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牛窪密談記にある地名について
三河国、牛久保について語った「牛窪密談記」の中にある、「長山村」という地名は戦国時代にあった地名なのでしょうか?
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「三河国聞書」に享禄元年長山村若王子(今の熊野神社)造営とあるそうです。 他方弘治二年(1556)今川義元寄進状に、参河国牛久保若王子造営とあり、これが同じ社のようで長山は牛久保の一部であったと推定されます。 大永五年(1525)三州宝飯郡牛窪郷と書かれた文書があるそうです。 牛久保については、当時の領主の牧野氏が 明応二年(1493)牛窪と改め、 享禄二年(1529)牛久保と改めたそうです。
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- tasukarima
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回答No.1
宝飯郡の町村合併の時の記録に江戸期の村名の中に長山村とありますから江戸時代はあったんでしょう 1529年に一色城の対城として牧野成勝が中條郷の長山の岸(今の豊川)の環状台地に新城(牛久保城)を築くとありますから 戦国期にはあって これ以前 室町鎌倉をしらべたらどうですか それから牛窪密談記はどうなんですかね 信頼性? 愛知城郭研究会の愛城研報告7号を見てはどうですか 長山村あたりのことがでてます
質問者
お礼
ありがとうございました。
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