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もうやめませんか・・・その1 家族
家族だから、どうのこうのっていうの、もううんざりします。家族だからって押し付けられると非常に不条理だと思うのですが、いかがでしょうか。 例) 生んでくれた親に対してうんぬんかんぬん → 世話になったこともありますが、当然迷惑を被ったことだってあるわけです。プラマイゼロでしょう。親の身勝手は許されて、子供の身勝手に対してはこのセリフ。なんだかねぇ。 親の責任だから、ああしろ、こうしろ → 親がちゃんとしようとしているのに、わけの分からん世論が蔓延している世の中では、子育てもままなりません。その場限りの独善を吐き、都合が悪くなると親の責任として押し付ける。これもどうだか。もっと世の中自体が毅然としてください。 誤解されそうですが、「家族という制度が不要」と思っているわけではなく、そもそも人としてのマナーを重視すべきで、いちいち家族だからってそこに何かを上乗せしてほしくないのですが、皆さんは家族だから、って理屈、どう思われますか。
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難しい問題ですね!今、質問者様が韓国に行ったら、もの凄く窮屈に感じるだろうなぁってTVで、「儒教の国韓国」を見て、思いました。 と言っても、私は日本人で、儒教がいいとは思いませんが・・・・ 確かに、親と言う名前の下、随分非常理なしつけを受けたと言う気持ちはあります。10数年前に、日本に紹介された、ACそのものですから。 ACを、真面目に勉強していく中で(斉藤学氏のクリニックにも行きました)家族機能というものの、大事さを学んだのも事実です。 犠牲にされたという、憤慨や恨みもあるので(笑)ナカナカ、親に素直に感謝できない自分もいますが・・・でも、その親も、親から理不尽なしつけを受けてきているのだと思うと・・・悪い循環?を断ち切らねばならないなぁと言うのは、本音で思います。 次の、親の責任だと押し付ける事は、私自身が、中学や塾にいた経験から、「いい加減な親」が多い!と言うのも事実だと思います。 家族=世の中の最小単位。と言う言葉を実感しました。 やはり、ココを否定しては、社会が成り立たないのでは?と思います。 社会全体で、子供をを見る。と言う考えは賛成ですが、その子が、毎日生活している(よくも悪くも親を見ている)のは、家庭です。 子供を見てると、親が分かる。と、塾では良く言ってましたが、案外これが当たるのです(苦笑) 基本的はしつけだけでも、きちんとして頂ければ、後は、学校や友達などの影響もありますから、一概に、家庭が悪いとは言えないというのは、良く分かりますよ! 家族という、足かせは嫌だと思われているようですが・・・ これは、先に申し上げたとおり、家族というのが、社会の最小単位である。と言う事は、事実であると思うので、ある程度の、家族としての、 役割を果たす事→ 家族内で解決できる事も多い。 と言う認識も、持っていて良いのではないか?と思います。
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- l2ll
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既婚♂です。 個人的に家族だから云々って言う押し付けは、とても嫌いです。 常識、非常識や一般、普通って言うのも自分の立ち位置で替わるので そういう事を持ち合いに出すのも嫌いです。 されていい事・嫌なことを言葉にするのは大切だとは思いますが それを何かにこじつけるんじゃなくて そういう時にこそ自分の言葉を素直に言って欲しいと思ってます。 親だろうと子だろうと自分以外は全て他人なので >そもそも人としてのマナーを重視すべき に同感です。
お礼
少なくとも家族である以上、ある程度の責任などが発生するのは仕方がないとは思います。その責任がゆえに、メリットなどもありますし、一概に否定はしません。が、異様なまでにそれを求められると、本当にそこまで必要なのか、ということがしばしばあります。法律でも都合のいい時だけ、「親権剥奪」なんて言っておいて、本当にそれが必要な人にはできていないこともあるようですしね。ご回答ありがとうございました。
- morimosa
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仰りたいこと、良~く分かります。 「親に感謝しろ」底の知れた思考の浅い人間のお得意の台詞ですが、 感謝なんてしろと言われてできるものではないですよね。 相手に対して一切の見返りを求めずに行った言動の積み重ねがあって始めて感謝という感情になるわけですから。 人間として生まれた以上、誰にでも一個人として幸せになる、幸せのために努力する権利があると考えます。しかしその幸せの足かせとなるのが親や家族である場合が非常に多いのではないでしょうか。 あくまでも自由意志で家族の面倒を見るという行動を取る人が増える=親への感謝の念が自然に芽生える人が増える=無償の愛を注げる(受ける)人間が増えたということです。 そうなれば、ある意味で幸せな社会の象徴とも言えるのではないかと思いますが、それはあくまでも理想であり、実際は親への感謝など強制されてもできない人の方が圧倒的に多いのが事実だと思います。 家、家族という考えに縛られて、どれだけの数の人間が不幸になったことでしょう。
お礼
感謝が不要ということでもないのですが、必要以上に押し付けられるとこれまた本末転倒ですね(ある程度の押し付け≒躾??は必要かとは思います。)「底の知れた思考の浅い人間」とまでは思いません。 はたまた、独り立ちしたからって一切が無関係というところまでは言いませんが、どうでもいいことで足かせになるってことが多いですね。なんとなくなんでもいいから、責められるところはどこでも責めてやろうという意図を感じてしまいます。こちらの方が底の知れた思考の浅い人間と感じます。 ご回答ありがとうございました。
