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現代文が腑に落ちない
公務員試験受験者です。 一番の得点源が文章理解(現代文&英語)です。大学受験でみっちりやったので苦手意識はないのですが、たまに現代文で苦戦してしまいます。一応スラスラ解けるのですが、時折、何問も連続で間違えてしまうことがあります。 間違えた問題の解説を読んでも、「見方によってはこうも言える」と思えることばかりで、腑に落ちません(独学なので、先生に質問することもできません)。大学入試問題とは、選択肢の作り方の考え方に違いがあるような印象を受けます。 仮に国語の先生に同じ問題を解かせた場合、本当にみんながみんな正解とされている選択肢を選ぶのでしょうか?もう現代文は運次第と割り切ったほうがよいのでしょうか。
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- suunan
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つづきです。 私の解説 「Aには〔社会によって差異あり〕が欠けているので不正解」 に対してあなたは 「なぜ、絶対に〔社会によって差異あり〕を含まねばならないのか。 本文中には、「笑いが値打ちの下落の安価な手段」とある」 と応じていますが、二つの論点は別であり一方が他方を含む関係に ありません。Bは必要な要点をふたつとも備えていますが AにはひとつしかないのでBが正解です。 〔或る点が必要か否か〕と〔別の点が存在する〕は 関係がなく、一方を強調しても他方に否定的に働かないので 〔社会によって差異あり〕を無用とは言えません。 それは「彼には兄がいるから妹はいない」と同様に間違っています。 〔社会によって差異あり〕は出題文後半の要約なので必要です。 また、私の解説「社会と集団をひとまとめに社会と言ってもよい」は 野菜と魚をまとめて食材と言えるのと同じで、まぎれもなく 正しい日本語です。したがって、 「考えようにとっては、条件の足りない選択肢」 は誤りです。したがって、 「絶対そうでなければならない、何がなんでもこうだ、ということを示す証拠」はこのように存在します。 なお、「考えよう」は両立する二つの思考を扱う言葉なので、 本件のような二律背反には使えません。 ---------------------------------- たくさんの数値を含む作文を示して或る条件にかなう 答を算出せよという算数の問題と同類です。 個々の記述が要点に含まれるか否かの判別がまず要求されます。 初歩的な読解であり回答の正誤は算数的に明白です。 「集団」と「社会」のスケール違いは要点に含まれません。 大筋が変わらないからです。 これと比較してあなたが選んだ選択肢は全文の後半を要約した 大きな要点を欠いているので、 ABの二択でどちらが正解かは明白です。
- suunan
- ベストアンサー率14% (224/1569)
つづきです。 出題を要約すると 「嘲笑は社会的地位への攻撃であるが、 自分の愚行や失策を率先して笑うと地位の下落を小さくとどめることができる。嘲笑は安直な攻撃法としていつの時代いずれの土地でも利用されて おり、その時代別土地別の違いを検証すればそれぞれの社会の特性を 知る事につながる。」 となります。 したがって選択肢Bが正解であり、 Aには〔社会によって差異あり〕が欠けているので不正解です。 あなたの反論 「Bは社会だけに限定しているが本文では、社会だけでなく、時代、民族、集団も含まる」が成り立つには 〔社会・時代・民族・集団が同列〕いう条件が必要ですが、 正しくは、〔社会と集団が同類のスケール違いであり、 時代と民族はそれぞれの独自性の要素であり、この二つだけが 同列〕です。社会と集団をひとまとめに社会と言っても 間違いではないので、Bに欠落はありません。 また、あなたの説では欠落ある方を避けたとなっていますが、 明らかにAにも欠落があるのだからABの選択はできません。 全体の構造を論じないとダメですよ。 つまりあなたが現代文に弱いのは、このように 構造論として全体をつかんでいないからです。 ただしテキストの解説 「内容は正しいが趣旨としては不十分。笑いの現場のからくりまで述べるべきである」はBに対するAの欠落指摘がひとつ足りませんね。 ------------------------ 他の出題については別のスレッドで質問する事を おすすめします。
