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大塩平八郎って結局何がやりたかったの
歴史教科書に出てくるほうの大塩平八郎について質問です。 結果だけ見れば、あれで日本が良くなったとはまったく思えません。 何の意味があったのでしょうか? 何で歴史マンガや資料集では英雄扱いなんですか?
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>何の意味があったのでしょうか? 規律正しい生活を重んじた事は現代のダイエットの指針となるものではないでしょうか。
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- abaronx
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<<<何の意味があったのでしょうか?>>> 大塩平八郎は”日本が良くな”るためなどという、 大それたことを考えていたのでしょうか? 天保の大飢饉で民衆は悲惨な苦しみに喘いでいました。 天満の与力として忠実に働いてきた大塩には、 悪どい人間がぬくぬくとした暮らしをしているのに、 我慢できなかったのでしょうね。 その他の事情もあったのかも知れませんが、 それなりの影響を与えたことは間違いないでしょう。 良い方で歴史に名を残したぐらいですから。 <<<何で歴史マンガや資料集では英雄扱いなんですか?>>> むしろどうしてこのような疑問をお持ちになるのか、 それが逆に疑問になります(笑)。 隠していたことが発覚すると”ごめんなさい”、 人が見ていなければ道路に平気で捨てる、 酔っ払って人をはねたら何がなんでも逃げる、 こんな世の中に生きている自分にとって、 命をかけて行動を起こした大塩平八郎は、やはり、 極めて自然に”英雄”として映りますが、、、? 少なくとも自分などは足元にも及ばない”大人物”だと思います。
- mat983
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http://homepage2.nifty.com/bu-ra-ri/oosio-ran.htm ・後に『三大功績』と呼ばれる大きな民政上の事件を解決 ・米の値段は、6・7倍に跳ね上がり、飢饉で餓死する人は一冬で5千人 天保の飢饉で庶民の生活はぎりぎりまで追い詰められ、 行き場のない怒りどこにもぶつけることができませんでした。 そこで起きた大塩の捨て身の反乱は共感を得たのです。 背景には奉行時代に実績の残し、私塾で教えるなど「徳」のある人物であったことなどが、庶民の味方として英雄扱いになったと思います。
- imasino
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奉行所の元与力という特権階級である武士が、 天保の大飢饉で苦しむ庶民のために、 不正をし無策の役人や暴利を貪る豪商に対し、武装蜂起したからです。 戦らしい戦のない江戸の太平の世で、およそ200年ぶりに起こった戦であり、 一武士がおよそ勝ち目のないであろう戦いを、 世の中を良くしたいという強い気持ちを持っておこしたことが、 英雄扱いされる所以であると思います。 とにかく日本人は結果よりも過程を大事にしますし、 その心意気や志の高さが愛されて、英雄扱いされるのだと思います。