無いとは言い切れませんね。
得てして、そうした歴史史料というのは偶然見つかることが多いですしね。
例えば、死海写本も地元の羊飼いの青年がたまたま見つけたのが始まりですしね。
聖書に限らなければ、こうした例は枚挙にいとまがないです。
EX:「秦の始皇帝霊廟、地元の農民発見」「古代エジプトのアマルナ文書が現地の農民によって発見」「印刷業者の男が、新たに購入した家の地下室からトスカーナ大公妃ビアンカ・カペッロの手記発見(ただし、後の分析で偽モノと判明)」etc,,,
こうした例からも分るとおり、発見される可能性は捨てきれません。
ただ、世界中の聖書研究者やキリスト教史研究者が血眼になって探してもなかなか見つかりません。
見つかっても、偽書であることが殆どです。
なんで、見つかる可能性は否定できませんが、いつになるかは分らないのが本当のところですね。
それよりも、今ある貴重な史料を分析する方が研究の近道ではあります。
しかし、dongri5656さんが指摘されている通り「実際は学者や仲介業者連中のどろどろした金銭問題」を解決する必要がありますね。
特に、素人の好事家の場合、保存方法が悪く痛みが激しい事が多々あります。
歴史学の世界の一番の課題でしょうね。
お礼
どうもです。 私の知る限りでは、「ユダの福音書」や「トマス福音書」などが みつかったのは近年とはいえないと思います。「ユダの福音書」は ここ数年のあいだに注目されましたが実際は学者や仲介業者連中の どろどろした金銭問題で、後半の運命だけでもたしか20年くらい 貸金庫に眠っていたはずです。かなり痛んでしまったらしく現翻訳 もがっかりするようなところがあります。 「トマス」に至っては第二次大戦前くらいですよね。しかしこれも 長く秘匿されつづけました。 今もどこかで、決定的な文書を隠し持っている人間がいるのかもしれ ません。