お礼
ありがとうございます。 >Aには〔社会によって差異あり〕が欠けているので不正解 とありますが、なぜ、絶対に〔社会によって差異あり〕を含まなければならない、というのは、どこから出てきたのでしょうか。本文中には、ハッキリと、「笑いがもともと何らかの意味で値打ちの下落の表現であるところから、逆にめざすテキの値打ちを落とすのに妙を得た、安価な手段として用いるのに重宝だからである。」と記されてありますよね。 >社会と集団をひとまとめに社会と言っても間違いではない しかし、これはあくまで「ひとまとめにしても間違いでない」という視点でみた場合に限っての話であって、考えようにとっては、「条件の足りない選択肢」とも、捉えられますよね。 なぜなら、絶対そうでなければならない、何がなんでもこうだ、ということを示す証拠がないのですから。そのため、解説を読んでも、見方によってはこうも言える、と考え込んでしまい、正解が正解である理由がわからず、困っています。
(誤)ご検討をお祈りします。 ↓ (正)ご健闘をお祈りします。…(汗)
♯3です。お礼コメントありがとうございます。 試験問題に傾向と対策は付き物です。公務員試験は受けたことが無いのですが、挙げていただいた例題(趣旨としてふさわしい文章を選べ…が問いでしょうか?)を拝見しますと、細かい文言(もんごん)に頓着(とんちゃく)せずに、どの部分が「結論」で、どの部分が「論拠」で、どの部分が「例」かを嗅ぎ分ける能力を試すような問題だと感じました。質問者様がおっしゃるように、選択肢では微妙な言い換えをしていて、回答者を惑わせます。いきなり「自由の使い方を知らない」、「野生生物の実態把握」、「孤独感を味わうことになった」と言い換えるのも“あり”という傾向が、これで判りました。 次に、「結論」を嗅ぎ分けるには、接続詞など、文と文との関係性を表す語句に着目してみると良いでしょう。通常、結論は文章の後部に位置する場合が多いでしょう。♯1では、問題文の下から3行目、(だから、笑いをその発見の現場で具体的に観察すれば…)の【だから】以降が結論くさいと判断できます。♯2では、(一方、…は容易ではない。すなわち、…からである。)の【…からである】が論拠で、それを受ける(…は容易ではない)が結論くさいとなります。♯3では、(これが、見られない自由の代価なのである。)の【これが、…なのである】という部分が結論くさいです。理由は、文章の最後に位置していて、結論を表現する典型パターンだからです。 「嗅ぎ分ける」などと書いて、あいまいな基準のように思われるでしょうが、他の部分が「結論」だとしたら、役割の無い“無駄”な文が発生してしまうのです。だから、正解とされる部分が「結論」=「趣旨」なのです。問題に用いる位の文章ですから、無駄な部分は無いように出来ているのです。必ず「結論」に収斂(しゅうれん)するように構成されています。 確かに、紛らわしいですね。ご検討をお祈りします。
お礼
ありがとうございます。 >選択肢では微妙な言い換えをしていて そーなんです!!よって、見方によってはこうも言えるのではないか、と延々と悩んでしまうのです。 …で、今回いただいたアドバイス内容を意識し、細かな言い方を気にせず結論の部分を含んである選択肢を選んだところ、見事に不正解でした。ちっとも納得いきません。問題によって、解答に必要なための基準が違いすぎる気がします。
- kogotokaubewe
- ベストアンサー率56% (236/420)
