締切済み 古典文法について 2008/07/25 17:30 「らむ」における現在の推量、現在の原因推量、「けむ」における過去の推量、過去の原因推量のニュアンスがいまいち分かりません。分かりやすく教えてください。よろしくお願いします。 みんなの回答 (2) 専門家の回答 みんなの回答 hatikou2 ベストアンサー率31% (19/60) 2008/07/26 06:51 回答No.2 1 疑問の副詞(「いかに」など)や係助詞(「や」「か」など)の結びとなっている「らむ」「けむ」は原因推量のことが多いようです。 2 疑問の副詞や係助詞がなくても、「どうして~ているのだろう」「どうして~たのだろう」と訳すのが相応しい文脈なら原因推量です。 3 「む」はまだ起こっていない未来を推量するので、原因推量の用法はありません。「む」との対比でイメージすると、ニュアンスがつかめるかと思います。 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 jo-zen ベストアンサー率42% (848/1995) 2008/07/25 18:35 回答No.1 以下のURLを参考にしてみてください。 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/intro/jodousi02.html わかりやすいかと思います。 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 カテゴリ 学問・教育語学日本語・現代文・国語 関連するQ&A 古典の内容です。親切なかたよろしくお願いします 古典の助動詞なんですけど、けむ、らむってありますよね? 過去推量、過去の原因推量、過去の伝聞・婉曲や現在推量、現在の原因推量、伝聞・婉曲を白文から見極める方法はありますか?何形に接続したら意味は過去推量とか あと助詞の種類の覚え方教えて下さい。 格助詞、接続助詞、副助詞、係助詞、関係助詞に何が含まれるかとか あと大学受験に覚えなければならないのはなんですか? 古典文法 いかに心もとなくおぼすらん。 上記の文の「らん」の文法的意味と活用形がそれぞれ「現在推量」と「連体形」になるのですが、どうしてそうなるのかわかりません。 回答、よろしくお願いします。 古典文法 冬枯れのけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。 「まじけれ」の文法的意味と活用形を答える問題なのですが… 活用形が係り結びの法則により、已然形なのはわかったのですが、どうして意味が打消し推量になるのかわかりません。 回答、よろしくお願いします。 天文学のお話。日本ではどのように考えられていた? OKWAVE コラム お願いします 下の文のけむは過去の原因推量ですか? 古典文法 「なり」の識別 古典の文法問題をやっています。わからないことがありました。教えてください。 ( )内の語を適当な活用形に直せ。 心に任す( まじ )なり。 「なり」 は 終止形接続の伝聞・推量の「なり」と 連体形、体言接続の断定の「なり」と二つ考えられると思います。 もし、この「なり」が終止形接続の伝聞・推量の「なり」ならば(まじ)→(まじかる)に、連体形、体言接続の断定の「なり」ならば(まじ)→(まじき)になるのかなと思うのですがどっちなのでしょう?どのようにして判断したらよいのでしょうか?文脈ですか? それともうひとつ質問なんですが、この問題の場合 連体形、体言接続の断定の「なり」だったら(まじかる)ではなくて(まじき)になるのは知っているのですが どうしてなんでしょう? お願いします。 【文法】推量の助動詞の訳、「だろう」と「でしょう」のちがい 古典文法では、推量の助動詞「む」の訳し方として、「~だろう」のほかに「~でしょう」があったりします。現代の口語文法では、「だろう」と「でしょう」は、どう違うとおさえていたらよいでしょうか。 「だろう」 過去・官僚・存続・確認の助動詞「だ(だろ)」+推量・意志・勧誘の助動詞「う」 ? 「でしょう」 丁寧な断定「です(でしょ)」+推量・意志・勧誘の助動詞「う」 ? 上記のような感じでよいのでしょうか?だとすると、「だろ」と「でしょ」の違いが気になるのですが、確認≒丁寧な断定、と言うことで、「だろう」も「でしょう」も訳として可能、と言うことなのでしょうか。 「です」というのはどうも古文では「丁寧語の訳」のイメージがあり、敬語でないのに「です」を使うのには抵抗もあるのですが。 また、古典文法で、「べし」の推量、「らむ」の現在推量や原因推量の訳でも「でしょう」は許されるのでしょうか(見かけた気がするのですが)。 マドンナ古文の「けむ」 こんにちは。 「けむ」には過去婉曲と過去推量がありますよね。 マドンナ古文という参考書には、実際のところ、文中の連体形はそのほとんど(90%)が婉曲と書いてあるのですが、残りの10%はどんな時なのでしょうか?やはり婉曲では意味が通じない時でしょうか。 よろしくお願いします。 古典文法 こんにちは★ 古文の文法についていくつか聞きたいのですが・・・ 1『用なきありきは、よしなかりけり』とて、来ずなりにけり。 この『』内の“けり”の意味は過去ですよね? 詠嘆になるときはどんなときですか? 2言ひたり(き)こそ、 (き)を適当な活用形にするのですが・・・ “こそ”は体言ですか? この2題、誰か教えてください・・・ 「失くしてしまった」を古語にすると何ですか? お世話になります。 ちょっと急ぎで質問させていただきます。 「失くしてしまった」を古語にすると、「失くさん」でしょうか… また推量混じりの過去だと、どうなるでしょうか。 もうひとつ。 「あるのか?(いやないだろう)」のようなニュアンスの場合は、どう表現するでしょうか。 どうかどうか教えてください。 日本語文法について ご指導を、お願いします Q1.2グループの動詞の形の変化は、使役の形? 推量の形?可能の形?恩恵の形の、どの形と同じですか? Q2. (1)「私は、係員に荷物を調べられた」 (2)「私は、係員の荷物が調べられた」 (1)と(2)は、受け身の文? 恩恵の文? 推量の文? 可能の文? のどの文になりますか? Q3.