ベストアンサー 公理を疑うのは非科学的か 2008/10/14 23:41 公理を疑うことは非科学的なことなのでしょうか。 公理を信じなければ科学は始まらないにしても、 公理を疑う態度は科学的な姿勢のようにも思えます。 みんなの回答 (6) 専門家の回答 質問者が選んだベストアンサー ベストアンサー sanori ベストアンサー率48% (5664/11798) 2008/10/15 05:16 回答No.4 こんにちは。 公理に基づいて理論を展開したり実験したりするのも科学、 公理を疑って新たな概念を探求するのも科学です。 ところで、 「不完全性定理」ってご存知ですか? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%80%A7%E5%AE%9A%E7%90%86 特に、「第2不完全性定理」っていうのが強烈です。 以上、ご参考になりましたら。 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 その他の回答 (5) noname#160321 2008/10/15 10:30 回答No.6 ユークリッド幾何学の「公理」とリーマン幾何学の「公理」は異なります。 新たな「体系」を生み出せば、新たな「公理」が生じます。 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 mojitto ベストアンサー率21% (945/4353) 2008/10/15 09:54 回答No.5 公理を疑う姿勢は大事かもしれませんが、公理を疑う価値があるとは思えません。 (まぁ価値がないからしないというのは、科学的に正しい姿勢ではないですが…) 果たして科学的に疑える余地はあるのでしょうか? 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 noname#194289 2008/10/15 02:15 回答No.3 クーンのパラダイムに関係したことと思いました。通常科学というのは既存の公理を前提に行われますが、その公理ではやっていけない時期が来ると公理が研究の対象となるのではないでしょうか。私が自分なりに納得している例は(それを公理といえるかどうかは別にして)プロペラ(レシプロ)飛行機の速度がプロペラの力学から限界に来た時ジェットエンジンが発明されたことです。おそらく精巧を極めたレシルロエンジンの技術者は初期のジェットエンジンをバカにしていたと思います。コペルニクスとプトレマイオス、アインシュタインとローレンツズの場合これるにクスやアインシュタインの方が非(通常)科学的だったと思います。科学的というのは多くの人が認める前提からきちんと導き出気出すことで、前提そのものを別のものに置き換える行為は異端(非科学)的と区別されない(特に初期には)ものなのではないでしょうか。 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 cliomaxi ベストアンサー率33% (2921/8736) 2008/10/14 23:46 回答No.2 >公理を疑うことは非科学的なことなのでしょうか。 誰がそんなことを言ったのでしょう? どの様なものでも一度の実験に成功しただけで認められる事は有りません。 何度も何度も追試が行われています。 ただ、何度やっても結果が同じで公理に綻びが無いのであれば疑うと言う行為は非科学と言うよりは無意味な行為となってしまいます。 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 koko_u_ ベストアンサー率18% (459/2509) 2008/10/14 23:44 回答No.1 >公理を疑うことは非科学的なことなのでしょうか。 あなたが「科学」と書いたものの研究対象領域によります。補足にどうぞ。 また、あなたが「公理」と書いているものの内容も併せて補足に。 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 カテゴリ 学問・教育自然科学科学 関連するQ&A 公理の正しさについて 数学カテゴリで質問しようかと思ったのですが、数学的な基礎づけを伺いたいわけではないので、哲学カテゴリにしました。 最近、ある宗教家の方とお話ししていると 「科学は、公理の上に定理を積み重ねることはできても、公理がなぜ正しいのかは証明することはできない。 