#2です。 初めに、#2では、質問者様を試すような回答をしましたことをお詫び申しあげます。 「見方によってはこうも言える」選択肢でも、本文に書いていないことは正解にはならないことをご理解いただきたく、あえてあのような失礼な書き方をいたしました。 #3の方が詳しく的を射た解説をしてくださり、出題者冥利に尽きる思いですが、その解説のお言葉を借りるなら、「蓋然性(たぶんそうである)」と「必然性(必ずそうである)」は選択肢を選ぶ際の重要な基準になると思います。 その、#3の方の回答をお読みになってお書きになったのが、 > やはり運次第ということでしょうか。 というお言葉だというのは悲しい限りです。 国語の問題の作成者は、いかに客観的な根拠を挙げて誤答を排除し、正解を選べるかに細心の注意を払っています。その陰には、客観性を得られないために涙を飲んでボツにした文章・設問が山積みになっています。 「『運次第』とはなんということをおっしゃるのか。それは、問題作成者の努力の否定であり、冒涜である。」そう言いたいくらいです。 逆に、問題運次第でしか正解できないような問題を出す出題者は失格です。 #1~#3の回答へのお礼には、文章と正解・不正解の例が挙げられていますが、そもそも、これらの正解・不正解の答に対する質問はどのようなものだったのでしょうか。 本文の内容と一致するものを選べ、ですか。 本文の趣旨に合うものを選べ、ですか。 それとも、もっと違う質問ですか。 #1の方へのお礼には、「内容は正しいが趣旨としては不十分。」という解説の引用があることから考えると、文章の趣旨を問う問題なのでしょうか。そこがはっきりしないと、確かなことは言えません。 ひとつだけ推測でものを言わせてもらえば、「『木を見て森を見ず』になっていないか」という気がします。
お礼
ありがとうございます。 まず初めに、「これらの正解・不正解の答に対する質問はどのようなものだった」ですが、一致するものを選べ、です。書き忘れていました。すみません。 今回頂いたアドバイスに、『木を見て森を見ず』、とありますが、これだけで問題が解けるようになるとは思えません。なぜなら、人は人によって様々な見方をするからです。一概にソレを見たからといって、その見方が他の人にもあてはまるということはありえません。だからこそ、解説を読んでも腑に落ちないことがあるのですが…。 なお、運といったのは、自分にとって解きやすい内容・タイプの問題が実際に試験にでるかどうか、という意味でした。僕が受験した試験は自己採点できるのですが、ほぼ完璧に解けるときもあれば、半分しかできない時もありました。特に英語にいたっては、やたら読みやすい時もあれば、知らない単語のばかりの時もあり、この出題に関しては運が占める、ということが言いたかったのです。 一度皆様にいただいたコメント読み、そのことを意識して今またもう一問解いたのですが、やっぱり間違えてしまいました。
♯2さんの例題の答えは「オ」だと思います。 その理由は、登場人物の心理を理解して、というのとは少し違います。問題文から想像できることは何かを、漏れなく、勝手な付け足し無く汲み取った結果からです。「上京した父」「祖母の入院」「仕事で嫌な思いをしたサトミ」「合格までは逢うのを我慢しようという約束」というのは、この問題文から必然的に想像できる事柄ではないからです。迷うのは「エ」だと思います。日常的な思考では、こんな約束をしている状況は“あり”です。しかし、試験では、≪蓋然性≫と≪必然性≫とは、厳密に区別しなければなりません。「オ」も、合格祈願の断酒をしている事を無視する理由を、サトミはどうにでも想像できるのですが、怒ったような口調なら、この選択肢が一般的でしょう。もし、選択肢「カ」 「僕」が既に合格したような気分になっていると、サトミが「僕」の慢心に憤っているから。「キ」 「僕」が既に合格を諦めてしまったと、サトミが「僕」の弱気さ加減に憤っているから。があったとしても、≪必然性≫があると言うほどの≪蓋然性≫は無いように思います。 たぶん試験では、日常的に“あいまい”になったり、“取り違え”易い部分を突いてくるのでしょう。例えば、≪相関関係≫を≪因果関係≫と捉えたり、“姑息”にズルいという意味を感じたりする、という具合です。このような日常的な“あいまい”さや、“取り違え”は、他にも色々あると思います。
お礼
