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商人
わたしのような商人におきましては、とか、商人である自分を卑下するかのような言い回しがありますが、これはどうしてなのでしょうか?商人であることの誇りは? これは歴史的・文化的な背景が絡んでくるのでしょうか?
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封建的な身分制度である「士農工商」という概念に起因するのかもしれません。つまり、被支配階級の序列が、農>工>商となっていたのはなぜかということです。 それは、農民や職人は自ら農作物や工作物を生産するのに対して、商人はそれらの物を安く仕入れて高く売って利ざやを稼ぐ存在なので、自ら生産性を持たないために蔑視されたわけです。 この身分観の残滓に照らせば、「私のような商人が・・・・・」というのは、「人様が作った物を右から左に動かすだけで儲けを得ているような私が・・・・・」のような謙遜を含んだ表現になります。 もっとも、封建時代には、根性や創意工夫などを希求する「商人道」があって、厳しい修練に基づく矜持を備えていました。
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古代の中国から江戸時代の日本まで、極端な言い方をすれば、商人は軽蔑の対象になっていました。 すなわち、商人の生き方が、儒教の精神に反することが多いわけです。 農家のように汗水たらして、物を作っているわけではありません。 武士のように、信義のために生きているわけでもありません。 商人は物を作らず、物を安く買い叩き、それを高く売って儲けます。 商人はお金のため、損得のために生きているというわけです。 西洋でも、シェークスピアの「ベニスの商人」の登場人物に、悪名の高いのが出てきたりします。 まあ、洋の東西を問わず、商人といえば、もみ手をしながら、物を高く売りつけて儲ける守銭奴みたいに思われているところがあります。また、いつの時代でも商人はそのような目で見られるものです。 もちろん、上のような言い方は悪意に満ちたもので、本当の商人の生き方をあらわしたものではありません。 でも、今の世の中で「わたしのような商人におきましては」と仰る商人さんは、決してプライドがないどころか、すごいプライドの持ち主です。 謙遜した言い方ですが、そのような言い方をする商人で、商業を賎業と思っている人に、私は出会ったことがありません。
確かに江戸時代においては、商人の身分は士農工商の最下位でしたが、商人の腰が低い理由とその事との間に直接的な関係はないだろうと思います。 商人は、客が商品を買ってくれなければ儲けを得ることができません。他の店より優れた商品を扱う店ならば殿様商売も可能かもしれませんが、多くは他店と大差のないものを大差のない値段で売るわけですから、威張っていては客が逃げます。同じ条件ならば、より感じのよい店で買いたいと思うのは、古今東西共通の顧客心理ですからね。したがって、結果的に商人は腰が低くなるのです。 決して誇りがないのではなく、それが商人として生きて行くための智恵と言うべきでしょう。