- jamiru
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これは人の組織の病なので国は大差ないと思います。 言う台詞が違うだけで、根本的には変わりません。 家だけでなく、企業でも同じです。 家も企業も人の組織ですからね。 「誰が給料出していると思ってるんだ!」も同レベルですね。 「産んでくれた~」は「雇ってやった~」等に変わります。 ただのモルハラですね。 家制度に問題があるとは思いますが、家制度を扱う者が未熟というのも火に脂を注いでいると思います。 家に子供は帰らなくなったのを責任転換する。 そういう人間が多数なので民主的に彼らの理不尽を受け入れようになったんじゃないかな。
補足
あ、なるほど、モラルハラスメントに通じていますね。ただ、できるかどうかは別として会社なら辞めてやることも手段としては残っていますが、家族は辞めることは今はできません。これがまたしんどいですね。ちゃんとした理由があれば家族解体ができればいいのにって思います。 家に子供が帰らなくなったのを責任転換する、って、これでいちばん私が嫌いなのは本人が悪くないって論調。こんな社会だと家族をきちんとしようと思っても水を差されているみたいで、納得できません。 ご回答ありがとうございました。
まあ、気持ちは良くわかります。 もちろん、個人として、親子だからと言う理屈よりは「もっと個としてを尊重するべきだ」というのは、現代の風潮だなぁ…とは感じますし、理論上は成人以降は親なんて関係ないと思います。 ただ、血は水よりも濃い!というのも「言い得て妙」ではあるなぁ…とも思ったりもしますし(43歳にして、自分が子でありまた親であるという状況において初めて感じざるを終えない状況に自分を貶めた自分が馬鹿だったわけですけどね)、親も子も、お互いに相手を選べないですし…。 テレビをみていると「なんで親ん所にいちいちインタビューに行くの?(たとえば、TB○などが団十○に海老○付き合っている相手が誰?なんていうゴシップが質問だったりなんか…)」なんていう状況もあったりすると…仕可笑しいんじゃないのか?痛切に思うし、犯罪を犯した子どもの親に対してのインタビューも「親に質問しても今更どうにもならないのに、どうしてマイクを向けるのか?」親にしても心痛はいかばかりか?テレビクルーは斟酌(想像)できないのか?と、視聴者さえ理解できるって言うのに…いづれにせよ、親と子の関係と言うのは、本人同士も社会からも、ものすごい微妙なバランス感覚の飢えに成り立っているんだなぁ!と実感します。 結局、ケースバイケースでしょうね。上乗せ(と言う感覚=表現=が適切かどうかも微妙ですが、ニュアンスは理解できます)が適切かどうかというのは。
お礼
ケースバイケース・・・、それを見極めてわざわざインタビューしたり、コメントを取りに行くなんてことをしてほしくないものですね。これは私もテレビを見ていて首をかしげています。ご回答ありがとうございました。
日本って先進国の中で一番、イエとか古い家族観を持っ ている国ですからねぇ。(だから冠婚葬祭で、先進国の 中で一番、カネがかかる。突出して)法律的には、イエ 制度ってないんですけどね。(それが一番出てくるのは、 介護のモンダイ)地方程、戦前的な家制度で見ている人 達がいる。地方の年寄りは恐いです。 質問者さんに薦めたいのは、少年犯罪の本です。先日も、 大阪の岸和田で夫婦(内縁)が、中学生の聞かん坊の息子 を虐待して、肉体的にもその子供は後遺症で身体障害者、 寝たきりになってしまった事件(03年頃?)父親にとっ て自分の実の息子ですが、子供に関心が低く、女房に子供・ 家事は全て任せきり、自分は【家長ですから】という時代 錯誤ぶり。(昭和30年代後半の生まれなのに) 少年犯罪をよく担当する弁護士が、血が繋がっているから といって、親子にも相性があるんだって事を、この仕事を やりだしてから判りましたって。 介護の本を読んでいたら、老人(女)へのインタビューで、 日本では突出して老後はいわゆる【ヨメ】の世話になりたい と。(他の国の10倍以上がそうだった)でも、何か相談 ごとがあったら、血の繋がった家族に話す、ヨメは除外って。 (この数字も外国と大きく隔たりがあった) ~ヨメはタダで使える労働力って事。 家族主義ってコワイです…。
お礼
その弁護士の『血が繋がっているからといって、親子にも相性があるんだって事を、この仕事をやりだしてから判りましたって。』ってのが面白いですね。弁護士ほどの知能の持ち主ならば、簡単に推察できそうなものだと思っていました。家庭に恵まれて、勉強に専念できる幼少時代を過ごしていたということでしょうか。それはさておき、家にこだわった考え方が、悪い方に行くといやですね。冠婚葬祭とかも別に百害ばかりではないとは思いますが・・・。家族主義をなくすのではなく、こだわらない考え方をしてほしいものです。ご回答ありがとうございます。
日本の家制度 墓に縛られた所に家族依存があり 親孝行というレールに乗るのです 個々に自立した考えをもてば 丸く収まるとおもいます あまりに人権侵害のことも あるからです 相田みつおは 理想世界です
お礼
すいません。一文一文は意味がわかるのですが、それがつながって理解できませんでした。読み手にわかるように平易な表現でお願いします。
お礼
家族の機能を否定しているのではなく、過剰なこだわりが不必要なのではと考えています。おっしゃるような躾や扶養義務は当然ですが、何かあったらとりあえず親を責めるとか、成人した子供にいつまでも手を焼くなどは不要でしょう。それが悪い循環を断ち切ることにもなるのではないでしょうか。ご回答ありがとうございました。