この過渡期的位置の故に、「ルネサンスはこうこうこうである」と定義を試みれば、 明らかにそれに反駁するような反対例が見つかるのです。 まあ、そういったわけで、詳しく知ろうとお考えなら、ここで聞くより、 本を読まれたほうが良いかと。 (例えば、ルネサンスの概念に関するものだと; 林達夫:「文芸復興」、「ルネサンス」(「林達夫著作集」第一巻所収)など) 一般教養として身に付けておくなら、1さんの回答を多少修正(*)して、 これでOKだと思います。 (*) 2行目:「文芸復興」→「再生」 3行目:「復興」→「再生」 3行目:「北イタリア」→「中部イタリア」
お礼
ありがとうございました。難しい質問なんですね。皆さんのコメントを見ているだけでも私はかなり頭が痛くなりました。(皆さんにとっては、初歩的なアドバイスだとは思いますが…)でも、何となくは解りました。感謝いたします。
補足
コメントをお寄せくださった3名様、ありがとうございました。締め切るにあたって、ポイントを決めようと思いますがご回答に差はなく、悩んだ結果回答を頂いた順にポイントを差し上げることと致しました。NO.2 NO.3の方、申し訳ございませんでした。
- nine-o
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一言で言えば、時代の流れに伴って、宗教画のみの世界から、ギリシャローマ時代に重視された人文主義的な芸術の世界に変わっていくことによって、絵画の技術が飛躍的にアップしたことです。 舞台は中世、イタリアはフィレンツェです。 当時(13~14世紀)のヨーロッパは教会の力が強く、政治の実権はもちろん、市民生活の鍵を握るのも、芸術の対象となるべきものも、すべてが教会がらみでした。 たとえば絵画などでも、宗教画が正統なものとして認められ、誰もが自由に好きなものを描いても良いという時代ではありませんでした。 宗教がは制約も多く、限られた題材のなかで、美術界は足踏みをしていました。 そんななか、フィレンツェでは、商業によって財力をつけた「メディチ家」という一族が力をつけ始め、政治力も持ち始めました。 彼らは芸術にも関心を示し、芸術家達のパトロンとなることで、芸術を擁護し始めました。 例えばフィリッポ・リッピ(ボッティチェリの先生)はメディチ家に擁護された画家の一人です。彼は自らの絵画に描く聖母マリアを自分の妻をモデルにして描き、幼子イエスを自分の子供をモデルに描きました。 宗教の制約の厳しい時代に、自分の家族をモデルに聖家族を描くなんて、許されざること。そんなリッピにも、メディチ家は手を差し伸べていました。 制約だらけで空想の世界の宗教画から、好きなものを現実に則って描ける、(=神様中心の考え方から、人間中心の考え方へ(人文主義))メディチ家の財力はそれを可能にしました。 宗教以外のものに目を向けることを許されるようになった芸術家達は、人間そのものの美しさや醜さに目を向けるようになり、彼らの祖先である、古代のローマ人やギリシャ人が表現したような人間そのものを表現する方法を学んでいきます。 この、昔に戻ってやり直すというニュアンスが、「再生=ルネッサンス」の語源となっています。 フィレンツェのウフィッツィ美術館には、このルネッサンスの初期(まだ宗教画)からの作品が、時代を追って展示してあります。 最初の部屋(チマブエなどの作品)には遠近法も無く、宗教画の基本に則った作品が多く、彼の弟子ジョット(アッシジのサン・フランチェスコ教会の壁画で有名)の作品になると、多少の遠近方が用いられる様になってきます。そしてリッピの作品があり、更に進むとリッピの弟子で、ルネッサンスを代表する画家である、ボッティチェリの作品があります。 ボッティチェリの作品になると、遠近法はもちろん、裸婦が登場し、更にキリスト教以外の宗教が(ギリシャ神話)題材に選ばれるようになっています。 商業家(金融業だったともいわれる)メディチ家の財力が、教会の力を撥ね退けて、人間が本来持つ力を、芸術の世界で発展させる源になった、と言う感じです。 ちなみにフィレンツェのウフィッツイ美術館のウフィッツイとは、イタリア語でオフィス(事務所)のことで、メディチ家が執政に使用した建物なので、「事務所」の名前が残ったと言うわけです。
お礼
ありがとうございました。昔勉強した世界史を少し思い出しました。
お礼
ありがとうございました。参考になりました。