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時平の笑い癖
- 左大臣時平公の面白い笑い方が広範囲に影響を与える
- 右大臣菅原道真は時平公の道理に反した行動に戸惑う
- 時平公の高貴なしぐさに対する道真の悩み
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>(左大臣時平公は)面白いことがあったりすると、一切我慢なさらずに笑い転げられる。 *逐語訳的に訳せば、「もののをかしさ」は、名詞ですので、「物事の面白さ」とやはり名詞の形で訳すのが良いかと思います(意味の上では質問者様の解釈でよろしいかと存じます)。 *「え~ず」の不可能構文が入っているので、ここは正確に訳したいところ。 「え念ぜさせたまはざりける」は、「我慢することができなさらなかった」と、「不可能」の意味を訳の中に表現して訳してください。 *「ける」が連体形で止まっているのは、「こと」または「人」などの体言の省略、あるいは、連体止めによる詠嘆の表現と考えられます(「大鏡」は会話文体で綴られているので、このような感情的な文末表現の多様に特徴があるのです)。 詠嘆を込めた形(「~たことよのう」とか)か、あるいは、「人でした」などの体言を補って訳す必要があります。 →左大臣時平は、面白おかしいことを我慢することがおできにならなかった方であった。 >お笑いになったときは、(笑い方があまりに豪快なので)相当広範囲に影響をおあたえになったそうだ。 *「こと」が「乱る」とは、さまざまな解釈が可能ですが、大きく分けて二通りの解釈になるでしょう。 *一つは、時平公の様子・体裁が、爆笑によってひどく見苦しい状態になった、という意味。 笑いが止まらないとか、腹を抱えて笑うとか、身をよじって笑うとか、転げ回って笑うとか、冠や烏帽子が脱げてしまうほど派手に笑い転げるとか・・・ですね。 この解釈だと、あとの文脈の、「史」がかしこまった儀式の最中に音高く放屁したことで笑いが止まらなくなった、それほど大爆笑なさる癖があった、という記事の伏線となります。 *もう一つは、執務が乱脈になった、という意味。 面白おかしいことの方へ興味が集中してしまって、政治どころではなくなる、というんですね。 この解釈だと、あとの文脈の、「史」がかしこまった儀式の最中に音高く放屁したことで笑いが止まらなくなって、その日の執務ができなくなったので右大臣の道真公に一任した、という記事の伏線となります。 *自然な解釈としては前者かなと思います。 →いったんお笑いになり始めると、ひどく体裁も乱れなさったとかいうことだ。 >右大臣菅原道真と、世の中の政治を司っていたときにも *「せたまふ」の二重尊敬語があるので、尊敬表現で訳してください。 →右大臣菅原道真と、世の中の政治を司っていらっしゃったときにも、 >(時平公は)道理に反したことをおっしゃったりしたものでした。 *順接確定条件の接続助詞「ば」で後の文に接続している文ですので、勝手に一文を終止させてはいけません。 已然形接続の順接確定条件の「ば」は、 1.原因理由(~ので) 2・恒時条件(~といつでも) 3.偶然条件(~したところたまたま) のいずれかで訳します。 この文脈の場合は1の原因理由の解釈が適当です。 →道理に合わないことを仰ったので、 >そうであっても時平公は、位が高かったので *「さすがに」は、「そうはいってもやはり」と訳しますが、「そう」の指示内容を明らかにする必要があります。 ここでは、「無理非道なことを仰る」という内容を含みます。 *「やむごとなくて」には、過去の助動詞は含まれませんので、「~った」とは訳せません。 →いくら道理に合わないことを仰るとはいっても、やはり、身分が高いので >時平公が行った高貴なしぐさ(道理に反したこと)に対しては、どのように対処していいものかと道真は、嘆いていた。 *「せちにしたまふこと」は、「高貴なしぐさ」ではありません。 