- ベストアンサー
院長先生
「院長先生」というのは、「社長殿」と同じように敬称を重ねた変な日本語ではないでしょうか? 「院長」だけではダメなんでしょうか? 「偉大なる将軍様」と同じような感覚でしょうか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>自社の社長に対して「社長様」という言い方をしたら多くの人は失笑すると思います。 そのとおりですね。外部の人に対して言う場合には自分の上長に「様」「先生」などの敬称はつけません。 >病院や学校では内部の人間が平気で「院長先生」「校長先生」と言っている 身内(同じ病院の医師同士、同じ学校の先生同士)で言っている分には問題ないと思いますが、外部の人に対してもそう言っているのはヘンですね。
その他の回答 (4)
敬称を重ねて使う(二重敬語)のは一般化していますね。肩書きが敬称かどうかは意見の分かれる所でしょうが、社会通念上は敬称扱いだと思います。雑多な人の集まりで名簿を作成するときなど、肩書きを省略して書くことが在りますが、これを「敬称略」と表現します。 敬称は国語辞典の意味とは別に、ある社会(分野)でその言葉が敬称として認められているかどうかという問題もあります。あまりに使いすぎて敬称の感じが薄れてくると二重敬語が発生するのではないでしょうか。 もっともポピュラーな「先生」は国会議員、医師、学校関係者(幼稚園、小、中、大学など)、一般人の特定の功績者(多くの場合年配者)に対して使用されますが、もともとの意味は先に生まれた人を尊敬するための呼称です。20~22才の若い人でも幼稚園や学校で教えれば「先生」と呼ばれます。一般社会では60才以下で先生と呼ばれる人は少ないし、企業の場合は20~22才は役に立たない見習い生に過ぎません。先生はあまりに応用範囲が広すぎる言葉です。 院長先生は職場での話しことばから一般人(患者など)にも広まった呼び方(使われ方)ではないでしょうか。病院には先生がたくさんいるので先生だけでは十分敬意が表されないことと職制上の肩書きが合体した呼び方だと思います。 同じように会社では社員は部長、課長と呼びますが、文章では部長殿、課長殿(または様)をつけるのが普通です。他社の部課長なら部長さん、課長さんと呼ぶのが普通です。 文書での正しい書き方は ○○株式会社 営業部 部長 大阪太郎様 ですが実際には大阪太郎部長、大阪部長殿、大阪部長様などが使われ受け入れられています。実社会においては国語的に何が正しいかではなく、なにが多くの人によって受け入れられているかが重要です。言葉は変化するものですから。
お礼
ありがとうございました。 >病院には先生がたくさんいるので先生だけでは十分敬意が表されないことと職制上の肩書きが合体した呼び方 >だと思います。 病院側の者が外部の者に対して言う時は、「院長」だけで十分だと思うのですが。 >同じように会社では社員は部長、課長と呼びますが、文章では部長殿、課長殿(または様)をつけるのが普通です。>他社の部課長なら部長さん、課長さんと呼ぶのが普通です。 いかなるケースでも、外部の人間に対して自社の者を「部長殿」「部長さん」と呼ぶことはあり得ないと思うのですが。 それが、病院では外部の者に対する「院長先生」という言い方がまかり通っていると思われます。そこが私が不思議に思うところです。 >実社会においては国語的に何が正しいかではなく、なにが多くの人によって受け入れられているかが重要です。 そうかもしれないですね。 ただ、通常の常識からは逸脱している言い方が存在している背景のようなものを考えてみると、そこに、何かしらの歪んだ構造が垣間見えることもあるような気がしています。 受け入れられているから何も疑問を抱かないということもそれはそれで否定はしませんが、疑問を抱くことが、歪んだ構造にメスを入れることにつながり、激増する様々な医療問題を是正する糸口になることもあるのではと思えるところです。
- ponti
- ベストアンサー率38% (14/36)
私も#1の方と同意見ですが,偉大なるというのは少し違うと思います。 院長とか校長とかの呼称は身近な人達が良く使っていると思います。 しかし,あまり近しくなく,あるいは外部の人達が『先生』を付けないと少し刺々しくなるのではないでしょうか? 特に女性が院長先生とか,校長先生と言うと穏やかな言葉になると思います。 社長には『様』はおかしいですね『さん』が良いと思います。 ただし,自社の社長に『社長さん』と言うとキャバクラと間違われます…(笑) 『偉大なる』という言葉をつけている,かの国は,他とは違う神のような存在という概念を国民に押し付けている事と思います。 その証拠に他の将軍には『偉大なる』という呼称は付いてない筈です。 日本語の呼称という観点からでは間違いでしょうが, 多少の敬意と会話の円滑と思えば良いのではないでしょうか?
お礼
ありがとうございました。 >院長とか校長とかの呼称は身近な人達が良く使っていると思います。 >しかし,あまり近しくなく,あるいは外部の人達が『先生』を付けないと少 >し刺々しくなるのではないでしょうか? 病院において、病院側の人間が患者に対して「院長先生」という言い方をすることは珍しいことではないと思うのですが。 私はこういったケースを疑問に思っているのですが、とくに何でもないことと受け止められますか? >日本語の呼称という観点からでは間違いでしょうが, >多少の敬意と会話の円滑と思えば良いのではないでしょうか? 私は必要以上の敬意を感じてしまうのですが。 >『偉大なる』という言葉をつけている,かの国は,他とは違う神のような >存在という概念を国民に押し付けている事と思います。 確かに『偉大なる将軍様』は自由のない国で強制的に押し付けられているものであってある種の滑稽さを感じるくらいですが、『院長先生』(身内が外部の人間に用いるケース)の場合も、その背景にあるものは押し付けの権威主義みたいなもので、根底においては、『偉大なる将軍様』も『院長先生』も通じるものがあるように思えてならないところです。
- MSZ006
- ベストアンサー率38% (390/1011)
私が思うに、院長、校長とか社長というのは職制上の地位を表す言葉であって敬称ではないと思います。ですから院長先生、校長先生や社長様などの言い回しはこれで正しいと思います。
お礼
ありがとうございました。 自社の社長に対して「社長様」という言い方をしたら多くの人は失笑すると思います。 なのに、病院や学校では内部の人間が平気で「院長先生」「校長先生」と言っていると思います。これは明らかに変だと思うのですが。
そうかもしれないですね。 それを言えば「教頭先生」や「校長先生」も同じになりますねぇ・・・。 もとは間違っているのかもしれませんが、慣用化されたのかもしれませんね。
お礼
ありがとうございました。 やはり、「偉大なる院長先生。偉大なる校長先生」という感じなんでしょうかね。
お礼
ありがとうございます。 >身内(同じ病院の医師同士、同じ学校の先生同士)で言っている分には問題ないと思いますが、 >外部の人に対してもそう言っているのはヘンですね。 そのヘンなことに多くの人が何も疑問を感じないことが、私は不思議で不思議でなりません。 マインドコントロールされているとしか思えません。「医は聖域、何人も口出ししてはならぬ。疑問を持ってはならぬ」という図式を刷り込まれている様は、「偉大なる将軍様に全てを捧げなければならぬ」という図式と、寸分たがわず同じであると思えてなりません。