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薩摩藩が天保通宝を密造した理由
先月から貨幣史について勉強を始めました。 薩摩藩が,琉球通宝の鋳造を口実に天保通宝を大量に密造したとwikipediaにありました。 その目的と効果はどのようなところにあったのでしょうか? 教えてください。
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まず幕府の作った天保通宝という通貨は、額面の銅の量を含まない悪銭でした。このできの悪い通貨で、額面どおりそれまでの金貨銀貨と両替できれば儲けられます。そしてそんな通貨を幕府が作っているところを見て、諸藩も似たような通貨を密造して儲けようとしました。その最も大掛かりなのが島津です。しかも幕府の発行するものよりさらに鉛が多い粗悪品らしいです。 効果は勿論この通貨の暴落で、額面どおり両替されることはなくなりました。ただ全員が全員粗悪品を作っていたため、誰のせいともいえない状態です。
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- Pinhole-09
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宝永通宝10文銅銭(1700年頃より)に対し、文久永宝4文銅銭の銅含有率は4割弱ですが、天保通宝100文銅銭は2倍半弱しかない悪銭です。 官銭の天保通宝の発行を機に、幕末の多大の借財に苦しむ各藩は儲けようとしました。 藩内のみ流通の藩札を貨幣と替えると云う名目で、天保銭の鋳造の許可を幕府より得ました。 福岡藩では「筑前通宝」、土佐藩では「土佐通宝」など天保通宝の文字は使いませんが、形、模様は同じです。 薩摩藩は琉球で通用の名目で「琉球通宝」です。 そのうち天保通宝の文字に変えて官銭同様に発行するようになりました。 もともと官許で銭貨を鋳造していた水戸、仙台、秋田などの藩も天保通宝を鋳造したので、未公認の各藩もあまり恐れずにおこなったようです。 幕府も取り締まる力を失っていました。 薩摩藩の借財は膨大であり、銅の入手に有利で大量に鋳造したようです。 財政状態の解決には大きい効果があったとは思えませんが。
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ご回答ありがとうございます。 「筑前通宝」や「土佐通宝」も,財政目的による悪銭鋳造だったのですね。 貨幣制度の統一は,国家統治の基本であるのに,現在であれば,懲役又は3年以上の懲役(刑法148条1項)となる重罪の通貨偽造を各藩が堂々と犯すようになっては,幕府の権力も完全に先が見えたという感じだったしょうね。
私もあまりわかりませんが、恐らく、琉球は薩摩藩の領地となっていたために琉球通宝という琉球独自の通宝を作ると言えば幕府側は、どうこう言えないため、密造したのではないかと自分は思います
お礼
ご回答ありがとうございました。 琉球通宝自体は実際にある程度鋳造されたのですが,天保通宝薩摩銭はそれを大きく上回って存在します。 昔は,結構各藩が幕府の許可を取らずに,あるいは隠れて「違法」行為をしています。 幕府の統一政権といっても,連邦国家の性格を持ったものだったようですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 寛永通宝一文銭を鋳潰せば原材料の銅が得られるし,百文通用の天保通宝を大量に作って,本位貨幣と両替して儲けようとしていたのですね。 昔は官庁経済学が発達していなかったのか,財政目的で品位の劣悪な貨幣を発行することが多かったようですね。