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薩摩藩は、隠密に国情を知られないために方言を強めた?のである

薩摩藩は、隠密に国情を知られないために方言を強めた、という説がありますが、事実でしょうか? 鹿児島の人から聞いた説ですが、まゆつばものと思っています。 よろしくお願いします。

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noname#49020
noname#49020
回答No.4

>薩摩藩は、隠密に国情を知られないために方言を強めた ・・・仰せの通りウソです。そういうことはありえません。いくら藩政府が方言の使用を強制しても無理ですね。  有名な民俗学者、柳田國男が『方言周圏論』というものを発表しました。新しい言葉や表現方法は、情報の流通が激しい都会で起こり、ちょうど池に石を投げ込んだときにできる波紋のように、同心円状に徐々に周辺に伝わっていく、ということです。したがって、辺地ほど古い言葉が残り、それが方言になっているということになります。  実際、琉球地方の方言を聞きますと、まるで奈良時代のような感じがします。  薩摩は辺地で方言が残りやすく、また人の出入りを制限したために、余計に都などの新しい言葉が入らず、結果として「方言が強まった」ということだろうと思います。

その他の回答 (3)

  • komes
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回答No.3

薩摩方言が特殊なところから生まれた俗説でしょう。 実態は薩摩では琉球の実質支配や密貿易など幕府の法制に反することも多く、藩安泰の為秘密にする事が多かったので他国人に対しては厳重な規制を行っていました。 他国人を発見すれば直ちに通報するよう定められておりその発見手段として方言の相違が利用されたことはあったと思われます。 僧侶、雲水、芸人、画家などは特に注目の対象でした。 この事は幕末僧月照が薩摩藩の保護を求めてきたのに西郷隆盛が援助しようとして果たせず、遂にともに入水した行為とも関連するとおもわれます。

  • 1582
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回答No.2

とりあえず証拠になるような文献は無いな そもそもそんなことしたらかえって怪しまれて 取り潰しになりかねないし個人的には 無茶で出鱈目な妄想と思っている

回答No.1

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