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志賀直哉の「城の崎にて」について
志賀直哉の「城の崎にて」の舞台となった城崎温泉ですが、「城の崎」と表記したのはなぜでしょうか。志賀直哉は何か意図があって「城崎」を「城の崎」としたのですか? ご存知の方、教えてください。
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- goo-par1732
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当時の新聞を見ますと「きのさき」は、「城ノ崎」とも「城崎」とも書いてありますね。 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00099505&TYPE=HTML_FILE&POS=1 例えば、1918.1.21 (大正7年) 東京朝日新聞の記事では「城ノ崎」となっています。 記事では、鉄道新線建設の計画が発表されたが、軽便線の計画のなかには不急のものが多いと論じています。 「舞鶴、峰山間軽便線 本線は阪鶴線を経て宮津見物にてもなす旅客を誘致するを根本目的となす外広き見地よりは何等の取柄なき線路なり而かも本線を峰山止まりとして山陰線城ノ崎に達するものとなさざるは愈愈以て意味有り気の線路計画なるを看取し得べし」 そこで、地名は「城崎」だが、駅名は「城ノ崎」となっているのではないかと、調べましたが、 当時の駅名は「城崎」でした。 古い絵葉書(大正年間)の中には「城ノ崎温泉」と書かれているものもあります。 「絵葉書 城ノ崎温泉」で検索してみてください。 志賀直哉がこれらの絵葉書を見ながら執筆したのかも知れません。 頼りない回答ですが、「城の崎にて」としたのは、何かの意図があったのかも知れませんが、なかった可能性もあると思います。
- jo-zen
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「キノサキ」は一般的には「城崎」と表記されることが多いですが、この作品タイトルのように「城の崎」と書いても間違いではありません。逆に「城崎」なら本来「キザキ」もしくは「キザキ」としか読めません。もともとは「城の崎」でそれが「城崎」と表記されても「キノサキ」と読むのが変わらないだけで、「城」を「キノ」と読むわけではないのです。 例えば、東京の「高田馬場」も「タカダノババ」と読みますが、同様です。 >志賀直哉は何か意図があって「城崎」を「城の崎」としたのですか? →当時「城崎(温泉)」がメジャーでなく、「城崎」では「キノサキ」と正しく読んでもらえそうになかった為、あえて「城の崎」にしたということもあるかもしれません。残念ながら、志賀直哉のこの作品があるから「キノサキ」を知っていても、「城崎」自体に行ったり馴染み深い人は今でも少ないと思います。
お礼
参考になりました。ありがとうございました。
お礼
ご丁寧にありがとうございました。とても参考になりました。