ありがとうございます。やはり運次第ということでしょうか。 「はじ」は、一般に、他者の一種特別のまなざしにとらわれることから生じる。見られているかぎり、人はいつ、はずかしいめをみないともかぎらない。他者のまなざしは、見られるがわの自由を大いに拘束する。この不自由からのがれようとした人たちがえらんだ道は、他者との人間関係をむすぶことを少なくして、他者にみられないことからくる自由を大きくすることであった。都市化現象にいちじるしい今日のわが国では、総じていえば、この見えないことからくる自由の拡大という方向に、着実にむかっているように思われる。 見られないことに自由があるというばあいは、他人のまなざしにどのようにうつろうとも、それによって事故の規制をはたらかせるのではなくて、自分の勝手にしてみたい、という自由になる。つまり、自由とは、勝手気ままと同じことになるわけである。もちろん、この勝手気ままという自由の中には、世間の基準にあわない、独創的なことを試みる自由もふくまれるであろう。 しかし、一方において、官僚制やマスメディアの発達によって社会の画一化がすすみ、他方において、人々のあいだにつよい自我がはぐくまれているわけではないので、自由に生きられる自発性と創造力がそなわっている人は、いぜんとして少ないといわねばなるまい。多くの人々は、自由をつかえないで、自由の代価だけを払わされて、ひとりひそかにいらだちを覚えざるをえないというのが、わが国の都市における現況ではあるまいか。だが、その反面で、人間関係をむすぶことが少なくて、他人が見てくれないわけだから、自分が他者にとってなくてもよい存在、無用無意味の人間であることだけは、かくじつに意識させられていく。これが、見られない自由の代価なのである。 A(正解) 都会人は他者とのかかわりを希薄することによって、見られない自由を手に入れたが、多くの人は自由の使い方を知らないために、自由と引換えに孤独感を味わうことになった。 B(不正解) 自分勝手な行動をとることを自由だと思っている都会人は、他人に見られることによって生じる「はじ」から開放されようとして、他人とのかかわりを希薄化する方向に向かってきた。 Aは自由の使い方を知らないとなっていましたが、本文では使い方を知らないではなく、自由をつかえないとあるので、違うと考えました。
- kogotokaubewe
- ベストアンサー率56% (236/420)
公務員試験の現代文でどんな問題が出ているのかは知りませんが、基本は変わらないと思います。 ----------------------------------------------------- 次の文章を読んで後の問に答えよ。 公務員試験まであと一ヶ月を切った。サトミからは「近くの神社で合格祈願をした。あなたが合格するまでお酒は飲まないから、合格させてとお祈りしたの。」というメールが届いた。酒断ちをしてくれる彼女をいとおしく感じたが、勉強に懸命の僕は、サトミが禁酒したことはまもなく忘れてしまった。 試験まで一週間になった。無性にサトミに逢いたくなった。ワインを買って、電車に乗った。電話をした。 「どうしたの。勉強してなきゃダメじゃない。」 「一区切り付いたから、気分転換に一緒に呑もうよ。ワインを買ってあるんだ。すぐに行くから。」 一瞬の沈黙があって、サトミは鋭い声でいった。 「来ないで。」 ------- 電話が切れた。 問 傍線部「来ないで。」とサトミが言った理由として最も適当なものを次から選べ。 「ア」 出張で上京した父が部屋に来ており、サトミは、今、「僕」を父に合わせるのは適切ではないと考えたから。 「イ」 サトミは、祖母の入院の知らせを先ほど受けたばかりで、酒を飲むような気分になれなかったから。 「ウ」 その日、仕事で嫌な思いをしたサトミは、気分が落ち込んでいて、誰とも逢う気にならなかったから。 「エ」 合格までは逢うのを我慢しようという約束を破った「僕」をサトミは許せなかったから。 「オ」 合格を祈る自分の気持ちを、「僕」は少しも受け止めてくれていないと、サトミは腹を立てたから。
お礼
