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教えてください。

 なんで人は照れがあるのでしょうか。 人前に出て料理を教えたいのに自分のしたいことばかりしか頭に浮かばず、それを言ってはいけない、となるから当たり障りのない言葉しか発すことが出来ませんでした。 向いていない、という見解は抜きにして、努力で何とかしたい、上手くなりたいと思っています。 どなたか照れを取り除くためのアドバイスをいただけないでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • m-_-mai
  • ベストアンサー率27% (20/72)
回答No.3

20代女性、教師をやっています。 ええと、まず「照れ」じゃなくて、「あがり」かな? と思ったんですが、違うかな?? >自分のしたいことばかりしか頭に浮かばず という言葉の意味が正確には分からないのですが、 私なりの解釈で書いてみます。 私の場合、最初の頃はとにかく、人前で言うセリフを全部紙に書きましたね。 細かくなくてもいいと思いますが、全体の流れを紙に書いて整理して、 その中で、ここではこんなことを話そうとか、こんな知識を織り込んでいこうとか考えます。 最初は、その台本を読む感じでいいんじゃないかなって思うんです。 当日も、カンニングペーパー持参で臨みます。 それで慣れてくるとだんだん、「アドリブ」が出来るようになるんです。 アドリブを考えるだけの余裕が出来るからです。 そして次第に、その台本作りもいらなくなってくるんです。 そこはまさに「慣れ」ですね。回数をこなすしかないです。 単純に気持ちのコントロールだけを考えるのではなく、 気持ちを落ち着けるために、具体的な対策を考える必要があるのではないでしょうか。 根拠がなければ、なかなか自信ってもてないですよね。 と、思います。

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  • ap10
  • ベストアンサー率33% (453/1356)
回答No.4

照れなのかどうかかなり微妙 ですので、教えを上手くやるにはどうすればいいかという点をアドバイスさせて下さい 当方ジャンルは違いますが教えをやっております まず、教えるべき事を整理する 次にその教えるべき事に付随する世間話や笑い話、ちょっとしたエピソードを用意 それらを元にどれ位の時間がかかるか計算して、時間配分を計算 特に料理であれば、待たなければいけない時間とかあると思うので、そこをどう使うかちゃんと計算するべきじゃないでしょうか また、時間配分の計算時にエネルギーの消費量も計算して、興味や集中力が継続できるかをちゃんと計算する それらを計算した上で、全然関係ない与太話とかをどこに入れるか計算する 必ずしも入れなきゃいけないものではありませんが、集中力の継続の為にちょうど良かったりする場合もあり ちゃんと計算した上で何回かクラスをやれば、出るところ引っ込めるところが判ってくると思います すると「それを言ってはいけない、となるから当たり障りのない言葉しか発すことが出来ません」辺りの事は解消できるようになると思いますよ そして慣れてしまえば、計算しなくても自然とやれます(呼吸とか間を理解すると、考えなくてもやれます) 基本的に料理の場合には、ある程度計算づくでやって構わないと予想 というのも料理をする上でそれぞれの作業に最低かかる時間があるからです そのそれぞれの作業に最低必要な時間を判っていないと、料理を作り上げる事自体ができない可能性もありますよね ちなみに用意した話やスケジュールを完璧に実行する必要はありません 多少なりと時間的な余裕を用意しておくと臨機応変に対応し易いし、話そうと思ってた話題を思い出せなくてもどうとでもなります 実際自分の場合、話題を忘れてると 「・・・あれっ、何か話そうと思ってた面白い話があったのですが・・・えっっとぉ、ダメだ思い出せない。ごめんなさい、思い出したら次回話しますね」 と平気な顔して言いますから 100%完璧にこなそうと思ってると、プレッシャーになって逆効果ですしね ちなみにこれらは面倒そうな話ではありますが、無意識でやれる人はこんな事やらなくて大丈夫です しかし、できないのであれば努力でカバーしましょ 大切なのは、楽しいクラスであったとお客さんが思える事です そして当然美味しい料理ができあがる事 頑張って下さい

  • r-utsugi
  • ベストアンサー率18% (56/297)
回答No.2

こんばんは。 少し整理させてもらっていいですか? >人前に出て料理を教えたいのに自分のしたいことばかりしか頭に浮かばず これは、教えるための段取りが出来ていない、ということですか? だったら、自分なりに原稿を書いてみればいいのではないでしょうか。 >それを言ってはいけない、となるから当たり障りのない言葉しか発すことが出来ませんでした。 これは、指導が自分の理想通りに、いわゆる適切に出来なかった、そう言うことですか? だったら、何のためにそれをやるか、それをもう一度、しっかり心に決めることが大事だと思います。 人にものを教えるとは、毅然とした強さも必要ですからね。 正しく教えることは、何より相手のためなのですから。 あなたの仰る「照れ」という言葉が、どうも適切ではないのかなあ、そう感じます。 照れで、こういう現象が起こるのかなあ、と。 的外れでしたら、ごめんなさいね。 照れということに絞っていえば、これは性格ですからね。 克服するには、ひたすら場数を踏んで自信を付ける以外には、それを隠す方法は無いのかも知れません。

alessandoro
質問者

お礼

おっしゃるとおりの見解です。照れは隠れているものなんですね。 ありがとうございました。

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20252/40150)
回答No.1

単純に恥ずかしいという部分と、よく見せよう、上手くやろうやろうという気持ちがぎこちなさを生んでしまうんだよね。 急に無くなる事はないよね。それは慣れもあるし。 最初は上手く行かなくても経験を積む事で以前よりは照れずにスムーズにできるようになる事はあるんですよね☆

alessandoro
質問者

お礼

シンプルですね。 ありがとうございました。

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