時平公が特に強いてなさる、無理非道な政治のやり方を指す語句です。 *「いかがは」は、反語です。 道真公は、時平公の政務を、本当は批判したいが、身分の高い方なので、頭ごなしに批判・非難するのもどうであろうか、いや、そう簡単にできることではない、という意味です。 →時平公が強いてひたすら執り行いなさる無茶苦茶な政務を、(右大臣の立場で身分も劣る道真公が)反対するのもいかがなものか、いや、なかなかできることではない、と、道真公はお思いになって >「このおとどのしたまふことなれば、不便なりと見れど、いかがすべからむ」と嘆きたまひけるを *この「 」内は、道真公のせりふです。 *「このおとど(大臣)」は、時平公のこと。 *「の」は主格の格助詞です。 *「ことなれば」の「なれ」は断定の助動詞「なり」已然形。 「ば」は、順接確定条件の接続助詞・原因理由です。 *「不便なり」は、不都合だ、という意味です。 *「見れど」の主語は自分(道真公自身)。 「ど」は、逆接確定条件の接続助詞です。 *「いかがすべからむ」は反語。どうしたら良いだろうか、いや、どうしようもない、という意味です。 「べから」は、助動詞「べし」の未然形ですが、解釈は、適当(~のが良い)、可能(~できる)、意志(~よう)のうちのいずれでも訳せます。 「む」は、意志の助動詞「む」の連体形です。 「いかが」という疑問を含む副詞と呼応して、連体形で結んでいます。 →「時平左大臣がなさることであるので、政治的に不都合であると、私は思うのだけれど、どうしたら良かろうか、いや、どうしようもない(どうすることができようか、いや、どうすることもできない。どうしようか、いや、どうしようもない)」と、道真公がお嘆きになっていたのを 以上です。 押さえておくべき古典常識としては、右大臣より左大臣の方が格式が上だった、ということと、藤原氏と菅原氏の家柄の格差ですね。 藤原氏は、鎌足以来の摂関家の家系、菅原氏は学者の家系です。 歴代総理大臣を輩出している名門政治家の家柄の、お坊ちゃま左大臣を、学識はあり、政治理論はバッチリ勉強しているが、世事には疎い元大学教授の右大臣が、御しかねている、というシチュエーションです。 ここから、「史」の機転で、時平の笑い上戸を利用して、右大臣が1日だけ自分の思い通りに政務を執行できた、というエピソードに続きますね。 さて、このあと、左大臣時平の讒言によって道真は太宰権帥という職に左遷され(京都から九州へ赴任しなければならないので、誰もやりたくない仕事なのです)、任地ではひたすら謹慎して、一度も大宰府には出勤しないまま泣き暮らし、無念のうちに病死します。 時平を恨んだ道真は、怨霊となって平安京の「もののけ」の総元締めになり、このあと、平安京に、災いをもたらし続けます。 道真の怨念を鎮めようという配慮から、北野天神として祀られ、一応、神様扱いになりますが、雷神となった道真は、時平の伺候中の内裏に雷となって落ちかかります。 それを見た時平は、すらりと太刀を抜いて(雷が鳴っているときに、金属をこのように振り回すのはたいへん危険です。良い子は決して真似をしないよいうに)、「あなたは、元は右大臣で、左大臣だった私よりも格式が低いではないか。いくら神様になったとはいえ、内裏においては、私に遠慮なさるのが筋というものであろう」と、理路整然と説き伏せたところ、道真公は、それもそうだな、とお思いになって、すんなりお帰りになったということだ、というエピソードが、「大鏡」にあります。 もっとも、これは、時平が豪胆で立派な人物だったからというわけではなく、あくまでも、道真公の方が、道理を重んじる人格者であったから、理路を示しなさったということなのだ、と、「大鏡」では批評されています。
お礼
真にご丁寧な解説文を、書き上げてくださいまして、感謝感激しております。ありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。 m(__)m ではまた。