洋の東西でそれぞれ成立過程は違いますので、それぞれについて比較して調べるというのも面白そうですね。
ちょっとした小ネタですが、洋本は本棚に立てて保管し、和本は横に積み立てて保管するという違いもあります。
とはいえ、西洋中心との事ですのでその前提で浅薄な知識から回答を試みてみます。
まず、なんらかの意味を持った「記号」を記録する媒体としては、
石版、粘土板、パピルス、羊皮紙など
が主に西洋で使われていました。
なかでも「パピルス」と「羊皮紙」は重要な位置を占めます。
「パピルス」は巻物として使われていました。
「羊皮紙」は、無造作に束ねられていたり、ヒモを通して束ねたりしていたようです。
余談ですが、ローマの名将であるユリウス・カエサル(シーザー)がパピルスの巻物を交互に折り曲げて「見開きの束」にする事(つまり、今のほんの形)を思いついたという伝説が残っています。
とは言え、直接の起源は「羊皮紙をヒモで束ねたモノ」という説の方が信憑性がありそうですが。
羊皮紙というのは、主に中世に使われた「記録媒体」です。
羊皮紙は、パピルスのように巻物にするのには適しておらず、結果として「ヒモで束ねる」形となりました。
しかし、丈夫で両面に文字が書けるので重要な位置を占めるようになりました。
6世紀のベネディクトゥス修道会の修道士達が、25cm×45cmの羊皮紙を半分に折り、そこに聖書の句を写し取っていきました。
そして、4枚ごとに皮ひもで束ね、それを幾つも重ね、皮で覆い今で言う表紙としました。
そして、小口に金具を付けたり、表紙を宝石で飾ったりとして装丁し一冊となりました。
それ以後、主に修道院で聖書や古代の書物の写本が作られていきました。
中には、挿絵を描いたモノもあります。
その後、751年のタラス河畔の戦いで紙が中国からイスラム社会に伝搬し、その後、アラブとの交易を担ったイタリア人によって、ヨーロッパ社会にも伝搬されます。
1276年にはイタリアのファブリーノで初めて製紙工場が造られました。
紙は、羊皮紙に比べ軽く扱いやすかったので少しずつ普及していきました。
しかし、出版業界の発展は、やはりグーテンベルクの活版印刷に始まります。
それまでは、職人によって一冊一冊、手書きで書き写していました。
手書きなので、当然数冊~数十冊も作れれば良い方でした。
もちろん、高価になりますので、人気のある古典なんかは回し読みされていたようです。
この、冊数の限界を一気に広げたことは、本の歴史に大きなインパクトを与えました。
冊数が増えれば価格も下がりますし、庶民でも気軽に読める媒体となったワケです。(とはいえ、識字できる市民層・商人層・貴族層に限りますが)
また、ヴェネチア共和国は当時でも比較的言論の自由があったので、出版業界も一気に発展しました。
とくに、アルド・マヌッツィオという人物が創設した「アルド社」は、小型の今で言う新書本を発明したり、それに合わせてイタリック体という字を開発したりして一気に読者層の開拓に成功しました。
それまでは、活版印刷本でも、中世の羊皮紙本のように大型で華麗な装飾を施し、また字も「ゴシック体」と言われる余計な飾りの付いた字が主流でした。
・・・と、まぁ大まかにはこんな感じになりますね。
参考になりましたら、幸いです。
※参考リンクは、本の各部分の名称と綴じ方が分かり易く纏めてあるサイトです。
お礼
そうですね。調べていて東西で異なることを比較するのは、とても面白いです。 羊皮紙を冊子状に変化させたのがカエサルという説もあるというのは初めて知りました。 紙が西洋に渡った理由については焦点がずれてしまいそうなので詳しくは書かないつもりですが、 中国から直接伝来したのではなく、イスラム経由で紙は西洋に伝わったんですね。 参考にさせていただきますね。 参考リンク&ご回答ありがとうございました。