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観光神社て何かわかりますか
今年の3月に広島県宮島の厳島神社に行ってきました。そこで 疑問に思ったのが、鳥居から入ってきて、本殿の間の左側にお水取りが無い、本殿に祭壇が無い、お榊が無い、穀物や野菜・果物等のお供えが無い、神鏡も無い等を神主に質問してみたら、お札を売っている売店の男性が「ここは、観光神社だからそんなの神社のかってです。」「人の流れを考えた観光神社です。」だってさ~~。明治神宮と同じーーーー?そう言えば、明治神宮も最初の鳥居から本殿まで一直線でないですね。「通常関東の神社は、本殿から鳥居まで東南に向いてる」て聞きました。ここも人の流れを気にした神社です。明治神宮は明治天皇を神様として祀っている。だけど明治天皇は、伊勢神宮を参拝していた。伊勢神宮は皇室の氏神である天照大御神を祀っている。だから同じ「天照大御神を祀っている。」と思っていたが、明治天皇ですよ。そんな観光神社の明治神宮を信じますか。 「神様は何処から来ますか」と諏訪神社の神主に尋ねた事が有ります。「東南の方向から鳥居の右側を通って本殿にお入りになる。」だから「お参りの時は、鳥居の左側を通り、お水取りで手を洗い、口をゆすいで下さい」と言われました。観光神社との違い解りますか。
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- jack-a3
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No2です。補足ついてたのでまた出てきました。 余談で書いたとは言え、記載内容が充分じゃなかったようなので混乱させてしまったようなので補足の補足です。 市杵島姫命は管絃祭で神社から出入りしますが、出入りが自由なワケではありません。むしろ逆。 管絃祭の内容を説明しているwebサイトなどを見ていただければ分かりますが、市杵島姫命は御座船に乗せられて神社を出て対岸の神社に連れて行かれ、また戻ってきます。 つまり、宮島そして厳島神社に閉じ込められてる市杵島姫命は年に一回しか外に出られないこと、さらには迎えの者に連れ出されないと出入りできないことを示してます。 市杵島姫命という女神は普段は厳島神社に幽閉され、必要な時に対岸に連れてこられて慰み者になり、また戻される存在である、ということを暗示してます。そりゃ怨霊にもなろうってもんです。 また宮島に戻る時、厳島神社に戻る際に「三回回ってワンと言え」をさせられます。これは「朝廷に逆らうな」という意味です。 あと、管絃祭でご神体が宮島に戻る際に海上の大鳥居をくぐりますが、御座船を先導している船が三艘あること、御座船が大きいことから御座船は鳥居の真ん中を通ってます。そして本殿の左側にある枡形から本殿に戻ります。 ご参考まで。
- nagata2017
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検索ウインドに「観光神社」と入れて 検索すると 観光神社という言葉に対応する結果はなにも出てきません。
- nagata2017
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- jack-a3
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いまいち質問の趣旨が読み取れないのですが、観光神社とは何かをお聞きになりたいということでいいでしょうか? その神社の由来や成り立ちと、いま現在その神社が観光神社かどうかって無関係じゃないですか?もちろん最初から観光地として売り出すつもりで作った神社もあるでしょうけど、ほとんどの観光神社って、元々は由緒ある神社だけど現代になって観光資源としての側面も担っているだけでしょう。 観光地としての側面に主眼が置かれすぎて、祭事や儀礼などがおろそかになってるとしたらそれはそれで憂慮しないとならないのかも知れませんが、だからといってその神社に価値がないかと言えばそんなことはないと思います。 そして厳島神社は管絃祭に代表されるように十分に伝統的な祭事を残してます。 (「三回回ってワンと言え」はこの管絃祭が発祥という説がある) 以下は余談です。 厳島神社の正式な参道は海の中に立ってる大鳥居です。管絃祭でも御神体を乗せた船が大鳥居を通ります。 我々参拝客は、大鳥居と拝殿を結ぶ線に対して左側から入って参拝し、右側から出る順路になってます。これはこれで導線としては正しいのではないでしょうか? ちなみに祭られている主祭神は市杵島姫命。この女神は怨霊であり、厳島神社は怨霊封じの社です。主祭神は神社に封じ込められてるので出入りもクソもない。そもそも出られない構造です。 明治神宮は、作られたのが近世なので建設に関わった人がどこまで分かってたのか若干怪しいですが、鳥居から本殿までの間に曲がり角がある構造になっており、これまた立派な怨霊封じの作りです。つまり主祭神の明治天皇は怨霊であると考えられてたってことになります。昭憲皇太后が皇后ではなく皇太后になってることも不思議。
