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日本軍による命令の証拠

沖縄での集団自決が日本軍の命令によるものだったことを証明する証拠(文書)はないのでしょうか。

みんなの回答

  • migimonza
  • ベストアンサー率26% (44/166)
回答No.8

【沖縄での集団自決が日本軍の命令によるものだった】 に限らず、【従軍慰安婦は強制連行された】、【南京で30万人を虐殺した】 などもそうですが、日本の敗戦直後に、日本軍の武装解除を 行った連合国は、全ての情報を入手でき、日本側に釈明や抗弁 の機会もろくに与えず、報復やリンチを裁判の名の下に行っていました。 【沖縄での集団自決が日本軍の命令によるものだった】なら、 当時すべて連合国側の悪行を正当化する材料として利用されていたでしょう。 当時の事情を知っている人が少なくなってから、日本の進歩的文化人 たちが、【日本軍は悪者であるべきだ】との信仰に似た思い込みで、 なかったことを、恰も有った事のように主張しだしたのです。 主張しだした理由は、進歩的文化人の主張である共産主義や社会主義 は良いことだとの主張が東西冷戦の終結により理論の破綻が明々白日 となり、行き場を失ってしまったことにあります。 別のことで自分たちの存在をアピールしたいのでしょうが困ったものです。 大東亜戦争の事情を知るキーワードは人種差別とヨーロッパ人による アジアの植民地経営の実態であります。 日本人が何故、一億玉砕を叫び、台湾の高砂族が日本兵以上の働き をし、その遺族が靖国へ参拝のため、来日するのか、 また、朝鮮人に多くの日本軍への志願者と特攻隊員がいたのか。 これらのことは、人種差別とヨーロッパ人によるアジアの植民地経営 の実態をしれば理解ができることでありましょう。 沖縄の人達が集団自決した精神状態を私はこの文脈で理解できるのです。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.7

「一方で、生き残って米軍に捕らえられれば、男は拷問の上悶死するか、よくて奴隷となり、女は片っ端から強姦されると聞かされれば、 「生き残らない」という選択をすることも不思議ではありません。 軍命令以上に、それまでの新聞やラジオから得られる誤った情報、それによって作られる過った認識と世論、誤った教育がそういった結果を招いたのでしょう」 ソ連軍が侵攻した満洲国、北朝鮮、南樺太では、ほぼそのような結果となりました。ソ連軍の面白半分の攻撃に曝された日本人の集団自決が多く発生し、ソ連軍に輪姦された上に全てを奪われた日本人(多くが女性)が、裸の上に穀物を入れる麻袋を被って、もしくは全裸で歩いている姿が都市の住民によって目撃されています。 米軍も、太平洋のそれまでの戦いでは「日本兵は一切捕虜にしない」といった過酷なことをやっていました。日本人捕虜を砂浜に放り出し、機関銃の的にして遊ぶ米軍部隊もあったと言われます。船が沈んで漂流している日本人(軍人、民間人)を米軍機が機銃掃射することは普通でしたし、「日本上空を飛び回る米軍機が、日本人と見れば子供でも情け容赦なく機銃掃射で射殺する」ことは常識でした。 沖縄の米軍は、「結果として」寛大な勝者でしたが「全ては勝者の勝手」であり、米軍が寛大な勝者である保証などどこにもなかったことを考慮するべきです。

回答No.6

そもそも第32軍には住民に対する統制権を持っていません。正確に言いますと 第32軍は隷下の部隊に対する命令権はあるが、沖縄に駐留した海軍、防衛召集で集められた兵隊、沖縄県民に対する命令権がありませんでした。 海軍陸戦隊…太田実提督に指揮命令権があり、陸軍の命令下にありません 防衛召集兵(鉄血勤皇隊や姫百合部隊など)…西部軍の直轄にあり、直接命令権は自治体首領や警察、警防団でした 沖縄県民…内務省の管轄にあり、避難誘導その他は沖縄県知事と県庁職員、警察に権限がありました  沖縄は戦場になったにも関わらず内務省の反対で戒厳令が施行されなかったために軍部は一切の住民統制が出来なかったのです。第32軍に住民統制権が与えられたら状況はもっと変っていたかと思いますが、それはIFでしかありません。

  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)
回答No.5

 なんか、思い込みだけで思う思わないの話をしている人がいますが、こういう人には関わらないのが吉というものでしょうね。  端的に言えば、そんな文書はありません。  ついでに言えば、そんな命令もありません。

