蛇足です。
私は祖父、父がチョッキと言っていたので、スーツつくる時チョッキも欲しい、といったら、テーラーの人が、「今どきそうおっしゃるお客様は珍しいですね」と。ベストだと知りました。
当時は帽子あらい、という商売があり、ソフト、カンカン、のクリーニングみたいなことをしてくれる人が、自転車で回っていました。汗で中が汚れるので、けっこう商売になったようです。カンカンは、夏場の必需品でしたから、その時期は忙しかったそうです。あと、簡単な修繕もしてくれました。
革手袋しているとケッコウな寒さまで三つ揃えは大丈夫です。それでもダメならマフラー、そして外套の出番となります。これは背広がもともと軍服だった名残でしょう。外套は今の感覚より高額なので、大事にしていたそうですし、古着屋はもうかる商売でした。
大正時代洋服来ていたのは主に男性で、女性はかなりお金もちか、根性でお裁縫やっていた人が着ていたそうです。雑誌には流行の型紙なんて当時から乗っていました。例外は女学校、特にミッションはセーラーなことが多いので、街ではみんなの注目を集めており、女学生も冠婚葬祭はおろか、遊びにもとオールマイティに着こなしていました。学校によっては体操着つかわずにセーラーで体育していたくらいです。それでも、自宅まで洋服という人は、珍しかったようです。でも、編み物ができる人は、セーター編んで着ていたりしたそうです。都会の中学生は当然詰め襟丸刈りです。自宅では洋服も、和服もいました。旧制高等学校、大学生も詰め襟でしたが、これらハイカラに対抗したバンカラ(蛮カラ)もいて、高下駄はいて、わざとボロくした詰め襟と帽子(フライパンでいためてボロボロにする)、マントで闊歩する光景もありましたが、勉強はみな真面目にしていたそうです(中学に進んだだけで当時はインテリです)。
都会は一応洋服も多かったのですが、地方では兵役で軍隊に入りはじめて洋服きて革靴はいた、なんてひとは珍しくなかったそうです。軍隊靴は頑丈で人気があり市販されてもいました。いまでも、軍手なんて、帝国陸軍の名残が残ったものがありますね。
お礼
回答いただき有難うございます!! 色々と細かく説明していただいてとても感動しました!! 学生さんの服装についても知れて良かったです セーラーで体育というのに驚きました 汚れてボロボロになってしまいそう>< うーん知れば知るほどこの時代の服装は奥が深いですね!