補足
観光神社て言ったのは、神主の発言を遮った売店の男性です。 厳島神社は怨霊封じの社です。主祭神は神社に封じ込められてるので出入りもクソもない。と説明しているのに、「管絃祭でも御神体を乗せた船が大鳥居を通ります。」は出入り自由だったのですか。 私が思うには、「管絃祭に大鳥居の右側から御神体が本殿にお入りになる」ではないですか。 明治神宮は近いうちに、神主に怨霊封じの作りか確認してきます。
- eroero4649
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厳島神社は伝わるところによると推古天皇元年に建立されたとされるくらいに古い歴史を持つ神社です。 平安時代に「延喜式」という記録が残され、ここに当時の神社の名前と格式が記録されています。日本に残る最古の国家による公式神社記録です。 ここに厳島神社は「伊都伎嶋神社」という名前で記録されています。 >鳥居から入ってきて、本殿の間の左側にお水取りが無い、本殿に祭壇が無い、お榊が無い、穀物や野菜・果物等のお供えが無い、神鏡も無い等 「それが揃ったら正しい神社で、それが揃ってないと正しくない」なんて決まりはありません。 そもそも日本神道においてはこれといった「決まり」は特にないのです。元来が各地にあった信仰の習合に過ぎません。 明治時代になって今の神社庁に繋がる組織が作られましたが、それまでは神社というところはそれぞれに、てんでばらばらに勝手にやってたのです。例えば神田明神の主神は本来は平将門ですが、明治時代に明治天皇が参拝するにあたって逆賊になったやつを祀ってる神社をお参りするわけにはいかないからと強引に天照大神を祀ることになりました。そのくらい「テキトーでいい」のが神道というものです。 日本で一番多い神社が稲荷神社ですが、その「お稲荷さん」というのがどんな神様なのか、実は全然正体不明なのです。一番祀られてる神様からして何者なのかが不明なのですから。 >「神様は何処から来ますか」と諏訪神社の神主に尋ねた事が有ります。 諏訪大社は日本でも最も古い神社のひとつであろうといわれていますが、少なくとも今の天皇家とは全く所縁がない「外つ神」です。だから「大社」なのです。どちらかというとおそらくはヤマト政権とは対立したであろう勢力の神様たちが「大社」です。 諏訪地方は黒曜石の一大産地であり、縄文時代から一帯に多くの遺跡が残っていますから、おそらく縄文時代から何らかの信仰と今の諏訪大社に繋がる聖地が存在したであろうと思われます。 諏訪大社を訪れたことがあるなら分かると思いますが、都会的で精練された上社と、鬱蒼とした森林の中にジブリ的に建つ下社では大きく雰囲気が違います。しかも上社も下社も活断層の上に建ってるんですよね。 だから厳島神社のしきたりが諏訪大社のしきたりと全然違っていても、それはむしろ当然のことなのです。祀っているのは違う神様なのですから。 質問者さんは厳島神社を観光神社とおっしゃいますが、そういう考え方そのものが神道に対する根本的誤解であり、神道を理解しようと思ったらもっと大きな歴史のスケールで考えないといけないのです。 あと神道の神様は、原則として「何かの願い事を叶えてくれる存在」ではありません。「そこに在るもの」です。自然現象そのものが信仰の対象ですね。日本古来の神様には「和魂」と「荒魂」という二つの顔があり、台風や地震などの人知を超えた災いをもたらす姿が「荒魂」でそれ以外の穏やかな姿が「和魂」で、私たちは神様が荒魂になることなく、和魂で過ごしていただくことを願って祈っているのです。 もしくは太宰府天満宮のように、強い怨みを残して亡くなって災いをもたらす存在となった怨霊を鎮めるために存在します。神田明神も平将門の怨霊を鎮めるための神社です。
補足
(本殿に祭壇が無い、お榊が無い、穀物や野菜・果物等のお供えが無い、神鏡も無い等) 「それが揃ったら正しい神社で、それが揃ってないと正しくない」 神棚の祀り方知ってますか。1日と15日にお榊の新しい物、お塩、お米、お水をお供えする。毎日お水とお塩を取り換えてお供えする。これは最低限のお参りでしょう。 諏訪大社をあげましたが、氷川神社・浅間神社等でも穀物の置き場所が違っていても、必ずお参りの仕方は共通してますね。今度神社に参拝される時は、気にして見て下さい。解らない事は神主に聞いてください。
補足
若い神主に質問したら遮るように横から、お札を売っている売店の男性が答えました。「本殿に祭壇が無い、お榊が無い、穀物や野菜・果物等のお供えが無い」この回答も同じ人が「神社によって祀り方が違う」ですよ。挙句の果てが「この神社は観光神社です」、横で神主は何も言えなかったですね。