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なげきつつひとり寝る夜
最後の文の口語訳、「さても、いとあやしかりつるほどに、ことなしびたる、しばしは、忍びたるさまに、内裏になど言ひつつぞあるべきを、いとどしう心づきなく思ふことぞ、限りなきや」 の訳で 「 それにしても、気が知れないほど平気な顔で通ってくるのは、しばらくの間でも、こっそり隠している様子で、宮中へなどといって取り繕うのが当然であるのに、いっそう不愉快に思うことが、果てもなく続くのであったよ」の意味が良くわかりません。 検索しても解説しているのは無かったです。 どういうことなんでしょうか_
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お問い合わせの箇所は、『蜻蛉日記』中でも、兼家(夫)と道綱母(妻)との間の微妙な心理的駆け引きが最も興味深く描き出されているところです。 この口語訳の稚拙さは酷すぎますから、質問者さんに理解できないからといっても、くれぐれもご自分の古文読解力を疑わないことです。 で、私なりに口語訳(意訳)すると、 「それにしても、こうも信じがたいまでのとぼけ方がよくできるものね。ちょっとは嘘をついてでも、「宮中に公務で呼び出されたのでね」とまことしやかに言ってくれたって良かったのに。「う~ん、あの憎たらしいクソ旦那めが!」という怨念がずっと心の中に居座り続けましたよ。」 とでもいったところでしょうか。 なお、『蜻蛉日記』というのは、実は日本文学史上初の《セックスレス小説》でして、夫の夜離(よがれ)に苦悩したり、嫉妬したりした《私小説》であるとご理解下さい。 夫の兼家は摂関家の貴公子で、超エリート、超セレブの御曹司ですから、受領の娘の道綱母にとっては、この縁談自体が超玉の輿だったはずなのに、あろうことか「三十日三十夜わがもとに」などと無茶な要求をし、それが叶わないと嫉妬のあまり夫に暴力を振るうという怖ろしい妻だったのです。 兼家に妻妾が最低七人程度いたと仮定しますと、たとえ彼が絶倫男性で、かつ毎晩平等に妻妾の家を訪問したとしても、週一が限度なのに、彼女はそういう夫の事情を全く理解しようとせず、毎晩愛されない自分は不幸だと勝手に思い込んでしまったわけですから、兼家には同性として同情してあげたくなります。 ただ、道綱母は衣通姫、光明皇后と並ぶ本朝三美人と評されたほどの超美人だったし、ご覧のような優れた歌人でしたので、豪放磊落でプレーボーイでもあった兼家を魅了したのでしょうね。 それだけに、彼女の嫉妬深さには幾度となく閉口させられたことが『日記』からも窺知できます。 それにしても、私はこういう彼女の大ファンです。
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- ZIMA0063
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