公理がなぜ正しいのか。それは神様から与えられたものだからである」 とおっしゃっていました。 クーンのパラダイム論に近いことかと思っていると、「時代背景」とかではなく、もっと根源的に、「科学とは神によって担保されている」という意味のようでした。 (1)こういう考え方って、現在の哲学や神学では結構ありふれているのでしょうか? また、歴史上に同じような考え方をしていた思想家はいるでしょうか? 「公理」や「定理」という考え方をしていた哲学者というとスピノザが思い浮かびますが、彼は公理の正しさについては何も言及していなかったと思います。 (2)科学には反証可能性があり、宗教にはそれがない点で、両者は全くの別物だと思います。 しかし、上記の主張を受け入れると、「科学は神に従属している → 科学もまた宗教ではないか」とという結論になる気がします。 もし上記の主張が正しければ、本当にそういう結論になるのでしょうか? 1+1=2は公理? 1+1=2というのは公理なのでしょうか。それとも定義なのでしょうか。講義での課題なのですが定義と公理のそれぞれの意味を調べても1+1=2がどちらなのかわかりません。どなたかわかるかた教えてください。 ZFCが一番少ない公理系ではない? 数学基礎論の本でZFCは一番少ない公理系(9つ) 外延性公理, 空集合の公理, 対の公理, 合併集合の公理, 無限集合の公理, べき集合の公理, 置換公理, 正則性の公理, 選択公理 と見かけましたが ZFCは図式は一つずつだが無限個の公理から成り立っている公理系だと聞きました。 もし,無限個だとすると一番少ない公理系で無限個とは意味不明だと思います。 どのように解釈したらいいでしょうか? それと公理図式と公理の違いは何なのでしょうか? 天文学のお話。日本ではどのように考えられていた? OKWAVE コラム 宇宙の公理 宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙は空間と時間を有する 第3公理 空間は連続かつ無限である 第4公理 時間は連続かつ無限である 第5公理 空間も時間も均質であり特異点は存在しない 第6公理 宇宙の法則は数学的である 出来ました。 とりあえずこれでビッグバンの必要はなくなったと思うが。 宇宙の公理 宇宙の公理 第1公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第2公理 宇宙のすべての現象は宇宙の法則に支配される 第3公理 宇宙は存在する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠不変である 第6公理 宇宙の法則は永遠不滅である 特に、第1公理、第2公理、第3公理によって宇宙には始まりは無いことが分かるという。 それは何故でしょう。 公理を検証して下さい 数学が扱うものは数式だけではなく、論理一般を扱うものと考え質問します。 ある宇宙モデルを表す公理系を考えてみました。 必ずしも現実の宇宙を想定しなくてもよいです。(もちろん想定してもよいが。) さて質問ですが、公理1~7で互いに相反するものはありますか、また互いに同一内容(冗長)のものはありますか。 宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第3公理 宇宙の法則は宇宙の全現象を支配する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠無限に均一である 第6公理 宇宙の法則は永遠無限に不変である 第7公理 宇宙の法則は永遠無限に不滅である (※永遠とは無限時間、無限とは無限空間を意味する) 宇宙の公理 宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙は空間と時間を有する 第3公理 空間は連続かつ無限である 第4公理 時間は連続かつ無限である 第5公理 空間も時間も均質であり特異点は存在しない 第6公理 宇宙の法則は数学的である 出来ました。 とりあえずこれでビッグバンについて悩む必要はなくなると思うが。 公理とは 数学における公理とは、信念のようなものなんですか、単なる仮定ですか? 公理と定義はどうちがうのでしょうか? 公理とは「仮定」のことです。 「仮定」とは「仮に定めたもの」です。 「仮に定めたもの」とは「仮に定義したもの」です。 「仮に定義すること」(公理)と「定義すること」(定義)は同じなのではないのでしょうか? 