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読みと書き、どちらがより癒されるでしょうか。実体験からお教えください
読みと書き、読書と執筆、アクティヴな後者、パッシヴな前者(まぁ創造的な読みというものがありますが)どちらがより癒されるでしょうか。アナタの実体験(あるいは目撃した事例)からお教えください。
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どのような感情を癒すのかによりますが。。。 悩み?忙しい毎日の癒し?それとも・・・? 私は普段は読書で癒される事が多いです。 自分の中で考えても答えが出ない時に、他の人の考え方を吸収する為に読書をします。癒し系の本やエッセイ、自己啓発本など。 新しい風を自分に吹き込んで癒されます。 で、アクティブになったこともあります。 というのも、心の中にフツフツとある恨みに近い感情が何年も消えなくて、そういう気持ちをPCのテキストファイルにありのまま書きました。 これは意外と効果があったと思います。
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- jo-zen
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読みと書き、読書と執筆、スピード感からいえば、読みの方が圧倒的にアクティブ(スピード感)があります。書く行為は、ゆったりしています。また、そうであるべきだと思います。ゆっくり読めば、より理解できるかというとそうではなく、ある程度(個人差はありますが)スピード感を持って読まないと理解が逆に難しくなってしまいます。そのテンポの良さ、または活字の図形としての魅力にはまれば、読むという行為の方が、書くという行為よりも癒し効果があると思います。少なくとも私自身はそうです。もっとも、私にとっての最大の癒しは頭の中でいろいろ考えること(思考行為)、その延長戦上にある、施行したことを声に出して話すことですが。 一方、書くという行為も、勢いが必要となりますので、アクティブと言えなくもありませんが、イマジネーションを働かせて、試行錯誤しなければならないことも多いので、それにより癒される人は少ないと思います。但し、写経などの行為は、筆の先に神経を集中させ、雑念を捨てることにより無我の境地にもっていければ、かなりの癒しとなると思います。 いずれにせよ、癒しを得るためにはこれらの行為で、神経を集中させ、無我の境地にいたり、その後その行為をするのを中止した後の、開放感そのものが癒しと言えると思います。落差が大きければ大きいほど癒しの度合いが大きくなりますので、集中度を高めないと癒しは弱くなってしまいます。
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ありがとうございました。 Simple is the best. 特にスピード感は考えておりません。受動と能動それぞれのメリットを、できれば、もっとシンプルに書いていたくだけでよかったのです。お手をとりました。
お礼
ありがとうございます。メンタル・ヘルスの面で苦しんでおられる人たちの救いになるような方法を探しつづけております……何年も消えない恨みに近い感情の件の体験談、参考になりました。書き出すことで脳内での堂々巡りがなくなってスッキリしたのではないでしょうか。 いまのところ、 歌人の有田里絵さんの【ひらがなで なやみぜ~んぶ かきだして みればたいした ことはなかった】、詩人の立原道造さんの詩句【僕は手帳を よみかへす また あたらしく 忘れるために】、糸井重里さんの【ただ、ノートに、こんがらがっている問題を書いてみる。~~~ これで、もう、ほどきはじめたことになるのだ】、ジェームズ・W.ペネベーカー博士の『こころのライティング ―書いていやす回復ワークブック―』、文○社の 気軽にSite の「<書く>という行為によって、わたしも癒されたんです」という体験談など、が選択肢になっています。 しかしね、相手を憎むということは、結局は両刃の剣でね。自分を絶えず傷つけ、苦しめるだけだと、わたしは気づいたんだ。 by 三浦綾子 『残像』 その、恨みに近い感情がまだ多少、残留しているようでしたら、河合隼雄 『こころの処方箋』 新潮文庫、を読んでみませんか。古書店で105円くらいです。