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関数のグラフを線ではなく図と地の境として表すことの妥当性

数学では線には幅がないと定義されていますが、関数のグラフを紙に書いた時の線には幅がありますし、幅がなければ見ることができません。たとえば円の場合、内側を黒く塗りつぶして輪郭線を消してしまった時のふちが関数のグラフを示していると考えることは妥当なように思うのですが、その時にはあまりグラフの実在性が実感できなくなってしまうようにも思います。ところが接線のほうは同様な白黒で示したほうがいかにも接線という感じがするのですが、数学的にはどうなのでしょうか。何かご教示いただければ幸いです。

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  • hatake333
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回答No.1

質問の内容と意図がよく分かりませんが,次のように解釈してみました.違っていたら補足をお願いします. >数学では線には幅がないと定義されていますが、…(中略)…,その時にはあまりグラフの実在性が実感できなくなってしまうようにも思います。  前半は「線には幅がないという定義からすれば,関数のグラフは図と地との境として表現すべきではないか?」という問題提起でしょうか? >ところが接線のほうは同様な白黒で示したほうがいかにも接線という感じがするのですが、数学的にはどうなのでしょうか。  後半は「図と地との境としての表現と,従来の表現と,数学的にはどちらで表現すべきなのだろうか?」という疑問 でよろしいでしょうか?  前半に関しては,定義に忠実に従うという視点からいえば,もっともだといえます.しかし,定義からすれば図を描くこと自体すべきではありません.なぜなら,現実に存在するもので描くことは不可能だからです.まず,図を描くための平面が必要ですが,どこまでも平らな平面など現実には存在しませんし,完全な直線も引けません. 描けないものを描いているわけです.つまり,グラフというものは定義されたものを正確に表すことを主な意図とはしていないのです.あくまで,思考を助けるためのツールとして用いています. なので,図やグラフに優先されるのは「わかりやすさ」となります.しかも,自分だけでなく他者にも分かりやすい必要があります.そうすると,図と地との境という表現よりは,従来の表現の方がよさそうですね. 後半についても同様です.数学的にというと定義に従うということになるので, やはり図を描くということ自体が不可能です. ただし,筆記用具とノートが完全に電子化され,それを自由自在に使いこなせるようになれば, また,その表現方法に対する考え方も変わってくるかもしれませんね.

noname#194289
質問者

お礼

ご教示に従い勉強させていただきます。ありがとうございました。

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