抑圧された自分というものがあるならば
長くなるかもしれませんが、よろしくおねがいします。
大学生、男です。
いきなりですが、率直に言って私は私が嫌いです。
人前に自分のような性格をひけらかすのは恥ずかしいことだと考えてしまうので、
一生懸命隠そうとするわけですが、実際に完璧に隠して別の人を演じるのは難しいことです。
悪い意味でひょうひょうとしていて、何かを喋りかけてものれんに腕押し、
話していて面白くないといった印象の人間になってしまっているようです。
また、隠しきれていない部分が幼さとして見えているような部分もある気がしています。
さて、本題ですが、こういった話には「本当の自分」という言葉がよく出てくるように思います。
抑圧している自分も含めて本当の自分である、というのは全くその通りだと思うのですが、
実際に生活に支障が出る場合、どのように対処していくのが良いのでしょうか。
抑圧を解放するべきなのか、それとも抑えつけて新しい性格を上書き出来るように努力するべきなのでしょうか。
社会経験を積め、と言われればそれまでですが、努力の方向性が間違っているのか、悪化していくようにしか思えません。
正直、焦っています。若いからだと言われることもあり、いい年してくだらないことを考えるなと言われることもあります。とにかく、手遅れにはしたくないのです。
辛いのは受け止めるつもりですが、せめて正しい方向に進んでいきたいのです。
第二に、少し話は少し逸れますが、特に自分の幼さに対して劣等感を持っています。
趣味や社会経験の面でもそうですが、特にここで述べたようなことを考えているのが「幼い」と感じるのです。
余談になりますが、中高時代は進学校だったせいか、周りは優秀な生徒ばかりでした。
「本当の自分」「自分とは」といったことを考える人は幼い、自己啓発本は馬鹿が読むものだ、そういう風潮がありました。
私も一応はそういった風潮に合わせていましたが、家では自分のことについて悩み、
自己啓発本も買って(実際あまり役には立ちませんでしたが^^;)そういった問題に人知れず取り組んでいました。
しかし、「周りは優秀」と書いたように「優秀な人はこんなくだらないことは考えないのだ」という観念に捉われてしまっているのも事実です。(ましてや当時の彼らは中学生です)
こういった発想が次に「自分は幼い」という考えに繋がって、考え事が堂々巡りしているような気分に陥ります。
生きるのに必死な人から見れば、悠長でくだらないことに見えるかもしれません。
しかし、私は折角「幼さ」に劣等感を感じていると判明したならば、少しでも進展させたいと思うのです。
実際に、中高時代の優秀な生徒たちはこういった内面の悩みを持っていたのでしょうか?
大学生が、はたまた30、40の人がこういった悩みを持つのはおかしいことなのでしょうか?
ご意見を頂けたらと思います。
以上二つです。
少々攻撃的、支離滅裂な部分もあったかもしれませんが、お許しください。
よろしくお願いします。
お礼
おっしゃるとおりです。 ご回答ありがとうございます。