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ぬりえは本当に創造性を失わせるのか。
ぬりえは、子どもの創造性を失わせるとして批判されているが、本当にそうと言い切れるのだろうか。ぬりえのなかにも、その子どもなりの意味を見い出している例もあるのではないか。具体的な例を挙げて説明して頂けたら嬉しいのですが。
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私はぬりえ好きでしたね。 主に姉の漫画の本に色塗ってましたけど(笑) 専門ではないのですが、確か、子供の創造性を失わせる 主な原因は、最も近くにいる大人の無責任な発言だったと思いますよ。 (例えば、肌の色はこうだ!とかいう常識の押しつけや、 批判ですね。下手だとか云々) あと、自分の経験からですが、一枚のぬり絵でも、子供によって かなりのストーリーがあるようですよ。(個人差はありますが) 服の色がなぜ緑色なのかとか、髪の毛の色がどうしてこうなのだとか、 漫画やアニメのキャラクター物でも、物語のストーリーを 逸脱しない程度のお話が個人によってできあがるようです。 (時に逸脱しすぎる子供もいますが) 参考ですがいかがでしょうか?
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- drago
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あらゆる教育方法は必ずメリットとデメリットを持っています。この場合もその理屈が当てはまります。メリットは色を併置したときの美しいハーモニーを学ぶことができます。もととなる絵の動きやプロボーションについて知らないうちに学習できます。質感を表現する努力だって可能です。 デメリットは知らないうちに輪郭を描いてその内側を色で満たすという方法を強烈に学び過ぎてしまうということです。元となる絵が安直な場合,人物の表し方など,ぬりえのスタイルを真似してしまうことがあるかもしれません。 すべて教育的な営みにはメリットとデメリットが手を携えているのだということさえ知っておくことこそ大切だと思うのです。では,どうするか・・・。 あらゆることをしてみる・・・これしか無いと思うのです。 回答者の立場は,結果的にはぬりえ容認です。
お礼
そうですね。一面的に見ないということが大切だということに気づかされました。具体的にメリットとデメリットを挙げて下さっていてとてもわかりやすかったです。たいへん参考になりました。ありがとうございました。
- iktzy
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オブジェクトの輪郭やセルが設定されていることで、ぬり絵からは「描く」という側面が省かれているところがあります。たぶん、そういうところを直観的な根拠として、そういうことが言われたりするのではないでしょうか。もしそうだとすると、ぬり絵はもっぱら配色の作業とクレヨンを紙に塗りつける作業に限られます。つまり、ある部分を固定的に設定することで、他の部分に創作性が集中するということだと思います。例えば、ピアノの鍵盤でも、楽器として音階を固定的に設定することで、固定部分を共通とした様々なパターンが現れます。だから、ピアノを創造的に弾く創造性と、ピアノのような楽器の固定性を廃した新しい楽器を創造する創造性とは異なることになります。そういうふうに考えると、ぬり絵が創造性のすべてを失わせるのではなく、ぬり絵によってでは育まれない創造性の部分もある、というふうに考えるのが妥当ではないでしょうか。逆に、ぬり絵によってこそ、最も養われる創造性もある、ということも考えられると思います。
お礼
制限があるがゆえに生みだされる創造というのもありますよね。 ぬりえによっては育まれない創造性の部分もある、という文脈でのぬり絵批判なら納得できます。 一般の方とは思えない切り込みの深さで驚きました。 ありがとうございました。
こんにちは。 そんな事はないと思いますよ。 私は小さい頃、しょっちゅうぬりえしてましたし、ぬり方も色々自分なりに研究して(たとえば、顔には肌色、とすると子ども心なりに綺麗じゃないと思って、先にちょっと緑を薄く塗っておく、とか色々)、今それが役に立ってます(私はデザイナ)。 また、以前、お絵書き教室で指導していた時も、ぬりえはぬりえだけど、その中でいろんな色を、決められた場所に塗る、というよりはみだしてみるおもしろさとか、教えた事があります。 そうすると、子どもは子どもなりに、はみだしたくない、って意見を持つ子とか、はみだして、じゃぁ、どうするか、って楽しむ子とか、色々出てきて、はみだしたくない子はどちらかというと、デザインに興味示し、はみだしまくるのを楽しむ子は、油絵に興味示す、という面白い傾向があったのを覚えています(※決して一概には言えません。私は小さい頃はみだしまくりでしたが、今はデザインが仕事なので)。 つまりは、どんな事でも、指導の仕方次第で、いかようにもなると思います。 ご参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございました。 ぬり絵にもいろいろな取り組み方があるのだなと、とても面白く拝読しました。子どもがぬり絵に主体的な制作動機を感じている状態、というのがss_sionさんが例に挙げて頂いた例にあるような取り組み方になるのではないかと思いました。 そういう指導にはこどもをよく見ることが大切ですね。とても参考になりました。