定義と公理のちがいは何でしょうか? 例えば行列のかけ算は縦と横を掛けて足しますけど、 それは定義です。 しかし、それを公理と呼んではいけないのでしょうか? また、たとえば分配法則は公理ですが、これを定義と呼んではいけないのでしょうか? ペアノ公理ってなに? ペアノ公理を今日大学で習ったんですが、 左辺に二乗がないのにいきなり二乗が出てきてまったく理解できませんでした。ペアノ公理わかりやすく説明してくださる方いらしゃったら教えてください。基本から教えていただけるとありがたいです。 公理なのか定理なのか分かりません 公理と定理の言葉の意味は知っています 質問 中学校の数学の教科書に出てくる等式の性質は、公理ですか? 質問の補足 : 一応先に調べたのですが、 下のURLで書いてある内容では、公理から導き出される定理と書いてありますが、内容の信憑性が証拠がない以上未知数なので、できれば1の質問に答えるにあたって、何かしらの証拠があると助かります あとは、定理だったとして、その定理に使われている公理の名前は何ですか? (https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11199841376) 宇宙の公理 いま目の前に厳然として存在する宇宙について考察するとき、次の3つ公理に行き着いた。 1.宇宙は存在する 2.宇宙は無限である 3.宇宙は連続体である 宇宙は連続体である、つまり宇宙はその中のどの一部をとってもそれ自身やはり無限である。 これらは公理であり、証明を求めるべきものではないがあまりに自明である。 そしてこの深遠なる宇宙の法則と宇宙の公理について考えるとき、神や仏、天国や地獄の事などもーどーでもえーことになる。 「人の道」には自明な宇宙の公理、皆はどー思うか聞かしてくれ。 日本史の転換点?:赤穂浪士、池田屋事件、禁門の変に見る武士の忠義と正義 OKWAVE コラム ZF公理系に「積集合の公理」がないのは何故ですか? (I)外延公理 ∀z(z∈x <-> z∈y)-> x=y (II)対公理 ∃z∀u(u∈z <-> u=x ∨u=y) (III)和集合公理 ∃y∀z(z∈y <-> ∃u(u∈x∧z∈u)) (IV)ベキ集合公理 ∃y∀z(z∈y <-> z⊆x) (V)空集合公理 ∃x∀y¬(y∈x) (VI)無限公理 ∃x(Φ∈z∧∀y(y∈x ー> y∪{y}∈x)) (VII)置換公理 ∀x∀y∀z(φ(x,y)∧φ(x,z)->y=z) -> ∃v∀y(y∈v <-> ∃x(x∈u∧φ(x,y))) (VIII)正則性公理 x≠Φ ー> ∃y(y∈x ∧ y∩x=Φ) このように和集合の公理はあるのに何故積集合の公理はないのでしょうか? 他から導けるのでしょうか? 公理と定義の違い 公理と定義の違い 公理と定義の違いはなんでしょう。 例えば、1^0=1 は公理でしょうか。定義でしょうか。それ以外でしょうか。 あるいは、2乗して-1になるのを i とするのは公理でしょうか。定義でしょうか。それ以外でしょうか。 このサイトや他のサイトも検索してみましたが、 理解できるものがありませんでした。 第2可算公理が成立すると第1可算公理が成立します。ところで、その逆「第 第2可算公理が成立すると第1可算公理が成立します。ところで、その逆「第1可算公理が成立するが第2可算公理が成立する」は必ずしも言えないのでしょうか。それはどのような場合でしょうか。 確率の公理 大学で確率の授業をとっています。 確率のテキストに、筆記体のFみたいなものがあるのですが、 どういう意味なのでしょうか? ちなみに、確率の公理として出てきます。 公理1、0≦P(A)≦1 (∀A∈F) ←カッコのなかの意味がわかりません 公理2、An∈F(n∈N)がすべて互いに排反であれば P(∪(n=1~∞)An=Σ(n=1~∞)P(An) あともう1点。この二つが確率の公理ですよね? ご教授ください。よろしくお願いいたします。 ペアノの公理の5番目の公理(いわゆる数学的帰納法) ペアノの公理の5番目の公理(いわゆる数学的帰納法の原理)について、 なぜこれが自然数の定義に必要なのか気になって、考えたり調べたりしています。 (つまり、1~4の公理だけでは何が不十分なのかについてです) そんな中、自然数の加法を定義するときに公理5が必要であるということを聞きました。自然数の加法を定義するときに公理5が必要な理由について、 ご教示、またはアドバイスいただけないでしょうか。 