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日本国民もまた戦争被害者であるって言ったのは誰?

日中国交回復にあたって周恩来か毛沢東が「先の戦争で中国および中国人民多大な被害を被ったが、あの戦争は一部の戦争指導者の過ちによって引き起こされたものであり日本国民もまた戦争被害者である」と譲歩したため文書がまとまったと"そのとき歴史が動いた"で見ました。 質問なんですが、この発言の主と原文がわかる方はいますか?

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回答No.3

周恩来です。 交渉のため訪中した田中角栄首相の歓迎レセプションでの スピーチの中に、ご質問の内容のような発言があります。 ただ、周恩来は他にも様々な機会に同じような趣旨の発言 をしているようなので、日中国交回復の文書がまとまった きっかけとなったのがいつ、どの場面での発言なのかは、 残念ながら分かりません。中国語の原文は、「中国語」や 「周恩来 軍国主義」で検索すると、いくつか見つかると 思います。今年は周恩来生誕110年なので「人民中国」が 特集記事を載せています。

その他の回答 (3)

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.4

周恩来と思われます。 http://www.hone-kenko.org/sansuikai/sansui_03a.html 文書に残すような公的発言であったかどうかには疑問があります。 私的なコメントでないと、当時の中国国民の感情を逆なでする発言になるかと考えますので。

  • mazda323f
  • ベストアンサー率52% (13/25)
回答No.2

以前文献を読んだ記憶を頼りにしていた為、間違っていたみたいですね。 申し訳ありませんでした。 この機会に調べてみます。 分かりましたら、また投稿させて頂きます。

  • mazda323f
  • ベストアンサー率52% (13/25)
回答No.1

文献は忘れてしまいましたが確か、保阪正康だったと思います。

hitotsuumi
質問者

補足

もともとは中国側の発言だったと記憶しています。戦後賠償について折り合いがつかず、日本の事務方・政治家も困ったところに中国側の上の旨の発言があり交渉がまとまったと報道していたと思います。また日中友好宣言は1972年のため保坂氏は33歳。つじつまが合わないと思いますがそれでも「自信あり」でしょうか?

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