  • 10ken16
  • ベストアンサー率27% (475/1721)
回答No.4

現時点では、信憑性のある資料はありません。 ただ、当時為されていた教育(ステレオタイプな見方ですが)は、 「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」だったでしょう。 一方で、生き残って米軍に捕らえられれば、 男は拷問の上悶死するか、よくて奴隷となり、 女は片っ端から強姦されると聞かされれば、 「生き残らない」という選択をすることも不思議ではありません。 軍命令以上に、それまでの新聞やラジオから得られる誤った情報、 それによって作られる過った認識と世論、誤った教育が そういった結果を招いたのでしょう。 結局は、政策として、情報を正しく伝えなかったことが、 彼等から自決以外の選択肢を奪ったように思えます。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.3

そういったものを文章で出すほど日本軍の情報伝達・文書伝達能力があったとは思えません。 もしもそんな文章を大本営などが出しても、負けて包囲状況にある日本軍に文章を伝達する能力はありません。 さらに現地の詳細な状況を知る事すら不可能だったでしょう。 さらに何をもって日本軍と言うかも問題です。 大本営なのか、陸軍参謀本部なのか、沖縄軍司令部なのか、地区の司令部なのか、またはそこにいた軍人がしたことを含むのか。 その地区にいた軍人が、勝手に命令したとしても、軍の意向として住民に伝えた場合、住民は軍人個人が勝手に出した命令とはとらえずに、郡の命令と認識した事でしょう。 たとえ軍人が個人的に出した命令だとしても、住民にはそれを拒否する事はできませんでした。 戦前の日本では、捕虜になる事は恥辱として教育し、そのような場合は死ぬ事を求める教育をしてきました。 一般住民よりも兵士がえらいと教育し、兵士は住民を守るのではなく国体を守る者とされ、国体護持のためには、住民の犠牲はしかたないと考えてきました。 そういった状況を軍が作り上げた事が問題であり、この問題の根幹です。 文章が無い事で軍に責任が無かったという事にはなりません。

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質問者

お礼

大城将保さんや大江健三郎さんですら暴き出せず、 あれだけ残虐非道な行いをしておりながら証拠を残さないことが日本軍の最も恐ろしい所行の一つである、と仰った人もおられました。 隠されている文書と残されている文書を丹念に検証し積み重ねていけば確たる証拠はあるはずで、それを隠蔽しているのが今の日本の現状だと認識いたしております。 その隠蔽の共犯、もしくは主犯は今回の質問で「日本軍の関与など無かった」と回答して来たような洗脳された大衆なのだろうな、と改めて感じました。

  • rin00077
  • ベストアンサー率21% (117/534)
回答No.2

こんにちは。 確か去年の沖縄の運動が原因で政府が動き、高校の社会の教科書の記述は『日本軍が関与』というふうになったと思います。 『関与』というのは、強制や命令というのではなく、いろいろな意味で、とらえかたが違いますので、『あった』とする側と『なかった』とする側の中間を取り、少しはぶらかした表現になっていると思います。 そういうことで、『命令があった』とされる文章での信憑性の高い証拠は、現在はまだ確認されていないと思います。

  • kantansi
  • ベストアンサー率26% (658/2438)
回答No.1

集団自決が日本軍の命令だったと主張するあの大江健三郎でさえ、実際にそのような命令が文書等で発せられたのではなく、流れの中で住民達が集団自決に追い込まれたと、以下のように述べています。 「すでにのべてきましたが、私は日本軍―第三二軍―渡嘉敷島の守備軍―そして、皇民教育を受けてきた島民というタテの構造のなかで、島民たちが日々、島での戦闘が最終的な局面にいたれば、集団自決の他に道はない、という認識に追い詰められてきたと考えています。米軍の上陸と攻撃が島民たちの現実の問題として迫った時、このすでに島民たちにとって共通の、自分らのとるべき態度はほかにないとされていたことが、実行されたのです。それは日々、島民たちに向けて徹底されてきた、タテの構造におけるその命令が、現実のものとなった、ということです。すでに私の認識は示しましたが、日本国―日本陸軍―第三二軍―慶良間列島の守備隊という「タテの構造」の、「最後の時」における集団自決の実行は、すでに装置された時限爆弾としての「命令」でありました。それを無効にするという新しい命令をしなかった。そしてそのまま、島民たちを「最後の時」に向かわせた、というのこそ渡嘉敷島の旧守備隊長の決断であり、集団自決という行為を現実のものとしたのです。」

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