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中山道と甲州街道
京都から関東へ行く道は昔は東海道よりも中山道が使われていました。昔は東海道は大河があったり川の氾濫で湿地があって利用しにくかったとのことです。 では、中山道でいくとして、途中で甲斐を経由したほうが近いと思うのですが、なぜ、上野経由の中山道が利用されたのでしょうか。 大昔は甲州街道が整備されてなかったのでしょうか。でも江戸時代で甲州街道が整備されていても、和宮は中山道で江戸に来ています。甲州街道より中山道が利用された理由はなんでしょうか。
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下記の質問の回答No1に言い尽くされていると思います。 「なぜ中山道なのか」 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2120673.html 「自動車で走るとわかります。 東名→名神 (東海道) 関越→上信→長野→名神 (中山道) 中央道→長野→名神 (甲州街道) では関越ルートが安くて楽です。 小仏峠は難所です。私は愛車を一台スクラップ(スリップ事故)にしています。」 昔はクルマも鉄道もなく、自分の足か他人の足(駕籠)、もしくは馬くらいしかありません。その場合「道が平坦である」ことが一番大事であるのは良く分かるでしょう。中山道は一見「山の中を通る道」のように見えますが、 「海に迫った断崖や大河」(東海道) も 「険阻な峠」(甲州街道) もなく、文明開化以前の交通事情では「都と関東を結ぶ一番障害の少ない道」だったのです。 下記の質問もご一読下さい。 「旧国名について」 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3599906.html
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- pasocom
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中山道は69次といって、いくつもの宿場町がありましたが、甲州街道にはそのような宿場町がほとんど整備されていなかったようです。今現在そういう宿場の名残をとどめている街並みなどほとんどありません。 宿場が整備されていなければ旅人としては利用しにくかったと思います。
お礼
早速の回答ありがとうございます
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