動詞で、いつも現在形になるものは、下記のどれですか? (1) 恩恵を表す「おけげで」 (2)原因・理由を表す「から」 (3)目的を表す「ため」 (4) 推量を表す「みたいだ」 (5)期限を表す「まで」 (6)予想と反対の結果を表す「のに」 (7) 程度を表す「ほど」 (8)同種のものの並列を表す「し」 更級日記 あこがれ 更級日記のあこがれについてです。 東路の道の果てよりも、なほ奥つ方生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを……の「けむ」の解釈なのですが、僕は「どれくらい不教養だったようであるのか」と過去婉曲で訳したのですが、学校では、「どれくらい不教養だったのだろうか」と過去推量で訳しています。ある参考書では「を」の上はたいてい婉曲と判断と書いてあったのですが、どちらでもいいのでしょうか? 【古典文法】助動詞の活用の一部がなぜないのか? よろしくお願いします。 古典文法の助動詞について教えて下さい。 一部の助動詞は一定の活用形が欠けている(存在していない?ほぼ存在してない?)ように活用表に記載されています。 推量系の助動詞は特に、未然・連用・已然・命令が欠けているように感じます。 これには何か訳があるのでしょうか? 係り結びとかと関係があるのかな、とか少し推測しましたが、正直全くわかりません。 どなたか詳しい方、ご教示下さい。 よろしくお願いします。 日本史の転換点?:赤穂浪士、池田屋事件、禁門の変に見る武士の忠義と正義 OKWAVE コラム 高三古典 大鏡の藤原道真の左遷の、「小さきはあへなむ。」の、「な」が強意の未然になる理由と、「む」が推量の終止になる理由を教えてください。 死なむ 古典 『成尋阿闍梨母集』の一文で 「その3年過ぐるまで生きで、かの唐の出で立ち見じ。今日明日までも死なむ。」 とありますが、この中の《死なむ》についてです。 なむの識別で 未然接続は願望、連用接続は強意完了ぬ+推量意志のぬ、文中(それ以外)は係助詞というのは知っています。 この《死なむ》は2つ目のものらしいのですが、ちょっと理解できず、説明をお願いします。 50%の過去推量 may or might ‘50%の推量’について質問致します。 色んなものを読みあさったところ、下記の様に書いてありました。 現在はmay・mightは、さほど強さの違いはない。 may have pp= ~したかもしれない、 ~する可能性がある might have pp= ~したかもしれない、 ~する可能性が有った (実際に起こらなかったとしても使える) mightはmayの過去形だから、過去の推量かと思いきや、may have ppでも過去の推量が出来るといったところで混乱が生じています。 色んな例文を読みましたが、mayでもmightでも‘過去の推量’をしています。 何が違うのかが分かりません。 この二つの使い分け方、また明らかな使い方の違いが有りましたらご教授下さい。 からして について。。。文法のことですが。。。 子供のけんかに親が口を出すこと おかしい 1.からで 2.からして 3.からまで 4.からには 私は4と思うのに、正解は2ですね。2の意味は: 一つの例をあげて、ほかももちらんだがという気持ちを表す ~から判断して(推量の根拠を示す) どうしてこの質問の答えは2になりますか?どうもありがとう^^ 古文の文法「たり+む(たらむ)」の訳し方について 古典文学を読んでいて、ある文章について悩んでいます。 助動詞の「たらむ」なのですが、一般的によく見られるのは、<完了の助動詞たり>に<推量の助動詞む>で「~しているだろう、~したのでしょう」という口語訳だと思います。 しかし「む」を<仮定>とする訳し方もあるようで、その場合訳し方としては「~したとしたら、~したかもしれない○○(後に体言に付く場合)」で良いのですよね? また、推量と仮定が識別できる何か分かりやすい方法が有りますでしょうか。 古文の文法について詳しい方、どうぞ教えて下さい。 引き続きwouldについての質問です wouldはwillの過去形ですが、(1)He would be 80 years old now.とすると(弱い現在の推量)の意味になると習いました。例えば、(1)文中のnowをat that timeとして(弱い過去の推量)にする時はHe would have been 80 years old at that time.となるそうです。 一方、He would be 80 years old when he died.この文は過去の文で弱い推量ではないらしいのですが、これはHe will be 80 years old now.のような文をそのまま過去時制に(時制の一致?)ズラしたと考えて宜しいでしょうか?つまりwould(推量)を現在時制として使うと弱い推量になり、過去時制として使うとwillと同じくらいのやや強い推量になると考えて正しいでしょうか? 古典、助動詞の識別について。 古典、助動詞の識別について。 こんにちは。助動詞「べし」の識別についての質問です。参考書の問題です。 帝、石山に常にまうでたまひけり。国の司、「民疲れ、国滅びぬべし」となむわぶる。 という文章の「ぬべし」というところ。 「完了+推量」で「ぬ」は強意になります。そして、「べし」を文脈から判断するということですが、参考書にはその解釈のプロセスがのっておらず、答えだけが載っています。 このべしは「推量」だそうで、わたしは「当然」だろう、と思ったのですが、なぜ違うのでしょうか。 わかる方教えてください。 古典文法の「謙譲語」について 古典文法の「敬語」の中の「謙譲語」は、話し手が(登場人物の)動作の受け手に敬意を払って、動作の受け手の行動に対して使うもの、という説明が一般的ですが、「謙譲語」というのは、話し手が自分の行動に対して(へりくだる意味で)使うものではないのですか。少なくとも、現代語ではそうなっている気がするのですが。文語と口語では、謙譲語のニュアンスや使われ方が違うのか、それとも、私の解釈がおかしいのでしょうか。教えて下さい。 注目のQ&A 「You」や「I」が入った曲といえば? 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