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橿原の宮はどのような建物だったのでしょう
神武天皇が 苦労して大和にお入りになって ようやく建物をお作りになりました 伊勢神宮のような建物だったのでしょうか
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伊勢神宮は垂仁天皇(三輪王朝時代)の代に大和から伊勢の地に勧進された もので、しかも当時の場所(斎宮)と現在我々が見知っている伊勢神宮は 別物です。 神武天皇が実在したかどうかは別にして10代下った崇神天皇が営まれたという 伝承の瑞籬宮を現在推定されている地点だとすると現地(奈良県桜井市金屋)に 行ってご覧になると分かりますが、すごく狭い敷地です。村の神社ぐらいの 敷地です。地形的にこれより広かっただろうということはありえないので、 この時代ではこのサイズだったのでしょう。 神武天皇はさらに昔の時代の話だったことになっていますから、現在の 伊勢神宮のような立派な木造建築物であったとは到底思えません。
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- blazin
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回答No.1
唐の長安を模した大規模な都城だったようですね☆ http://www2.begin.or.jp/sakura/kasihara.htm
質問者
お礼
blazinさん ありがとうございます 中国は極東の大国 競って中国の真似をしたのでしょうね
お礼
Kiriyama-taichoさま ありがとうございます 気宇雄大な建物だったのでしょうね それまでの戦いの様子から 志は大きいが 建物はあまり大きくなかったのですね 神武天皇は宮殿を作れた事に大きな喜びを感じていらしたでしょうね