もうすこし具体的には、 N=(N,S,0) S:successorの写像 において、以下のように加法(二項演算a)を定義するとき (i) a(x,0) = x (ii) a(x,S(y)) = S(a(x,y)) この(ii)の定義の際に必要だと思いますが、 どのように第五公理が効いているのかが理解できていません。 哲学は公理系を持とうとはしなかったのですか? 哲学は公理系を持とうとはしなかったのですか? 哲学のカテゴリーで何度か質問させていただき、その回答を拝読しながら思うことに、基本的な用語や概念に対してなんと多様な解釈があるか!という驚きがあります。 たとえば、「人間の本質は変わらない」のか「人間の本質は時とともに移ろう」のか。 このような基本的な事に合意を取らずに、人間界の議論を開始するのが哲学なのでしょうか? 場合によっては「時ともに移ろうものを本質と呼ぶのか」みたいなところまで遡って基礎教育しなくちゃならない。 人間という言葉で示す概念を固定できないとすれば、その言葉を使って何を意思疎通せよと言うのでしょうか? 哲学が数学や物理学ほどに緻密でなく、宗教ほど逞しくないことは分かりましたが、せめて公理系を持てば、哲学の議論が発散することを回避でき、議論の成果も期待できるのではないかと思います。 哲学が公理系を持ったことが有るのか、また持ったことが無いのであれば、なぜ公理系を持つことができなかったのか、など、ご教授いただけるとありがたいです。 初歩的な群の公理について 群の公理を導出する問題で悩んでいます。 『群の公理に、 公理(1) 元の積が結合律を満たす。 公理(2) 集合Gの任意の元a,bに対して、ax=b,およびya=bとなるGの元x,yが存在して一意的である。 というのがあるが、いま、公理(2)を分解して、 公理(2‐1) Gの中に単位元が存在する。(eは単位元で次が成立。ae=ea=a) 公理(2‐2) Gの任意の元に対し逆元が存在する。(xは逆元で次が成立。ax=xa=e) とした時、公理(1)、(2‐1)、(2‐2)から公理(2)を導け』という問題について考えています。 これは、公理(2‐2)の式、ax=eについて右からbをかけて、 axb=b ここで xb=X とすると aX=b (ya=bも同様にして)となり、公理(2)が導けたように思うのですが…でもこれだと公理(1)を用いておらず問題の意図に反している気がしてなりません。 私の考え方で誤っている点をご指摘していただきたいです。 選択公理について 選択公理が当たり前すぎてよくわからなくなりました。 まず、ここでの選択公理は、添字集合Λ上の添字付き集合族(A_λ)_[λ∈Λ]が、どのλ∈ΛについてもA_λは空集合ではないとき、この添字付き集合族の直積集合は空集合ではない。記号では、 Π_[λ∈Λ] A_λ=φ と言う事とします。 しかし直積集合は、 Π_[λ∈Λ] A_λ ={(a_λ)_[λ∈Λ] | a_λ∈A_λ, λ∈Λ} と定義されるので、そもそも(a_λ)_[λ∈Λ]は、Π_[λ∈Λ] A_λに属すので空でないのは当たり前なのではないでしょうか? つまり、直積集合の定義自体によって、選択公理はすでに言えてるのではないでしょうか? 注目のQ&A 「You」や「I」が入った曲といえば? Part2 結婚について考えていない大学生の彼氏について 関東の方に聞きたいです 大阪万博について 駅の清涼飲料水自販機 不倫の慰謝料の請求について 新型コロナウイルスがもたらした功績について教えて 旧姓を使う理由。 回復メディアの保存方法 好きな人を諦める方法 小諸市(長野県)在住でスキーやスノボをする方の用具 カテゴリ 学問・教育 自然科学 理科(小学校・中学校)化学物理学科学生物学地学天文学・宇宙科学環境学・生態学その他(自然科学) カテゴリ一覧を見る OKWAVE コラム 突然のトラブル?プリンター・メール・LINE編 携帯料金を賢く見直す!格安SIMと端末選びのポイントは? 友達って必要?友情って何だろう 大震災時の現実とは?私たちができる備え 「結婚相談所は恥ずかしい」は時代遅れ!負け組の誤解と出会いの掴み方 あなたにピッタリな商品が見つかる! OKWAVE セレクト コスメ化粧品 化粧水・クレンジングなど 健康食品・サプリ コンブチャなど バス用品 入浴剤・アミノ酸シャンプーなど スマホアプリ マッチングアプリなど ヘアケア 白髪染めヘアカラーなど インターネット回線 プロバイダ、光回線など