ありがとうございます。昨日に引き続き問題を解いたら、あわせて5問連続で間違えてしまいました。 ア~エは全て本文中にない話ですよね。 以下、5問間違えたうちの1つです。(長いの一部のみ抜粋) 問 野生生物資源の保護と管理については、先進国および開発途上国を問わず、つい最近までは木材供給樹種、果実供給樹種および特定の魚類や猟鳥獣などの商品価値を有するものだけに重点が置かれていた。生態系や生物多様性の保護という認識よりも、資源としてとらえる考え方が優先していた。すべての種に価値があり、絶滅の危機にひんする種の問題に関心が払われるようになったのは、比較的最近のことである。 (中略) 一方、これまでに絶滅した種の数ないしは生物多様性の消失率などを、数字で表すことは容易ではない。すなわり、生物資源研究所の1989年の報告書によれば、地球上の500万とも3000万とも推定される生物種の中で、人類によって判明し分類されているのは、わずかに150万種にしかすぎないからである。 選択肢A(不正解) 500万とも3000万とも推定される生物種の中で、人類によって判明し分類されているのは、わずかに150万種にしかすぎない。 選択肢B(正解) 比較的最近になって、商品価値の有無に関わらない野生生物保護に関心が払われるようになったが、野生生物の実態把握はかなり困難である。 AとBで悩み、Aを選んだら間違いでした。 Bを選ばなかった理由は、選択肢では「野生生物の実態把握は」となっていますが、本文では「絶滅した種の数ないしは生物多様性の消失率などを、数字で表すことは容易ではない」と、単なる野生生物と言っているのではなく「絶滅した種の数ないしは生物多様性の消失率」と限定しているからです。それとは対照的にAはハッキリ本文と同じ内容だったので、Aが正解だと思ったのですが…。
- suunan
- ベストアンサー率14% (224/1569)
具体的に示してください。
お礼
ありがとうございます。字数の関係で書き込みませんでしたが、今回は書いてみます。5問連続で間違えたうちの1つです。 人を笑いものにするとか人から笑われたくないとかいう言葉がある。この笑いの攻撃と笑いからの防御とにひとが無関心でいられないのは、この場合、笑いとは人前で彼の値打ちを失堕させ、彼の言動の値打ちを下落させる試みであることを本能的にひとが知っているからであろう。もっともひとは時によると自分自身を、自分の愚行や失策を、他人といっしょになって笑うこともある。この場合も、自分で自分の威厳を取り払い、面子を捨て、名声の座から降りることに変わりないが、ただこの際ひとは他人の笑いを喚起したことを別にきまりわるがない。利口な、よく気のつく人間は、自分の貶価を先頭にたってやってのけ、機先を制してしまうのである。これでもわかるように、笑いが社会的制裁の有力な武器となるのは、笑いがもともと何らかの意味で値打ちの下落の表現であるところから、逆にめざすテキの値打ちを落とすのに妙を得た、安価な手段として用いるのに重宝だからである。社会や集団は、その大事な秩序、行動体系、風俗習慣を維持するために、それを撹乱し、また撹乱するおそれのある異分子を追放し、罰する一つの方法として、いつの時代、いずれの土地でも、好んで笑いを利用している。だから、笑いをその発見の現場で具体的に観察すれば、時代、民族、社会、集団の一般理論がその背景にいつもパノラマのように浮かび上がってくるという仕掛けになるのだ。 選択肢A(不正解) ある種の笑いは値打ちの下落の表現であるから、社会や集団が異分子を罰したり追放しようとするときには効果的な手段となる。 選択肢B(正解) ある種の笑いは自分や他人の値打ちを下げる面があるので社会的制裁の手段として利用でき、その種の笑いを観察すると、その社会の一般倫理がうかがえる。 僕はAとBとで悩み、Aを選びました。なぜなら、Bは「その社会の一般倫理が」と記されており、社会だけに限定しているからです。本文では、観察によって社会だけでなく、時代、民族、集団も含まれます。 テキストの解説では、Aが不正解な理由として、「内容は正しいが趣旨としては不十分。笑いの現場のからくりまで述べるべきである」とありました。
お礼
またの書き込みをありがとうございます。 たいへん難しいお話でした。いきなり、ピピーン!と理解できるようになるとは思えません。時間をかけてじっくりと本文を読み、いただいたコメントを何度も読みたいと思います。 皆様、色々とありがとうございました。