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情報の値段は?
- 情報起業を始められる方の多くは現在の経済の二重化構造の進展の中で資金が不足しており、仕入れなしに始めることができるため、その値段に疑問を持つ余裕もない。
- しかし、情報の価値を高く見せかけて売る詐欺師も存在し、もしも生活が苦しいからという理由で価格設定を正当化するならば、他のビジネスも同じように正当化しなければならないかもしれない。
- 情報ビジネスが需要があるならば、そしてその需要に応えて感謝されるならば、いくらでも儲けていいのか疑問が生じる。価値のある情報は可能な限り無料で提供すべきではないかと考える一方で、情報には値段を付けるべきかどうか、その根拠は何かという問いもある。
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>資本主義社会の経済の仕組みとその理想に詳しい方のなんらかのお考えをお聞かせいただければとおもいます。 私がこの条件を満たす人物かどうかは良く判りませんが、私の考えを述べてみます。 簡単にいうと資本主義社会は「社会的倫理感に反するビジネス、社会の公序良俗に反するビジネスは持続可能でない」ということです。資本主義の特徴というか、資本主義が共産主義を打ち破った最大の理由が「資本主義社会は公正な倫理感に裏打ちされたものでなければならない」という点にあると私は考えています。資本主義社会はキリスト教徒プロテンティスト派によって打ち立てられたことからこうなったようです。 資本主義社会以前は重商主義時代でした。重商主義は、王様や貴族に取り入って利権を手に入れて、独占的取引権を手にした商人が巨利を得ることを保証する社会です。(なんだか、政府自民党に取り入って、ガソリン税を原資とした膨大な税金を使う道路建設計画を作らせ、入札ではなく談合方式で巨利を得るゼネコン・ビジネスに似ていますね。笑)重商主義はスペイン人によって考案され、ヨーロッパ各国に広まりました。 重商主義も資本主義も自由主義社会が前提です。しかし重商主義は「王制・貴族制」を前提としているため、王様や貴族に「社会的倫理感」が無くなった結果(たとえば、国民が経済的に苦しんでいるにもかかわらず、豪華な宮殿や別荘、教会を建てまくる・・・)王制・貴族制が市民革命により崩壊すると、重商主義も破たんしてしまったと私は思います。 資本主義は、こういう重商主義者の失敗を眼の前でプロティスタントの視点でみていましたから、資本主義は社会的倫理感を前提とすることがDNA的に組み込まれるようになったと私は考えます。その顕著な例が「独占禁止法の制定」です。資本主義も自由主義社会が前提ですが、経済活動においては完全に「反自由主義的」であって、ある経済活動が結果として公序良俗に反する場合には、議会権力によってこれを禁止するルールができており、これに違反すると刑事罰も科せられることになるわけです。(日本の刑法には「談合罪」も用意されています。ゼネコンが資本主義者でなく重商主義者と仮定すると、「談合罪は資本主義者が決めたおかしな反自由主義的懲罰であって、守るに値しない法律である」と見えていることでしょう) 資本主義社会での「自由主義」も社会的倫理感を前提に置いており、「何をしようと自由」という意味の自由主義では全くありません。たとえば「契約の自由」を保証する一方「公序良俗に反する契約は、これを無効とする」という反自由主義条項を持っています。この反自由主義条項はナポレオン法典で実現され、世界各資本主義国に採用されています。日本の民法もこうなっています。 かってのソ連指導者や現在のキムジョンウィルのような共産主義者からこういう資本主義社会の反自由主義的規定を見ると「資本主義社会が自由主義社会であるということは、おへそが茶を沸かす位のたわごとにすぎない。思想の自由を保証しているというのはウソだ」と見えるようです。これは共産主義を考案したカール・マルクスは敬けんなプロティスタントではなかったため、共産主義は重商主義同様、「社会的倫理」という概念を内包していないためと私は考えます。つまり資本主義社会は「社会的倫理に反しない限り何をしようと自由」ですが共産主義社会は「共産主義に反しない限り何をしようと自由」となっていて、双方「何でも自由社会でない」ことは同じというべきでしょう。しかし、共産主義は社会的倫理感を内包していませんから、「スーパーマーケットに食料品が無くなった食糧危機のとき、共産党幹部の家には高級食品が冷蔵庫や地下倉庫に食べきれないほど保管されていた」というような何やかりやの現実があって、結局は崩壊しました。 >そのようなニーズの人へのマッチング情報活用のビジネスは喉から手が出そうなほどやってみたい世界です。 よって「社会的倫理感に反するビジネス、社会の公序良俗に反するビジネスは持続可能でない」という資本主義社会の定理に照らせば、「社会的倫理感に反するマッチングビジネス、社会の公序良俗に反するマッチングビジネスはやってはならない。このビジネスは持続可能でないばかりでなく、公序良俗に反する契約は無効と誰でも主張できるから、ビジネスの存在すら保証さないハイリスク・ビジネスで手をださないこと」という結論が導かれます。 >これは今 1万でも買う人がけっこういるのね。じゃあうちでは5千で売って買う人が増えるかどうか試してみよう、2倍以上なら出発だ。 いずれにしても損は無し、下でも仕入れもいらないのだから、あとは工夫しだいだ、テストの数字しだいだ。 という考えにはどうしてもなれないのですが、 この情報マッチングビジネスが公序良俗に反していなければ、こういう考えになっても何も問題にならないでしょう。質問者さんは「この情報マッチングビジネスは、公正な第三者から見ると公序良俗に反しているように見えるビジネスかどうか?当事者だけでなくその当事者の回りにいる誰かを困らせたり、不愉快に思わせたり、利益を損なったりすることはないか」だけに思考を集中させると良いでしょう。
お礼
いそがしくて 遅くなりました。 実は疑問もまだあるのですが、 そちらの丁寧な御回答は 前進のための力とはなりました。 ありがとうございました。 疑問というのは 資本主義社会にはさらなる倫理観(神の願いの世界に近づく意志の世界)が必要という考えからのものですが、 このさらなるプロテスタント精神によるものです。 でも、 やはり、このへんの倫理の問題にて、だいぶ「情報の値段」についても頭の整理が進んだところです。 今の私の状況下にはとてもありがたいことです。 ありがとうございました。