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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:天璋院 篤姫の最期の所持金について・・・)
天璋院篤姫の最期の所持金はなぜたった3円だったのか?
このQ&Aのポイント
- 天璋院篤姫は徳川家や家達からの援助で生活していましたが、最期の所持金はなぜたった3円だったのか疑問です。
- 家達は立派な人物であり、留学や公職など多くの活動を行っていました。しかし、天璋院篤姫が最期の所持金に困っていた理由は何でしょうか?
- 天璋院篤姫の最期の所持金がたった3円だった理由について疑問が浮かびます。徳川家や家達からの援助はあったのか、それとも援助したお金はすぐに使い果たされていたのか気になります。
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もちろんですが、篤姫本人がお金を稼げるわけではありませんから 当然徳川家の賄いで過ごしていたと考えられます。 徳川幕府瓦解の際に、島津家から年間3万両の仕送りが申し込まれましたが 「わたしは徳川家の人間ですから、徳川家の賄いで十分ですよ」 と断ったという話もありますね。 実は当時の徳川家の財政は火の車でした。400万石の資産が70万石にまで減らされ、多くの旧幕臣を抱えて養っていかなければいけなかったのです。 篤姫は自分の元側近たちの再就職には非常に熱心に心を砕いたといわれています。 そのために必要なお金を捻出するのも大変だったことでしょう。 豪華な調度品や衣装なども以前仕えてくれた女中たちにあげてしまったり、処分して生活の糧にしなければいけなかったようです。 それまで湯水のようにお金を使える身分だった篤姫にとっては非常な苦痛だったことが伺えます。 あと、ここらへんはわたしの推測ですが、いくら倹約節約したとはいっても元御台所という人になれば、どうしてもお金を出さざるを得ない場面もあったと思います。 身分の高い人たちとの交際費も必要でしょうし、衣装にしてもいつもボロを着ているわけにはいかないでしょう。 色々あって、お金を残せるような状況ではなかったでしょうね。 ちなみに亡くなった時の所持金に関しては勝海舟が著書の中で述べていたような気がします。
お礼
ありがとうございます。 大変参考になりました。