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「世も末だ」という言い方あるいは「ジェネレーションギャップ」について
- 「世も末だ」という言い方が時々されます。その意味合いは、現代的な世相を悲観して発する言葉です。
- しかし、こういう考え方が生じたのはいつからでしょうか。少なくとも、社会的な文脈では、原始あるいは縄文時代にあったとは思えません。
- 維新を発端としているのではないでしょうか?そこから、世代世代で様相が違う世の中が出現していった。そして「世も末」あるいは「明るい未来」という意識の断絶、縦の疎通が行きにくいという悲劇が生じた。
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質問者さんが対象としてる「なにか明らかな社会的変化」とは政治的な変化でしょうか? だとすると、現代人より中世以前の人の方が、ジェネレーションギャップを感じていたはずです。 なぜなら、中世以前だと王などの代替わりなどは、当時の人の生存権に直結していました。(善政を引いた王が死んだ後に、悪政を引いた王が就任た場合など。) 極端な話、縄文時代でもリーダが無能だった場合、その集団は餓死の危険に晒されます。 権力がある人間が「生類憐みの令」みたいな命令を出し、社会通念を一変させる事なども、現在ではまず不可能ですが、過去の時代には権力者の意思一つで簡単に実行できました。 それ以外にも、天候や疫病、或いは戦乱などで当時の人たちが、ホンの数十年前の時代を懐かしむ事など、歴史上では数限りなくあります。 それ以外にも、対外的影響でと言うのであれば、遣唐使による影響も当時の最新の知識、文化を中国から貪欲に吸収していた訳ですから、明治維新に比較できるだけの政治的影響(中国の律令制度を真似た訳ですし)はあったはずです。(明治維新が革新的に変わったともてはやされるのは、時代が近いせいで、その変化の影響をかなり正確に認識できると言うのも理由の一つだと思います。) まあ、外国に占領された国の悲惨な変化に比べれば、明治維新の変化は…。
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- Willyt
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この言葉は仏教の末法思想と密接に関係のある言葉ですから、この思想が広く世に知られるようになった平安期以降の言葉であることは確実です。しかしその内容は『近頃の若い者は・・・』という言葉で表されるジェネレーションギャップを嘆く言葉であり、そうであるとすればこれはかなり昔から有る言葉だと言えます。聞くところによればピラミッドに書かれた落書きにこのような内容のものがあったということですから言語発生以来から存在した可能性もありますね。
お礼
末法思想と、最近言われる言い回しには、似た言葉遣いがあるといっても、だいぶ意味合いも感覚も違いませんか。そんなに、平安時代に急激な社会変化があったとは思えません。その社会変化、それに随する意識変化をもって始めてこの言葉が実効性を持つのではないでしょうか?
日本では平安時代くらいから 『末法思想』という形でひろまっていたようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%B3%95%E6%80%9D%E6%83%B3 ジェネレーションギャップは新人類くらいから使われていたように 思いますので、つい最近の言い方かもしれません。 『近頃の若い者は・・・』ってのはそれこそ大昔からあったのでしょう。
お礼
末法思想は純粋に?宗教的ですから、今言う感覚も意味合いも違いますよね。今の腐った民主主義みたいな、ここ急激な変化、せいぜい半世紀の間に起こった物的社会的変化をもって、はじめて「この世も末」という感覚が出てくるものだと思います。 大昔の「近頃の若いもの」はまったくそれをいう老年たちの若いころと変わらないと思うのですが、忘却しているんですかね。いまは物的社会的環境が一世代前とぜんぜん変わっているから、そういえる条件がある。
- fuzikiseki
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参考程度にひとつ 「ジェネレーションギャップ」つまり世代相違感ははるか大昔から あったと思いますよ。 エジプトのピラミッドのひとつに古代文字で「最近の若い者は!」って 落書きがあったそうですからね
お礼
しかし、なぜ、社会が発展しない時代にギャップがあるのでしょう?そんな漸進的な変化でも敏感に違いを感じ取るものなのでしょうか?
お礼
たしかにそうなんですね。 「政治」というものができてから、その権力機構が強固であればあるほど圧政やなにやら大きなものがある。縄文の疫病とか飢饉とかそういう激しい変化もある。思考の落とし穴にはまっていました。