批判するほうもするほうで、どうせ「決められたところに決められた色を塗る」のがいけない!…とか言ってるんでしょうか?!そんな単純じゃないと思いますがね。 覚えています。幼稚園のころ。 ぬりえという、一種の絵ですね。完成度の高い絵を作り上げる達成(アチーブメント)は子供のころの僕にとって快感でした! また、あれは作業でもあり、いかに効率よく美しい絵をつくるか、、というのは子供ながらに深く考えました。 ぬりえとお絵かきは そこから学ぶものも全く別ですし、別ものですね。 ちなみに「ぬりえ」ってコトバ好きです。
お礼
はい。ぬりえは与えられた型をただ塗るという作業で完成できてしまうために、子どもは像と自分との関係を描き表すということをやめてしまう。従って創造性が失われてしまう。と指摘されています。 しかし、smiledriveさんが考えているように<ぬりえという、一種の絵だ>というとらえかただってあると思います。 外側から見てどうかよりも、とりくんでいる本人がどうとらえているかが大切なのですよね。外側から見ていると、子どもがどんな意味をそこに見い出しているのかを見落としてしまう。 ご自分の経験から説明して頂いてとても参考になりました。 とてもすてきなとらえかただと思いました。
- fgfg
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5歳と2歳の兄弟の父親です。 5歳の長男は保育園で時々塗り絵をやっていて家に持って帰ってきます。 2歳ぐらいのときは殆ど「これが塗り絵か!!」というような謎の絵でしたが、少しずつ決められたところに、色を塗れるようになってきました。 今ではそれなりに(と言っても他の子より下手っぴーのようですが)塗れるようになりました。 塗り絵をすることにより、色鉛筆やクレヨンを力を加減しながら、決められたところにはみ出さずに塗るという作業ができるようになってきたということだと思っています。要するに成長したということです。 例えば特定のアニメキャラの塗り絵ばっかりやっていて、お絵かきは全くしないような状況だったら創造性を失ってしまうかもしれませんが、そうでない限り心配はいらないと思います。 私の子供の場合の例ですけど。。。。
お礼
なるほど、具体的な例を挙げて下さってありがとうございます。 成長がみられたということは、子どもなりに受け身なのではなく、問題意識を見つけて取り組んでいるということですよね。
- yama_x
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この手の話題はインパクトのあることを言いたがっているだけなので、気にする必要はないでしょう。 母乳・粉ミルクの論議のように、交互に「こっちの方がいい!」って言ってる物もありますしね。 だいたい、いまの大人はみな当たり前のように塗り絵をやっていたと思いますが、創造性の無い人ばかりですか? そんなことはないでしょう。
お礼
ありがとうございます。お返事を頂くことで考えが広がって嬉しいです。 バイテルという学者がぬりえ批判について異論を挙げていて、それはそうした視点から考えられたのかもしれません。
- TK0318
- ベストアンサー率34% (1260/3650)
ネットで調べたら両方の説が出てきましたね^^; 調べたところどうもこの説はアメリカが起源のようです。アメリカでは何かあると親がぬりえをさせているようです。さしづめ日本でいえば子供が一日中TVゲームをやっているようなものですね。このような背景があるので「ぬりえは子どもの創造性を失わせる」という説がでてきているようです。アメリカでは「アンチ・カラーリング・ブック」なるものもあるようですし。 調べた限りでは「ぬりえは子どもの創造性を失わせる」というのは厳密にはないと思われます。アメリカのように一日中ぬりえなら話が変わってきますが。 まあ、なにほどもほどほどなら問題ないということです。
お礼
お返事、ありがとうございました! アメリカの背景を教えて頂けたのはとても参考になりました。 ローウェンフェルドの学説でそうしたくだりがでてきたので疑問を感じたのですが、ローウェンフェルドがこうした結論を導いたのはそういう背景がとても影響しているのでしょうね。
お礼
たいへんわかりやすかったです。 たしかに肌の色やら下手やら言われた経験が私にもあることを思い出しました。<主な原因は最も近くにいる大人の無責任な発言である>というのはうなずけます。 子どもによってストーリーがある、というのはその通りだと思います。決められた型や既成のキャラクターといえども、塗る色はその子どもによって判断(選択)が違っています。それはつまり、ぬりえの線をきっかけにして、それを題材にまた、子どもなりの世界をつくり出している、つまり創造が行われているということが言えると思いました。 ありがとうございました。